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初ソロアルバム「HIROFUMI CALENDAR」リリース記念:宮城県女川町在住のテクノポップアーティスト・遠藤裕文(HIROFUMI ENDO)インタビュー(前編)

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 今回は9月10日に初のソロアルバムをリリースした宮城県女川町在住のテクノポップアーティスト、HIROFUMI ENDOこと遠藤裕文さんへのアルバムリリース記念インタビューをお送りします。遠藤さんは1996年に折原信明さんとのデュオ、スノーモービルズとしてデビュー、2001年までにアルバム3枚、マキシシングル2枚を残していますが、叙情豊かな風景を童話・民話感覚で表現する詩の力と、アーシーな作風にエレクトロを加味したサウンドでオリジナリティを感じさせたこのユニットにあって、作品中のスパイス的な楽曲とテクノポップフレーバーを担当していたのが、遠藤さんでした。その後しばらく沈黙していましたが、その間東日本大震災など大きく環境が変化する契機が加わり、スノーモービルズの新曲「夕景の魔法」がリリースされたり、2017年からは遠藤さん自身が動画サイトへデモソングが続々UPしていくなど音楽活動再開への機運が高まる中、ついにこの2019年、遠藤さんの初ソロアルバムがリリースされたわけです。
 今回はそのソロアルバム「HIROFUMI CALENDAR」についての解説やサウンド分析、アルバム収録全曲のクロストーク、そして遠藤さんのこれまでの音楽遍歴やスノーモービルズ時代の作品の裏話まで、細かく少々マニアックに聞いておりますので、コアなリスナー向けとなりますがお楽しみ下さい。
(なお、当ブログの本家にて、本作の特別先行レビューが公開されています。こちらもぜひ読んでみて下さい。)

ーーイメージとしては当時高校生である自分が8トラックのMTRとProphet5とLinnDrumとMC-4を持っていたらどんな宅録をするかと言ったことのシミュレーションのようなものです(遠藤)


@tpopsreryo

遠藤さん、ついに初のソロアルバム完成しましたね!早速ながら「HIROFUMI CALENDAR」、拝聴いたしました。
初聴きの感想ですが・・・

期待してはいましたが、期待以上の素晴らしさですね!

楽曲の良さはデモの段階からわかっていたつもりだったのですが、やはり各曲の完成形には感慨深いものがあります。
スノーモービルズ(以下:スノモー)時代から遠藤さんの楽曲は好みだったのですが、(「雨」とか「南向き斜面の日時計」とか) 今回のソロ曲は趣味性も感じられるとともに、サウンドはしっかり現代風も意識しながら、80'sマナーを押さえたきめ細やかな音作りで、同世代のテクノポップリスナーであれば必ず共感を得られるでしょうし、若い世代からも新鮮な印象を与えられることでしょう。
「歌心のあるテクノポップ」としては、シンクシンク(注:Think Sync Integral(YMOやSOFT BALLETなどアルファレコード時代にエンジニアリングを手がけてきた寺田康彦氏が90年代後半に設立した音楽クリエイター集団とその自主レーベル)の盟友であった佐藤清喜さんのnice musicを随所に想起させる部分があって、nice musicファンであった私にとっては、まさにどストライクなメロディでありサウンドでした。

@遠藤裕文(以下:遠藤)
今回のアルバムの制作の動機にはどうしても震災の影響があるのは否めない事実です。2011年に佐藤さんが出したmicrosterの「夕暮れガール」、そしてその後のアルバム発売には非常に勇気付けられました。

自分なりに被災地と言われる場所に在住している一個人としてどのように音楽と向き合っていくか、町の状況をどのようにとらえてそれをどのように曲に反映していくか、自分の心の中の失われた部分の補完をどうすればよいのかと言ったことを今回のアルバムでは試みた一面もあります。もちろん震災の影響下のみで作ったアルバムではありません。自分の趣味趣向、日々思っていることを12の月に散りばめたような作りになりました。日記のようなものと思っていただければよいかと。
稀代の作曲家である佐藤さんと清水さんのいたnice musicにはもちろん影響を受けています。自分が最も影響を受けた80年代の音楽の豊潤な世界をなるべくそのまま楽曲にしようという試みが今回のアルバムの制作の出発点です。イメージとしては当時高校生である自分が8トラックのMTRとProphet5(注:Sequencial Circuit社から発売された世界を席巻した5音ポリアナログシンセサイザー)とLinnDrum(注:世界を席巻したLinn Electronics社のPCMデジタルリズムマシン)とMC-4(注:打ち込みを一般的に普及させたRoland社の4チャンネルデジタルシーケンサー)を持っていたらどんな宅録をするかと言ったことのシミュレーションのようなものです。

意に反して作っているうちにトラック数は増えるばかりでしたが(笑)、しかし気分としてはそのようなものです。この80年代の豊潤な音の世界を同世代だけでなく若い世代にも影響を与えられたらこの上ない幸せだと思います。

