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フィラデルフィアでの恐怖と憎悪⑤

解放された頃にはもう昼になっていた。半ば放心状態で地下鉄にのり、中心街へと戻っていく。電車を降りて、たった昨日の朝にEと手を繋い出歩いた道を一人で歩く。あれほどまでうんざりしていたグレイハウンドのターミナルが見えたときの安堵感は言葉にできない。あの、冷たい、ただ単に時間を過ごすだけの煉獄が、今になっては私のことを守ってくれる惟一の砦のように思えられた。

早速窓口へ行き、ロサンゼルス迄の最短の便を取りたいと申し出た。グレイハウンドにしてはやけに愛想が良い係員は

「この便夜の便でセントルイスで乗り換えればクリスマスイブの夕方にはロサンゼルスに到着しますよ。お取りしますか?」

とこう言った。わたしはこんなところに一秒ともいる気はなかったので二言で承知し、250ドル余りを支払った。夜に出発と言ってたな。あと半日位なければいけないのか。そして、Eに連絡する気にはまだなれなかった。言い訳も聞きたくないし、その存在さえも考えたくなかった。

その当時はスマートフォンがまだ普及していなく、Eとの連絡は主にインターネットの通話アプリで行っていた。また、そのころはWiFiが「ザル」であり、インターネットにつながる手法は今日より遥かに容易であった。持参していたパソコンをターミナルで繋げばEに連絡することは容易なことであった。だが、今日は何があったかも話す気には到底なれなかった。

食欲も一切なく、ましてや街を見て回るという気には到底なれなかったわたしは、そのままターミナルのベンチに頭を抱えながら座ったままでいた。そうしていると迷彩服姿の青年が話しかけてきた。

「さっきからずっと頭を抱えていたけど、大丈夫?」

わたしは、今までのことをすべて話した。女対して帰る途中だという彼は、警官と同じことを言った。

「君は悪い女につかまったんだよ。連絡をしないでこのままカリフォルニアに帰ったほうが絶対いい。その決断は間違ってないから安心して、気を付けて帰ってね。」

そういって彼は3時発のバスに乗って消えていった。8時まで待たなければならなかった私にとって、彼のような人が話しかけてくれたことは、大きな励みになった。もうどうなってもいい、クリスマスイブまでにカリフォルニアに戻れればもうすべてがいい、そういう気持ちに向かっていた。

エリザベス・キュービュラー=ロス博士によると、何か事実を許容するには五段階のプロセスがある。その事実に対する否認、怒り、取引、抑うつ、そして受容である。その全部をこの短期間で経験していることに初めて気づき、自らを驚かせた。その晩までにはもうすべてがどうでも良くなっていた。

そう一人でベンチに座り込みながら考えていると時刻はバスの登場時間に差し掛かっていた。係員が大声でセントルイス行きの乗車の案内を始める。こうして5日間の旅がまた始まったのだった。

つづく


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