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「言葉が似てくる」 : トランスローカル論での言葉

先日フィールドワークに行ったときのこと、最後のインタビューに対応してくれた方と話し込んでいたときにふと思ったこと。それが「言葉が似てくる」ということ。

分野で言えば違うことをしているのだけれど、日々会話する機会が積み重なるような装置が、この4年フィールドにしている秋田県南秋田郡五城目町にはいくつかある。

例えばBABAME BASE(http://babame.net/)という廃校を活用したシェアオフィス。ここに通っていると面白いことが見えてくる。それは、みんなのたまり場になっている事務室(元職員室)での会話のなかで、人々が使う言葉が似ているのだ。

人は何かを考えるときに必ず言葉で考えている。五感は言葉以上なので外から受けとっている感覚や情報をすべて言葉で表現することはできないのだけれど、それでも私たちは言葉で世界を切り取ることで、五感で感じている世界を理解しようとする。そして他人と共有しようとする。その言葉が似てくるということは「世界観が似てくる」ということである。

ある場所に長くいれば、その環境から受ける感覚が育つ。朝の水田の空気感、野焼きのあとのにおい、強風に飛ばされながら道路を這うように降り出す初雪、そして新緑をむかえる山並みのような、風土が育てる感覚だ。また、ある人々と長く付き合っていれば、お互いが心地よくあるための話し方が育つ。出会ったときの挨拶や、今のまちでの懸案事項、「〜さんとこの〜ちゃん」のことなど、ご近所付き合いの感覚だ。

長い時間を共有すると人は自然と同じ言葉で世界を切り取るようになり、結果「言葉が似てくる」ということが起きる。BABAME BASEはこれを集中的につくり出す機能があり、そこでローカルな価値観が醸成されている気がする。

言葉が似てくることについて、五城目町にはもうひとつとても面白い場があって、それがShare Village(http://sharevillage.jp/)だ。シェアビレッジは古民家を改修したゲストハウスで、村民登録をした町外からのゲストが主に利用している。

ここに宿泊したときに私が出会う人たちの言葉はとてもよく似ている。地域を内に閉じた存在としては捉えておらず、むしろ次の社会のあり様を描くアイデアが生まれてくる場所と見ている人が多い。「辺境からイノベーションが起きる」というような共通認識があり、プレーヤーに対する尊敬の念を持っている。言葉遣いは慎重で、言葉を丁寧に選びながら話す人が多いが、一方で必ず話し込んだあとに笑いが起きる。普段はまったく別の地域でそれぞれ別のことをしている人々なのだけれど、1泊をシェアビレッジで共にする人たちとの不思議な世界観の重なりにはいつも驚かされる。

さて、言葉が似てくると同じ世界感にあると言った。では今度はその世界観同士がつながったらどうなるのだろう。私はイノベーションが起きると思う。他人を見ていて「あいつ最近、一皮むけたな」と思う感覚。それが起きると思うのだ。

トランスローカル論は複数の世界観をつなぐので、自分の世界観が強く揺さぶられる。起きるゆらぎに抵抗して(resistance)自分が何者なのかよく見えるようになり、外に世界があることに気づく。そしておとずれる気づきに順応して(adaptive)新しい視点を認知できるようになる。(例えば「ジェンダー」が分かりやすい。空港のチェックインカウンターに女性スタッフばかりいても日本では見慣れた光景である。ジェンダー的に見ればこれはとても違和感のある光景。)

トランスローカル論を経て生まれる言葉は内に閉じないはず。ローカルに根ざすことで逆に外に開く言葉になっていくはず。そこに人がある地域でコミュニティを形成するときに普遍的に創り出す価値観がある(たぶん)。

さて、どう実証しよう。


つづく。




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