@tpopsreryo
私も現在の関西に移り住むまでは岩手県の盛岡市に住んでいましたので、あの震災は人ごとでもなくて・・・その際に被災地の女川で復興活動に尽力していた遠藤さんの噂はSNS等で伝わっておりましたので密かに応援していました。当時は遠藤さんも本業がありますし、スノモーも恐らく思い出したように瞬間的に活動するスタイルなのだと思っていましたので、今回のようにソロアルバムで本格的に活動を再開されたことが本当に嬉しかったのです。そして単なるソロ活動ではなく、そこにはしっかりローカル色を忘れていない、(今の時代だからこそ実現できる)地方からの発信力を意識した、その名も「リアス式テクノ」という新ジャンルまで標榜しながら、独自のテクノポップ道を突き進むという、期待以上の展開にまさにドキドキワクワクしている最中なのです。
そしてそのきっかけの1つになったmicrostarの「夕暮れガール」、佐藤さんも岩手県出身ですよね。岩手県って大滝詠一さんも生んでいますし優れた音楽家を育む土壌があるような印象があります。

少し脱線しますが、岩手県のIBC(岩手放送)のラジオで「トップ40」というリスナーリクエスト方式によるベストテン番組がありましたよね。日曜の13:00〜17:30まで長丁場でヒット曲をかけまくるんですけど、ランキング上位に岩手県出身のアーティストが入ってくる地方色豊かな番組で、姫神せんせいしょんとかNSPとかあんべ光俊とか、全国のランキングでは到底入らないような曲がヒット曲と肩を並べてランキングされている独自性が好きだったのです。この番組が今も存在していたら、microstarもスノモーも、そして今回の遠藤さんのソロ曲も、(曲間にリクエストした方の名前を読み上げられながら)番組で放送されていたと思いますね。

nice musicの影響を強く感じたのは、彼らも遠藤さんの言われる「当時高校生である自分が8トラックのMTRとProphet5とLinnDrumとMC-4持っていたらどんな宅録をするかと言ったことのシミュレーション」を90年代初頭のテクノポップ死の時代にチャレンジし続けたグループであったためです。80年代テクノポップと60年代的グリーンエヴァーポップスの合いの子のような彼らの素晴らしい楽曲達はまだまだ評価が足りなくて、Amazonでは彼らのアルバムのレビューに本ブログの文章がそのまま貼り付けられているほど世の中にその素晴らしさが浸透していないのですが、遠藤さんのこのソロアルバムと近似性のある彼らの楽曲も相乗効果で見直される日が来ることも期待できるのではないでしょうか。


遠藤さんのこの「HIROFUMI CALENDAR」はもちろん80’sテクノポップとしての側面からは当然好事家達には高い評価を受けることになると思っていますが、LightMellowやラグジュアリー歌謡といった80’sシティポップバイバルの波にも乗れる作品でもあると確信しています。その辺りをぐるぐる徘徊していたTECHNOLOGY POPS管理人が保障します!

また、杉本健さんのミックスもさすがですね。
「僕はほでなす」なんか頭ぐるぐるでスゴかったです(笑)
現在はDTMも発達して1人で完パケすることも珍しくありませんが、やはりミックスやマスタリングは他者に任せている作品の方が信頼が置けるのです。
一旦他者の目を通すことで異なる視点からのアプローチが化学反応を起こしますから。

@遠藤
当初の目論見としてはトラック数もそんなにない、デモテープのちょっと上くらいの音質で自分で全てミックスなども行ってパッとリリースする予定でしたが、やはり作り込んでいくうちにそうでは済まされなくなったと。そこでスギン(杉本健)にお願いすることになりました。
スノモーの時もそうだったのですが、ミックスに関しては寺田(康彦)さんを信頼してお任せしていたということもあったので今回もまったくその通りでスギンを信頼して全面的にミックスをお願いできたことは非常にありがたかったですし、自分がまったく想像していなかった曲の解釈や音像が出てくるので化学反応という意味でとてもうまくいったと思います。
また、ミックスのやり取りをしている中で、以前のシンクシンクでのやり取りを思い出したりして。そして、以前の僚友に参加してもらうことでアップデートされたシンクシンク仲間の現在というのも知らせたかったというのもあるのです。ミックスには非常に満足しています。

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@tpopsreryo
シンクシンクの作品はさすが寺田さんのレーベルだけあってミキシングには圧倒的信頼感がありましたので、看板アーティストであったmicrostarや村上ユカさん、スノーモービルズの作品は当然全てチェックしておりました。杉本さんのミックスの素晴らしさは奥様のユカさんの作品で十分理解しているつもりでしたので、今回遠藤さんのアルバムをミックスしている情報が入った時は、もうそのクオリティの高さを確信していましたね。

そのようなわけでまずは初聴の感想でした。
そこで、本作で知りたい部分についていくつかご質問事項を。
まずジャケットデザインは本作のイメージカラーをふんだんに取り入れながらコンセプトの部分もしっかり理解したすばらしいデザインですよね?

