「はなにかける」「はなもひっかけない」
こんばんは、須恵村です。
本日は、何となく頭の中でこねくり回していた言葉ネタを取り上げたいと思います。
「はなにかける」
「はなにかける」という言葉があります。
漢字なら「鼻に掛ける」と書きます。
あまり聞かない言い回しかもしれませんが、同じ意味で「鼻に当てる」という言い方もあるようです。
“掛ける”は平仮名を奨励されることもありますが、「はな」は「鼻」、顔の真ん中のあのパーツです。
「美人(であること)を鼻にかける」「家柄のよさを鼻にかける」など、一般的に自慢になることを自慢するときに使うということは、説明の必要はないでしょうか。
人の価値観はさまざまなので、「万引きの腕前を鼻にかける」「性格の邪悪さを鼻にかける」でも成り立ちそうなものですが、何とも言えない違和感を覚えるのは私だけではないと信じたいところです。
「はなもひっかけない」
もう1つ、「はなもひっかけない」という言葉はご存じでしょうか。
というか、今までに使った経験や、日常的に使う状況はあるでしょうか。
漢字では「洟も引っ掛けない」と書きます。
“引っ掛けない”の方は好みと文章全体のバランスを考えてご自由に――ですね。
ごく一般的には漢字表記が知れ渡っているとしても、漢字ばかり連続すると文章全体が真っ黒に見え(**下記注)、重たい印象を与えてしまうとか、この世界観では仮名書き(または漢字書き)の方がしっくりくるとか、創作活動をなさっている方なら、何度も経験することではないでしょうか。
やや話が逸れましたが、この言葉の場合、重要なのは「はな」の漢字表記です。
「洟」は常用漢字外なので、新聞記事を初め一般的には「はな」と平仮名で書くことを奨励されています。
「洟=鼻水」で「はなをかむ」「はなをすする」などと表記しますが、「鼻をかむ」「鼻をすする」と書く方もいらっしゃるかもしれません。どちらにしても、顔のパーツとしての「鼻」と無関係ではないので、無理なく意味が通ります。
で、書き忘れるところでしたが、「洟もひっかけない」は、どういうときに使われる言葉でしょうか。
簡単に言うと、「相手にしない」「無視する」の意味。鼻から出た洟すらひっかけない、それこそ「鼻で嗤われ」すらしないということです。
共通点
「はなにかける」「はなもひっかけない」。
この2つの言葉の共通点は何でしょうか。
偉そうにマウンティングするヤツと、そのマウンティングの対象になって見下されるヤツがいるということです。
いや、これでは不完全ですね。
そういう二者の関係を前提として、マウントを取られる側が使うと言った方がいいでしょうか。
自ら「私は一流大卒を鼻にかけておりますの」とは言わないし、「あんな小物、洟もひっかけないわ(いや、こっちは言う人は言うのかな?)」ともならないでしょう。
そのせいか「鼻にもひっかけない」という摩訶不思議な言葉も、そこそこ普及しているように見えます。
多分ですが、何となく体の器官として前に突き出している「鼻」を、アンテナかフックにでも見立てて――かどうかはともかく、「取るに足らないものだから、そこにひっかけることはない」という解釈にでもなっているのではないでしょうか。
鼻に何をひっかけるの?ネームプレートか何か?
「歯牙にも掛けない」という非常によく似た意味の言葉もあるので、その辺との混同も見られます。
少し前のエントリーで、こういうのを書きました。
「底を突く」を「底を(底が)尽きる」と言い誤っているのが気になるなあという厭味ったらしい内容ですが、基本的にコトバ警察体質の老害なので、こういうことをしばしば書いてしまうんですよね。どうもすみません。
何が気になるって
それにしても、他人に「洟をひっかける(ひっかけない場合は、それくらい興味がないということ)」って、さすがに行儀悪すぎませんか?
戦争成金が紙幣に火をつけて「どうだ明るくなったろう」と言っている例の風刺画を、何となく思い出します。
お金がなかろうが、エッチなコンテンツを読んで劣情に身を任せようが、いい年して駄菓子をつまみに薄いハイボールを飲んで悦に入っていようが、人間としての品性は失いたくないものです。
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