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Homecoming⑦

目が覚めるとバスはテキサスのパンハンドルに入っていた。まだ日付は21日であったか。オクラホマシティからは州間高速44号に別れを告げ、州間高速40号に乗って旅をしていた。あの名高い国道66号線、ルート66とほぼ同じルートである。スタインベックの『怒りの葡萄』でジョード一家がマザーロードと呼んだ、カリフォルニアへの希望の道である。国道自体はその役目を州間高速道路に譲り、廃線となっているが、所々旧道が残され、当時を偲ばせるような景色が残されていた。このアメリカン・ドリームを象徴するような道にわたしはひとり旅をしていた。アメリカン・ドリームなんて聴こえはいいかもしれないが、実際は行き場がない人たち、生活ができなくなった人たち、裏切られた人たちをおだてるためのまやかしにすぎない。実際バスに乗ってる人たちは、わたしも含めて、そのような面々ばかりであった。幼い子供を2人連れたシングルマザー、イラクへ送られるという兵隊、出獄して友達を頼るという若い黒人。彼らにとって、いや、わたしたちにとって、アメリカン・ドリームなんて決して見ることがない夢だった。

バスはやがてアマリロについた。時刻は昼ごろを回っていた。ここで1時間停車と運転手に言われたのでバスを降りる。思い切ってバスターミナルの外に、初めてでてみることにした。アマリロは寂しい街である。バスターミナルも、1950年代からあるような恐ろしく古ぼけていてこじんまりしたレンガの建物だった。周りを歩いていると小さなコーヒーショップがあった。ドアを開けて入ってみると客は誰もいない。店員にコーヒーを注文して、カウンターの席に腰掛けた。

背景に音楽が流れていた。それは、とある有名なグループによる曲で、そのグループ自体は、数年前のコンサートにおいてリーダーが

「わたしはアメリカ人であることを恥ずかしく思う」

と、イラク戦争に反対する発言をしてしまったことから、ファンベースの怒りを買ってしまい、ラジオ局を筆頭とするメディアからも完全に干されてしまっていた。そんなグループの曲がテキサスで未だ流れているのも珍しいな、と考えながら、運ばれてきたコーヒーとマフィンを頂いていると、その曲のある歌詞が妙に耳に残った。

「あなたの周りに人生を建ててきたから変化が怖い」

わたしは、Eとの関係を再び思い出し、目頭が熱くなるのを感じた。愛情とはすべてを捧げることではないのか。ビジネスのように駆け引きをするのが普通なのか。それができないからフィラデルフィアの警官曰く「悪い女」に利用されただけなのか。もう自分自身の想いさえ靄がかってよく見えないでいた。だがEと、またアマンダとも話をしなければならない。そう思いながら店を出て、バスターミナルに戻った。

つづく

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