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@遠藤
ジャケットデザインについては仙台在住のデザイナー(絵描き)の「のあ」さんと言うスノモーのデビュー当時からのファンでもある方にお願いしました。素晴らしいジャケットです!ジャケ買いしたくなるほどです!今後この方も僕のブログでご紹介していく予定です。ご紹介といえば、スギンもそうですし、@tpopsreryoさんもそうですよ!

@tpopsreryo
アルバムという媒体においてジャケットデザインは非常に大きな役割を果たしていると思います。音楽配信、ストリーミング配信は便利ですが、歌詞や作品に関わった人たちのクレジット情報、そしてジャケットのアートワークを手にとって楽しめない部分が馴染めないところがあるのです。ドメスティックなソロアルバムという印象なのですが、杉本さんやユカさん、のあさん達が作り上げるこの作品には、仲間達が作り上げるアットホームさが感じられますよね。1人で制作しているのだけれど1人じゃないと言いますか・・・SNS時代だからこそ生まれたアルバムとも言えますよね。その一端として私も関わることができているとするならば、こんなに光栄なことはないです。

それではここからは少しマニアックな質問となります。
まずは本作の詳細なクレジットを教えて欲しいのですが、本作は遠藤さんはギターも弾いているのですか?またゲストプレイヤーはいらっしゃいますか?

@遠藤
曲ごとのクレジットについては各曲のクロストークの時に詳しく解説しましょう。といいますか、コーラスでの(村上)ユカちゃん以外は僕一人だけで全て演奏しました。

@tpopsreryo
なるほど!それでは本作で使用している機材、使用しているDAWとか音源ソフトとかその辺りを詳しくお聞かせいただけますでしょうか?

@遠藤
今回のアルバムは全てPropellerhead社のDAWであるReasonで作成しました。シンセもすべてReasonに同胞しているソフトシンセで、外部のハード音源などは一切使用していません。

ただ、Reasonにもともと付属しているシンセはあまり好きではなかったのですが、このアルバムを作成する直前である2年前にKORGのMonoPolyとPolysix(KORG Legacy Collection)、RolandのJUNO60のクローン(TAL V2 U-NO-LX)のソフトシンセのプラグインを手に入れてこれが大正解で、特にPolysixについてはシンベからパッドから使い倒しました。本当に愛すべきシンセです。このプラグインを手に入れてこれはいけるかもと思いました。やはりこの当時の機材の音というものが体に染みついているのだなと思いました。



そしてデモ作成中にReasonに新しいプラグインシンセが加わったのですが、EUROPAというウェーブテーブルシンセでこれがまた使えるシンセでこれも随所に使われています。

そして、実機も持っているSH-101のクローン(TAL Bassline 101)のソフトシンセ。これもここぞというところで活躍しています。

基本的にシンセはこの5つを使っています。この5つだけでいいんじゃないかと思えるほどです。

@tpopsreryo
DAWはReasonだったんですね。Propellerhead社と言えばTB-303とTR-808のクローン「ReBirth RB-338」を思い出しますね。古い話ですみません(笑)


KORGのMONO/POLYとPolysixのソフトシンセは私も持っています。特にMONO/POLYはMS-20がソフトウェア化されてから、ずっとソフト化を嘱望していましたので、実現した時に即入手しました。クロスモジュレーションが良いんですよねえ。そしてJUNO-60のエミュレーションソフト「TAL-U-NO-LX」ですか! 私のファーストシンセがJUNO-106だったんですが、60も楽器店で触ったことがあります。あの時代のRolandの機材には夢がありましたよね。あの繊細なDCOのアナログシンセサウンド、大好きです。当然SH-101も。あのグリップ付きのコンパクトな形状。やはり夢がありました・・・。
EUROPAはウェーブテーブルシンセですね。私もPPG&WALDORF信者ですので、ウェーブテーブル大好きなんです。80’s中期っぽいサウンドには欠かせないんですよね。自分のアイコン写真は実は自分の部屋の写真なんですが、Microwave XTが写っていると思います。PPG WAVE 3.0とかUVIのWAVE RUNNERとかどちらかというと名機のエミュレートが好きなので、趣味で集めていますが、やはり好みが近いですしツボを押さえていますね!
この機材の情報を知るだけでも、サウンドには期待ができるというものです。

あと1点だけ質問です。
SIMMONS DrumやLinn Drum風のドラムの音源は何を使用していましたか? Reasonの付属プラグインでしょうか?

