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『縮小社会とサステイナビリティ』講義の読み原稿1

今学期は、人文知とサステイナビリティというプロジェクトのなかで、『縮小社会とサステイナビリティ』というテーマで講義をすることになっています。サステイナビリティということば(概念)を世の中に広めていきたいと考えているので、学内の発表ですが、講義内容を公開してみようと思います。講義要旨というよりは、講義の読み原稿という感じで、ちょっと長くなりますが、書いてみたいと思います。こんなnoteの使い方も面白いかなと思って、まずは試しに導入部分から。

1.背景:縮小社会の実像

はじめに、人口データを確認しながら、タイトルにある「縮小社会」の実像をつかまえていきたいと思います。

日本の総人口は2008年に1億2,808万人でピークを向かえ、その後2010年の国勢調査以降、人口減少フェーズに入ったことが確認されています。2020年5月時点での総人口は、1億2,590万人であり、前年同月比で29万人減少しています(統計局ホームページ)。

国立社会保障・人口問題研究所の将来人口予測によると、25年後の2045年には1億642万人(対2008年比▲2,166万人)、45年後の2065年には8,807万人(対2008年▲4,001万人)となっています。2008年ピークに対して、2045年までが▲16.9%、2065年までが▲31.2%となります。このような人口動態は下のグラフが示すとおり山なりであり、戦後から高度経済成長期を経て2000年代はじめの頃までの”登り”と2008年のピーク以降の”下り”として現れています。

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同時期に年齢構成も大きく変化していきます。第1回の国勢調査である1920年(大正9年)時の総人口は5,596万人で、その内訳は0-14歳が36.5%、15-64歳が58.3%、65歳以上が5.3%でした。東京オリンピックが開催された1964年の翌年、1965年では、総人口が9,920万人、0-14歳が25.7%、15-64歳が68.0%、65歳以上が6.3%でした。戦後から高度経済成長期までの間は総人口が増加し、さらにそこに占める若者の割合が高い若齢増加型社会でした。このあと2000年代に入ってから人口増加は緩やかになっていきます。

2015年の国勢調査では、総人口が1億2,709万人、0-14歳が12.6%、15-64歳が52.5%、65歳以上が26.6%となります。この時点で総人口の4分の1が高齢者となっています。このあと、下の図で示しているとおり、2045年、2065年に向かって0-14歳は全体の約1割、15-64歳人口が約5割、そして65歳以上が30%代の後半まで上がってくる予測です。こうして、日本社会は人口減少を続けながら、そこに占める高齢者の割合が高い高齢縮小型社会へと移行していきます。

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補足ですが、上の図で2045年と2065年の数字において、0-14歳人口と15-64歳人口の割合がほぼ変わらないのは、人口予測に用いられる合計特殊出生率にて、「実績値が1.45であった平成27(2015)年から、平成36(2024)年の1.42に至るまで緩やかに低下し、以後やや上昇して平成47(2035)年の1.43を経て、平成77(2065)年には、1.44へと推移する」ことを条件としているためです(国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口(平成29年推計)』p. 8 )

下の図はこの他に人口動態に関連する平均余命と合計特殊出生率の情報を加えて、1965年、2015年、2065年の3つの時期における日本の人口ピラミッドを示しています。主たる人口コーホートが若者だった時代から、徐々に上昇し、さらにそこから年齢構成が高いまま人口減少により全体が縮小する様子がひと目で分かります。

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こうして見えてきた、縮小しながら高齢化していく社会、というのがこれからの日本社会であり、縮小社会と呼ばれるものの実像です。社会フェーズの転換としては、若者人口が中心で人口が増加していた若齢増加型社会から高齢人口が中心で人口が減少していく高齢縮小型社会へと移行してきています。より具体的にはこれから半世紀の間に人口規模が3割減少して総人口は8,800万人台となり、子どもが全体の1割、生産人口が5割、高齢者が4割、という内訳の社会となります。

2.都道府県単位での縮小社会の経験

ここまで、全国単位での縮小社会の進行については確認してきましたが、次に都道府県単位ではどのような変化が起きているのかを見ていきたいと思います。

この講義では人口動態の変化とそれに伴う様々な社会や経済活動の変化を見ていくわけですが、この時に「私たちひとりひとりが縮小社会という現象をどのように経験しているのか」という視点が、このあとにサステイナビリティの議論に展開していく時にとても重要になります。

下の4つのグラフは、47都道府県の1920年から2045年までの人口推移を、2010年時点の人口を基準に4グループに分けて示しています。

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左上:グループ1(500万人以上、9道府県)
右上:グループ2(200万人以上-400万人未満、11府県)
左下:グループ3(100万人以上-200万人未満、19県)
右下:グループ4(100万人以下、8県)
*拡大版は「参考」のセクションにあります。

総人口が2008年をピークに山を描いて、将来的に急激に減少していくことは先に確認したとおりですが、グループ1については、ピーク人口が2020年から2025年頃と予測されており、未だに人口が増加している道府県です。これらの地域では「全国的に人口減少フェーズに突入している」というような報道を目にしても、実際に一人称で経験していることは人口増加なので、縮小社会という現象を肌で感じている人は少ないのではないでしょうか。

次に、グループ2についても状況はグループ1の地域と似ていると言えそうです。このグループでのピーク人口は2010年頃なので、人口減少ははじまっていますが、今はまだ減り始めて間もない時期と言えます。縮小社会に危機感を持ちつつも、中央発信の地方創生がちょうどよいタイミングで発動されているという感覚ではないでしょうか。グループ1と異なるところは、将来的には確実に減少が起きていくという点です。この点については、グループ3と4の地域と同じような危機感を持っている状況ではないかと思います。

