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「アーモンド」のぶつ切りなあとがき(ただし本文並みに長い)

そんなにもったいぶるものではないのですが、一応ネタバレがありますので、よろしければ本編(?)「アーモンド」から読んでいただけますと幸いです。こちらのあとがき、ほぼ自分の備忘録の割に長いです。

・ブックショートアワードに出す小説を書くために、恋人と話しながらあれこれアイデアをこねくりまわしていて、エドワード・ゴーリーの話に至ったことから思いついた(気がする)話。

『ギャシュリークラムのちびっ子たち または 遠出のあとで』(※)みたいな雰囲気の、でももっと軽やかでつめたい、花冷えの季節に合う話にしたいなと思いました。


(※)これより、Wikipediaの『ギャシュリークラムのちびっ子たち』の項目から引用。孫引きになってすみません。
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本作では、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいく場面が描かれている。例として一部を引用する。
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A is for Amy who fell down the stairs
(Aはエイミー かいだんおちた)
B is for BASIL assaulted by bears
(Bはベイジル くまにやられた)
C is for CLARA who wasted away
(Cはクララ やつれおとろえ)

— 後掲『ギャシュリークラムのちびっ子たち』より、A、B、Cの項を引用


私は名前というものが好きで、特に、覚えられなくても外国のおもしろい響きとか由来の名前を見るのが好き(だから『堆塵館』が好き)。
名前がたくさん並ぶ話は、詩っぽさが増すような気がして、そういう音や形のかわいらしさにこだわってつくった話です。

・兄弟と姉妹の名前はすべてロシア人の名前(の略称)です。クラシックの曲名には(というかその曲には大体なにか元ネタがある)、『ルスランとリュドミラ』とか『トリスタンとイゾルデ』とか男女2名の名前が多いのだけど、いつも男→女の並びで癪なので、二人並べるときはいつもあえて女→男の順番で並べるようにしました。男はだめ!もっと女の子を!というよりも、女の子後ろに立ち過ぎだから、たまには前に出したいぞ、と。性別関係なく、そうしたい人がみんな同じくらい前に立てるといいなーと思っています。誰も下げたくないな。姉妹の家を東に置いたのも、同じ理由です(キリスト教だと右が左より「正しい」とされてることなどから。東=右と考えてるのが、いかにも地図が読めない人の書いたものですが)

(まったく余談ですが、大学生のときオーケストラ部の友人で、〇〇と〇〇ってタイトルの曲の人名の組み合わせが覚えられない…と嘆いている者がおり、なんかいいなその悩み、と私は羨みました)

メモったりメモらなかったりですが、それぞれの名前の意味。

兄弟
ゴーガ
ルスランカ(獅子)
ラリオンカ
パーフカ(小さい)
シーマ(最大の)
※五男に「最大の」という名前を与えたのは勿論皮肉です。

姉妹
ガーラ(静かな、穏やかな)
レーシャ(森)
セーリャ(夕暮れ)
ナータ(誕生日)
ノーナ(9番目の)
※ノーナは丘から9番目にいなくなる子供なので、この名前にしました。

・あとは、桜の季節に書き始めたことが大きいですね。早く散ってしまう花みたいな人間の話が書きたいな、と思いました。舞台を東欧っぽい感じ(東欧への憧れが大きめ)にしたくて、それなら桜よりアーモンドのほうがありそうなのか?と思ったのです。ゴッホが精神病棟にいたときに描いたのがアーモンドだ、というイメージも強くて。アーモンドの花言葉に「永久の優しさ」というのがあったので、それもいいなと思ってアーモンドに決めました。

ただ、難しかったのはアーモンドが温暖な地で育つということですね。これが咲くのが村唯一の娯楽だったらもっと悲しみも生じそうですが、オレンジとかが生るところで咲くのか、という衝撃。アーモンドを楽しみにする切実さがない。でもそういう村で、ちょっと隔離されている人たち、というのを描くことでさらに人間の暗さが際立つ気がしました。

・畏れられているものと蔑まれてるものが実は近いことがある、っていう現象に興味があって。例えば女性と宗教の関係だったり。女は穢れだから入るなよ〜といわれるところがある一方、女じゃないとだめ、な役割があったりして。
この物語の兄弟と姉妹も、そういう存在として描きたいなと思いました。村の祭祀の道具にされている人々。

・どの兄弟にも、姉妹を悲しませるために、罵ったり、体を傷つけたりする方法はとらせない、と決めました。このイベントを、村にとっての「新入生いじめ」的立ち位置にしたかったからです。映画『きっとうまくいく』の中で、大学入学直後の新入生が上級生から「洗礼」として嫌がらせを受けるシーンがあったかと思いますが、伝統行事としての「軽い嫌がらせ」はエンターテイメントとして機能することがあると感じています。「ウチ」にいる者にとってのエンターテイメントです。決定的な嫌がらせはしないから、だれも決定的に咎められず、細く長く続く。ひそかに性格が悪い人が、上手に生き延びて地位を得ていくように。丘の下の村では、その年の兄弟が姉妹をどのように悲しませているか予想するのが、笑い話としてされている、という設定です。そういうグロテスクな雰囲気が微妙に漂うといいなと思いました。

・最後のシーンを描くにあたってかなり意識したのは若山牧水の短歌です。中学のとき初めて知ったと記憶していますが、この短歌が大好きなので。

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも
染まずただよふ

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