@遠藤
SIMMONSやLinn Drumの音源はネットから拾ってきたフリー音源を利用しています。ただ、これらはそのまま使ってもなかなかあの音にならないので、今回スギンにはあの音に近づけてもらうように大変頑張っていただきました。おかげさまであのドスの効いた(笑)LinnのLM-1の音になったなと思います。


ーー山川さんの書くあの繊細なコード進行の曲たちには非常に影響を受けました。それは、分数コード、楽曲の構造、ABサビのコードのつながりや転調の仕方等まで大きく影響を受けましたよ(遠藤)


@tpopsreryo

それでは、各曲のサウンド分析は後編に置いておくといたしまして、これからは遠藤さんを知らない方々にどういう経緯でソロアルバムが制作されたのかを知ってほしいと思いまして、アルバム制作以前の遠藤さんの音楽背景をたどることができるような質問をしていきたいと思います。この機会にスノモーのことについても振り返りつつお聞きしていきたいと思います(私も聞かれてはいないのに答えちゃったりしてますが・・笑)。


Q1.  改めてお聞きします。最初に音楽的に影響を受けたアーティストは?
 また、その後のリスナーとしての音楽的変遷を教えてください。

@遠藤
最初に音楽的に影響を受けたアーティストはもちろんYMOです。
YMOと言うよりも坂本龍一氏の楽曲で使われているメジャーセブンス系のコードの響きに多大なる影響を受けました。
ただそれは、もっと昔、小学生低学年くらいに家にたまたまあったボサノバのレコードを聴いていてこの浮遊感のある和音の響きはなんだろう?好きだ。というのが直接的な最初の音楽的影響で、YMOを聴き込むうちにそれがメジャーセブンスの音であるということを自覚したということです。やはり教授のあの独特なコード進行には影響を受けましたね。

中学生の時はそのままYMOと各メンバーのソロ、それからジューシィ・フルーツのあのバンドサウンドとも歌謡曲とも似つかない音の世界に魅かれました。
高校生になるとまずビートルズの洗礼を受け、テクノっぽくないバンドサウンドというものにも魅かれ始め、いわゆる60年代のブリティッシュポップにも耳が行きました。ただ、それだけではテクノ的にも和声的にも満たされなかったので、おニャン子クラブの山川恵津子さんの書いた曲だけをベストカセットにしながらずっと聴いていました。山川さんの書くあの繊細なコード進行の曲たちには非常に影響を受けました。それは、分数コード、楽曲の構造、ABサビのコードのつながりや転調の仕方等まで大きく影響を受けましたよ。


大学生になるとバンドブームが起きて、例に漏れずそこにもハマりましたが、特にユニコーンはずっと好きで、これもまた転調や不思議なコード進行、その佇まいなどに影響を受けました。

大学を卒業してからはスノモーデビューなどがありつつ、もう一度最初からしっかりと日本、世界のテクノポップやエレポップの歴史を自分なりに紐解こうと様々なそれ関連のアルバムを聴き研究しつつ今日に至ります。

@tpopsreryo
やはり始まりはYMOですよね。せっかくなので私の音楽遍歴とも照らし合わせていきましょう。私も最初はYMOの「BEST ONE」というカセットテープでした。5歳上の兄がちょうどハマってたんですね。まだまだ子供だったんですが、初めてのオリジナルアルバムを聴いたのが「BGM」だったんですよ。なので自然と病的なサウンド好きが刷り込まれています(笑) それと同じくしてザ・ベストテン世代でしたので、歌謡曲も同時進行だったのでどうしてもメロディがしっかりしているものが好みだったので、YMOでも幸宏派なんです。もちろんリズム至上主義な部分も幸宏さんの影響が強いのです。そして各メンバーソロからメンバー参加作品まで手を広げていくところまでは一緒ですね(笑)

そこからビートルズ等の60年代ブリティッシュポップですか・・そしておニャン子クラブ!山川恵津子さん&森達彦さん仕事は素晴らしいですよね。80年代アイドルソングに一石を投じていたと思います。まさにエレガントでオシャレなサウンドに、ゴリゴリした打ち込みをぶち込んでくるんですよね。遠藤さんのサウンドセンスは山川エッセンスも大きかったんですね。
かたや私はいわゆるテクノ的な音が、ニューミュージックやシティポップにも使われ始めていることに気がつきまして、角松敏生や大江千里、原田真二とかそういう方向に行くんですよ。洋楽にも行ったんですが、いわゆるニューウェーブの残党とか、ユーロビートみたいな、結局テクノからは抜け出せない感じでした。なので全くビートルズの洗礼を受けていないんです。そしておニャン子クラブなんですが、「夕焼けニャンニャン」放映時はまだ盛岡に在住していまして、当時は岩手めんこいテレビがまだなくてフジテレビ系列の番組がほとんど放映されていなかったのです。なのでおニャン子もほとんど通過していないのです。現在の大阪に引っ越してきたときに見た「夕焼けニャンニャン」はちょうど「じゃあね」歌ってました(笑)