グループ3と4の県については、滋賀県や沖縄県のように特異に出生率が高い県を除き、多くの県が1955年の時点で人口のピークを既に向かえており、1970年代に一度人口増加しますが、長期的な減少傾向が続いています。1945-55年と1970-75年のあたりの増加は第1時ベビーブーム(1947-49年)と第2次ベビーブーム(1970-75年)の時期と重なります。一人称の経験で言えば、人口減少によって地域経済が縮小し、商店街がシャッター街化したり、空き家が増えたり、目に見えて子どもの数が減った、ということになるかと思います。ただし、このような状況に寂しさを覚える人たちは、主にまだ人口減少が緩やかだった1970-80年代に地域に活気があった時代の雰囲気を知っている世代の方たちである場合が多いです。地域の商店街に人が溢れ、運動会やお祭などに子どもたちがたくさん参加していた様子が記憶にある世代の方たちにとっては、地域は2000年頃から徐々に寂しくなってきたことと思います。一方で今の20−40歳代は必ずしもそのようなイメージを持っておらず、「地域に活気のあった時代」は少し世代が上の先輩から以前のまちの様子として話のなかで知っているものとなっていたりします。グループ3と4の地域においては、これから更に加速度的に人口が減って行きますが、減少傾向はグループ1と2よりも随分前から感じていたと言えると思います。

このように、経験としての縮小社会は、同じ日本でもグループ1と2の20道府県とグループ3と4の多くの県(1955年以降にピークのある滋賀、沖縄、香川、岡山、三重を除く)の間には大きな感覚的違いがあると言えそうです。ここでは都道府県単位のグラフで示しましたが、より厳密に人々の生活圏の経験として縮小社会を捉えようとすれば、市町村や自治会(住所での"大字")の単位での変化を見ていく必要があるでしょう。

「縮小社会」というような全国単位で起きている現象を理解するためには、こうして一人称の経験や感覚で理解するための具体的なコンテキストを用意して考えることが非常に重要だと思います。この講義の後半では、私が過去10年ほどフィールドにしている秋田県を事例として紹介して、この一人称の感覚のある単位で、縮小社会とサステイナビリティとの関係を考察していきたいと思います。

3.課題設定:豊かさの問い直し

さて、ここまで説明してきたような縮小社会のなかで、私たちにとって大事な問いはなんでしょうか。人口減少と高齢化によって、これまでの社会保障制度や経済活動が維持できなくなる、というようなフレーミング(課題設定)はよく聞きます。これも重要ですが、これだけ劇的に人口動態が変化してきているのであれば、社会としての価値観が変化し、発展や豊かさの意味が大きく変わってきているのではないでしょうか。私の研究では、下の図で示しているようなフレーミングをしています。

秋田と全国のトレンド

この図では、秋田県と全国の1920年から2060年までの人口の推移を、それぞれのピーク人口を100として示しています。全国のピーク人口が2008年でその前後で若齢増加型社会から高齢縮小型社会に転換していることはこれまでに説明した通りですが、秋田県の場合には全国よりも53年ほど先に1955年の時点で既にピーク人口を向かえ、その後2000年頃まで緩やかな人口減少、それ以後に急激な人口減少フェーズに突入しています。47都道府県のなかで最も高齢化率と人口減少率の高い秋田県ですが、この視点から見ると、「縮小社会」という現象を全国に先駆けて経験している地域と見ることができます。同様に1955年時点でピーク人口を迎え、それ以後人口減少フェーズを経験してきた県は他にもあり、多くが先の都道府県単位の人口推移の図のなかのグループ3と4に属しています。

例えば通勤通学のとき、町中で買物や用を済ませているとき、カフェで友人や仕事の相手と過ごしているときなど、あなたの周りを見渡すと、どんな風景がそこにあり、どんな人たちがそこにいるでしょうか。そこに人はいるでしょうか。人がいるときには、その人たちはどんな世代の人たちでしょうか。見えている風景に活気のようなものを感じるでしょうか。それとも静けさのようなものを感じるでしょうか。活気をどう定義するのか、活気があることがいいことなのか、静けさは寂しさではない、などなど、色々ツッコミどころはたくさんありますが、そういう判断をしたいのではありません。一人称で縮小社会という現象を切り取ってみたいのです。想像してみたときに、何を感じるでしょうか。

私は、若齢増加型社会から高齢縮小社会へのシフトによって、社会の持っている価値観が変容し、それに伴って社会の発展や人々の豊かさが意味するところが変わってきていると考えています。ちょうど私たちは発展や豊かさの概念を問い直し、新しいものにしていく過渡期に生きていると思うのです。

サステイナビリティについても同じで、これまで拡大成長型の社会で議論されてきた人間と環境のバランスとしての持続可能な開発(Sustainable Development)の探求としてフレーミングがなされてきました。このグローバルな視点はこれはこれで重要ですが、縮小社会を迎えている日本、一人称でこの現象を経験している私たちの暮らしという単位においては、そこと大きな乖離を感じないでしょうか。社会が縮小しながら高齢化していくとき、私たちは何のサステイナビリティについて議論しているのでしょうか。この変化のなかで、何をサステイナブルにしていきたいのでしょうか。これらの問いをこの講義の後半のための課題設定としたいと思います。

次のnoteにて講義の後半について書いていきたいと思います。縮小社会を一人称で考えるたに、秋田県の事例をご紹介しながら、そこと関わるなかで私が考えたことを共有していきます。



4.参考

1.都道府県別の人口推移を4グループで示した図の拡大版

グループ1

グループ2

グループ3

グループ4

2.縮小社会(縮小高齢社会)というテーマについて、書いているもの
- 工藤尚悟(2020)"縮小しながら高齢化する社会のデザインー地方と都市の関係性からの一考察ー", pp 46-53, 不動産研究62−1, 日本不動産研究所

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