そしてバンドブームを迎えるわけですね。ユニコーン好きは存じ上げておりましたが、私は当時高校生でしたので、あの時はもう少し本流とは別のミュージックトマトJAPANとかを見ながら新人の面白そうなバンドを見つけたりといった聴き方(今も変わらないですが(笑))をしていましたので、その中でユニコーンはスゴく本流なイメージがあったんですね。当時はGRASS VALLEY聴いていましたから(遠藤さんも好きですもんね!?)。私がメジャーセブンスを意識したのはGVでした(笑)

そして大学からは京浜兄弟社とかトリガーとかのテクノをインディーテクノポップをかじりながらP-MODELにたどり着き、テクノ歌謡に目覚めながらアイドルソングを勉強しつつ、数年ごとにやってくる洋楽ニューウェーブのマイブームに冒されながら色々掘り上げまして、その影響をレビューブログにして現在まで続けているといった次第です。

まあ、私の話は必要ないですね(笑)
ただしこうして照らし合わせてみますと、小さな差異はあるものの根幹としてはほぼ同じ道を通っている方という印象を受けています。話は出てきませんがその間には松岡英明もあればナイスミュージックもあるわけじゃないですか。やはり自分が好きな音楽を経験してきた方がアウトプットする音楽というものは裏切らないんですよ。遠藤さんの音楽からはそういう安心感がいつもあるのです。


Q2.  初めて音楽活動を開始したのはいつ頃からでしょうか?どういうジャンルの音楽であったのか、楽器の担当は何だったか等も含めて教えてください。

@遠藤
初めて音楽活動を開始したのは、高校1年生の時、バンドのドラムとしてです。
ジャンルは宮城県の片田舎の街だったのでドラマー自体が少なく、それこそいろんなジャンルのバンドを掛け持ちしていました。
思い出してみると、爆風スランプ、白井貴子、吉川晃司、中森明菜、シナロケ(シーナ&ザ・ロケッツ)、BOφWYなどですね。節操ないです。

@tpopsreryo
当時は爆風スランプやBOOWYのコピーバンドは多かったです。この中では中森明菜のバンドが気になりますね・・・あと吉川晃司はさぞかし大変だったと思います、ベースが(笑) ちなみに私はバンド経験はないのですが、音楽の授業でドラムマシン(KORG DDD-5)とエレクトーンとグロッケンという2人組を組んで、YMOの「Solid State Survivor」と「君に胸キュン。」のインストバージョンを演奏したのが唯一の人前の演奏です。授業時間に必死でDDD-5でドラムとベースを打ち込みました(笑)


Q3.  初めて買ったシンセサイザーは何だったでしょうか?(個人的興味です)

@遠藤
中3の時に買ってもらったRolandのSH-101です。


ただこれは、当時モノフォニックだということを知らずに買ってしまって、和音が出なくてちょっとがっかりした覚えがあります(笑)
なので和音はYAMAHAポータサウンドに任せてYMOをコピーしたりしていました。

@tpopsreryo
SH-101は取っ手のコントローラーが風変わりでしたよね。子供の頃広告をよく眺めていました。ちなみに私のマイファーストシンセは中2の時にテストの成績が良くて買ってもらったJUNO-106です。


Q4. スノーモービルズの結成についてお聞きします。折原信明さんとの出会いと音楽的な指針について、当時を振り返って教えてください。

@遠藤
大学での軽音楽部での出会いが最初です。
僕が大学3年生の時、オリ(折原信明)は2年生の時、スノーモービルズと言うユニット名でバッキングが打ち込みと手弾きの4トラックのカセットMTRのバッキングを流しながら二人で前に立ち、歌うという内容でした。
その時作ったオリジナルは僕とオリの共作で、当時のフリッパーズとかマンチェスターシーンに影響を受けた曲だったのです。
当時はバンドブームでバンドでいかにもな曲を演奏をするというのが二人とも嫌だったので、二人ユニットでバッキングはカラオケで振り付けやギターの弾く真似をするなどバンドブームに対してアンチな態度、斜に構えた態度を取りたかったんですね(笑)
でもその流行りものに対するアンチな姿勢でいるという気骨は今でもずっと続いているものだと思えます。

@tpopsreryo
なんと演奏していなかった!
エアギターで。ゴールデンボンバーの先駆みたいな(笑)
実はフリッパーズも入っていたということは渋谷系・・・といってもその中の「毒」を抽出した感じだったのでしょうか。


Q5. スノーモービルズでは折原さんの歌詞というより詩の世界観が圧倒的でしたが、折原さんと遠藤さんのユニット内での役割分担がどうなっていたのか当時も気になっていました。その辺りをお聞かせください。

@遠藤
オリの詩の世界というものは唯一無二の独特の世界観を持っていて当時から完成されていたので基本その世界観を総合的に作るのはオリでした。僕の役目はその楽曲群の中にもっとテクノポップよりの、あるいはアルバムの中に1、2曲入っている珍奇な曲を作るという役割でしょうか。スパイスですね。

@tpopsreryo
確かにスノモーは折原さんの詩の世界観が圧倒的でしたよね。私はどうしても同時期にデビューしていたインディーズ時代のキリンジと比べてしまうんですけど、スノモーも全く引けを取っていなかったと思うのです。

アプローチは違えども、作詞と作詩の違いはあっても、節回しや韻の踏み方、唯一無二感などは誰にも負けないオリジナリティがあったと思います。その中でもやはりテクノポップ感が当然私としては気に入っていたのですが、そこはやはり遠藤さんのエッセンスなんですね。結局好きな曲は遠藤さんが関わっていたりしますもんね。


ーー1stはレコーディングやなにやらがすべて初めてのことだったのでいろいろやっているうちにあっという間に終わってしまったという感じです。(遠藤)


Q6. シンクシンクインテグラル時代について、デビューのきっかけを教えてください。

@遠藤
当時オリが単独で作ったアンビエントカセットと僕たちで作ったアンビエントカセットがありまして、snowhereの原型なのですが、それを確かソニーのSDオーディションに送ったのがきっかけだったのではないかと。
そのテープが寺田さんの元に渡り、ボーカルモノも聞きたいということで作ったのがファーストの原型になるカセット版「Snow Mobiles」です。6曲入りだったと思います。

@tpopsreryo
最初はアンビエントユニットsnowhereがデビューへの足がかりだったんですね。ここで話に出てまいりましたスノーモービルズの別働アンビエントユニットsnowhere誕生のきっかけについて、シンクシンクのオムニバス「NET17」の「SUNSET」、2008年の「CASUAL MEETINGS」の「よあけエスプレッシーボ」の2曲を残していますが、snowhereについて解説をお願いできますでしょうか。

@遠藤
スノモーの元々、大元というのは前にお話した大学在学中の軽音楽部での4chテープバッキングユニットでマンチェ風味の音楽を演るというものなのですが、その後二人とも就職して離れている時にオリがアンビエントもののカセット(確か6曲入り)を自作したんです。
それは当時1993年頃の細野さんとか再生YMOにとても影響を受けたリズムの複雑な、しかしとてもプリミティブなものでとてもおもしろい音楽だったのです。


それで、その6曲をA面に入れて、その逆再生した音にSH-101でそれこそアンビエントな装飾音を僕がバッキングで入れてB面も完成したのです。オートリバースで聴くと延々繰り返すという、いわゆる「阿吽」ですね。
そのカセットというのがソニーのSDオーディションから寺田さんに渡ったものなのですが。そこから、もう少しポップ寄りのアンビエント作品が出来ないかなと考えて、カセット作品第2弾、「Charmbient(チャームビエント)」というのを作りました。
このカセットはオリと僕半々ずつくらいの曲数で当時は本当に二人ともアンビエントに狂っていたものですから、アンビエントとポップなものの融合にある程度ここで成功したという実感が二人にはあったわけです。ここでアンビエントユニットSnowhereがスタートするわけです。
確か東京でこのユニットでエキシビジョン的なライブをやった覚えがあります。数組のDJスタイルの人たちに混じって。実はスノモーのライブよりSnowhereでのライブの方が先なのです。それでその後スノモーでデビューするということになり、アンビエントは少々でポップな楽曲構成が大きいウェイトを占めると。でも、実は元々オリも僕もこのようにアンビエントからユニットがスタートしたようなもので。
それでポップなものを演るときはスノーモービルズ、アンビエントものを演るときはSnowhereと名義を変えて音楽制作を行うようになりました。
この前のデビュ-20周年ライブの時の一番最初でもSnowhereでアンビエントものを演りまして、そのオリのカセットやCharmbientから、よあけエスプレッシーボなども演りましたよ。これからも何かにつけてこのアンビエントユニットは出てくると思います。

@tpopsreryo
再生YMOの影響だったんですね。当時は細野さんもアンビエントどっぷりでしたから、さもありなんというところでしょうか。時系列としては「初期スノモー→snowhere→デビュー時のスノモー」という流れなんですね。
それにしても「Charmbient(チャームビエント)」というタイトルは素敵です!


Q7. 1stアルバム「snow mobiles」について、当時の制作状況について、お気に入りの楽曲等についてお聞かせください(下記「snow mobiles WEBSITE」リンク内にも当時の制作状況が記載されています。1stから3rdの各曲の試聴も可能です。→2023.11.11 遂にサブスク解禁されました!)。


@遠藤

1stはレコーディングやなにやらがすべて初めてのことだったのでいろいろやっているうちにあっという間に終わってしまったという感じです。
機材は当時から自分たちが持っていたRoland JV1080とかKORG 01/wとかを持ち込み、その他シンクシンクにあったProphet5などなどをオリが持っていたmacbook(当時白黒)のシーケンスソフトのPerformerで動かし、レコーディングしていきました。



僕がレコーディングで印象に残っているのは、ある僕のボツ曲でスネアドラムの代わりにお菓子のアルミの箱を叩いたのをエフェクトをかましてスネアの音にしたことですね。あれはとてもいい音がしていました。
他にもくしをジャリっと指で引いたときの音をパーカッションとして使ったり(ビビアン)、TB-303の音源をベースに使ったり(きみのこと)、レコーディングでは素材はなんでも、音の出るものはどんどん使ってエフェクトで加工していくという醍醐味を満喫できました。とても勉強になるものでした。
お気に入りの楽曲は「ビビアン」で、デモの段階からあのコード進行とメロディーは自分の作曲に関する概念を超えており、コンセプトとメロディーとコードの響きと歌詞が高次元で結びついている稀有な曲だと今だに思っています。

@tpopsreryo
結局最もテクノ色の濃いサウンドの1stアルバムでしたが、相当に実験的な試みを繰り広げていたんですね。その辺りは非常にYMO的というかルーツが感じられますよね。こうしたサウンドも私は非常に気に入っていたのですが、やはりショッキングだったのは折原さんの詩でした。言葉選びが絶妙でPOPSとして異常。「さいくりんぐる」の「朝顔瀬橋」は盛岡市の「夕顔瀬橋」を意識したものなのか・・とか、「きみのこと」の「方解石に仕切られた風な世界」とか「氷質幻想」の「偏光顕微鏡」とか「畢竟三千世界」とか、まあ何ていうか詩に使われる単語自体が驚きの連続でした。「こんな歌どこ探してもないよ〜」というジャパニーズオリジナリティを感じましたね。
(遠藤さんはこの1stアルバム収録の「ゆうぐれ薄紫」をこの度セルフカバーされています。1983年リリース仕様に生まれ変わっていますが、スノモーの世界観はそのままですのでご参考に・・ドラムの音カッコイイ!)


Q8. 2ndアルバム「銀の烏と小さな熊」について、当時の制作状況について、お気に入りの楽曲等についてお聞かせください。

@遠藤
2ndは1stである程度出し切った音楽への情熱を改めて違った角度から出したようなアルバムですね。
機材やレコーディングの方法はそのままに、よりアコースティックな生音を積極的に使っていこうとする姿勢で臨みました。
オリはギターやベース、僕は生ドラムを使う頻度が増え、田尻(光隆)君による生ピアノが入ったりしています。
楽曲はよりロック寄りになったり、童謡寄りになったりとバラエティに富んでいますね。
お気に入りの楽曲はやはり「雨」ですね。実はこの曲はそれ以前からあった曲で、僕がCASIOのSK-1のピンポン録音で作っていた英詞による歌唱のデモがあり、それをブラッシュアップした形になりました。僕の発想ではドラムはLinn Drumでと思っていたのですが、せっかくだからということで生ドラムになりました。寺田さんのマジカルなミキシングであの強力なゲートドラムの音に仕上がりました。視聴した時には思わずニンマリでした笑。歌は実はオリのファルセットとのユニゾンですね。この曲はこれからセルフカヴァーしてみたいと思います。

@tpopsreryo
テクノ色を残しつつも肉感的に近づいたサウンドになりまして、個人的には少し好みに遠のいたと思いつつも聴けば聴くほどスルメ状態になった名盤でしたね。歌詞は「美空とんび」が言葉のチョイスが抜きん出ていて脱帽でしたが、楽曲単体としては私もやはり「雨」!スネアの音が素晴らしいです。生ドラム大正解だと思います。さらりとCASIO SK-1のピンポン録音と言われていますけど、カッコいいですね。SK-1(実は私持っています)をそういうメモ帳的な使い方をしている方を初めて知りました(笑)


Q10. 1998年のオムニバス「ポップゴーズオンエレクトロ」収録の2曲、
「新しい名前」と「南向き斜面の日時計」(この曲大好きです!)についてお聞かせください。

@遠藤
ポリスターからマキシシングルを出すということになって、その前に当時スクーデリアエレクトロの石田ショーキチさんプロデュースでオムニバスに顔見せということで参加させていただきました。という経緯だったと思います。
この頃は確か2ndを作った直後ですでにマキシシングルも出すことが決まっていたので、なんか毎日曲を書いていたような記憶があります。その中で出来たのがオリの「新しい名前」と僕の「南向き斜面の日時計」です。
これは作曲の経緯をよく覚えています。当時出来たばかりのインターネットでmidiデータをやりとりしながらキャッチボールのようにして作りましたよ。
「新しい名前」はドラムパターンをまず普通のパターンじゃない、変なパターンにしよう!ということであの独特なリズムパターンになりました。また、ベースラインも突然16分になったりする変則的なパターンですが、確か参考にしたフレーズははっぴいえんどの「抱きしめたい」だったと思います。イエーイイエーイヨオとかオリのネイティブアメリカンの思想に影響を受けた歌詞が秀逸です。


「南向き斜面の日時計」は僕がメインで書きましたが、聴いてみてお分かりのようにこれはサンディー版「Drip Dry Eyes」のオマージュですね。結構そのまんまです(笑)

元々僕が打ち込んだのはTR-808だけのリズムでもう少しミニマルっぽかったのですが、ドラム音源(確かALESIS D4)で置き換えてみたらよかったので採用になりました。イントロの上昇するコードにつけたメロディーはこれも実は一風堂の「アフリカン・ナイツ」のオマージュです。あの当時すごく聴いていたのです「Night Mirage」。

サビのメロはオリとの共作でこの頃からディミニッシュとかに凝っていたんですね。バッチリはまりました。

@tpopsreryo
このオムニバスの2曲はどちらも名曲の誉れ高い楽曲ですよね。「新しい名前」のあのリズムパターン、大好きです!人間味も何もないぶっきらぼうなリズムに味のあるベースが絡む様と、間奏でのどかに転調する部分が好みでした。
「南向き斜面の日時計」は素晴らしいですよ。あの全体的な浮遊感は「Night Mirage」ですか!この楽曲はIce Choir(注:ニューヨークブルックリンの80's Japanese newwave & City Popに影響を受けたシンセポップバンド)のメンバーに聴かせてあげたいくらいです。Aメロから着地点を失っているようなメロディですが、Bメロから徐々に軌道に乗って(気の利いたベースフレーズも粋ですね!)サビでしっかりまとめてくる玄人技で当時もスゴイなあと思っていたのです。「Drip Dry Eyes」風味も確かに感じられますが、それ以上にオリジナリティを感じます。硬質なリズム音源のALESIS D4は正解だったと思いますよ。


ーー「風note」は単独の曲がどうこうというより、音が始まる最初のコーラスの瞬間から最後のコーラスまでで一つの完全なる作品になっていると思います。(遠藤)


Q11. ポリスターからのメジャーデビューとシングル「晩秋のつむじ風」「風景観察官と夕焼け」について、当時の状況をお聞かせください。

@遠藤
ポリスターからマキシシングルを出すということでオリも僕も作曲活動にこれまで以上に真剣に取り組むと。シンクのスタジオに長時間居続けて深夜までレコーディングをすることが続きました。この期間にボツになった曲は数十曲になると思います。
「晩秋のつむじ風」、「風景観察官と夕焼け」両方とも当時二人ともエレピが流行っていまして、それが楽曲に反映されていますね。
「晩秋のつむじ風」はキャッチーなサビ始まりの曲でオリ会心の一撃です。何気にTR-909が普通のドラムのように使われているのがポイントです。
「道雪」は僕のビートルズ趣味が多大に表れた曲です。自分としては、サビ終わりからAメロに移る時のブラスのフレーズが大変気に入っています。テクノでビートルズ(中期)魂を表せたかなと。


「風景観察官と夕焼け」はその頃ますます加熱していったビーチボーイズ中期などへの憧憬が如実に表れてきていて、3rdへの布石になっていますね。音楽というものは、もともと自分の中にある大好きなルーツとなる音楽があって、それに近づこう近づこうとして形として現れるものだと思うのですが、それが他のメンバーやその時に流行っている音楽などの影響を受けて自分が想像もしなかった方向に結実していくことも多分にあるのです。だからこのマキシは折原の趣向するものと遠藤の趣向するものが違うベクトルを向くという最初の作品になったのではないかと思います。それは全然悪い意味でもなんでもなく、双方が影響されたものを出しつつ、よりテンションの高い次元でそれを融合していこうとする試みだったのだなと思えます。
「風景観察官」は展開の多さからまさしくプログレですし、「春待ちの原」は折原の好きなボブ・ディランが顔を出し、「フィールドワーク」は遠藤の好きなシュガーベイブなどのシティーポップ的なものが顔を出すという。2者2様のルーツ音楽やその当時の心境が、その当時流行していた音像と結びついた稀有なマキシシングルでした。売れませんでしたが(笑)

@tpopsreryo
ポリスターからのメジャーデビューが決まった時は嬉しかったですよ。しかしこのあたりはスノモーも転換期であって以前ほどテクノっぽさは後退していて、実は「晩秋のつむじ風」あたりは(ワザとかもしれませんが)妙なスカスカ感があって拍子抜けだった思い出があります。しかし今思えばそのスカスカ感はTR-909とエレピにあったのかなあと。「アンドロメダ交響曲」はテクノなスノモーの面目躍如ですね。「道雪」はヒュイヒュイといった音色がYMO魂を、コーラスワークは「風note」の前哨戦的な感じです。
「風景観察官と夕焼け」はそれはもうなんだか超合体な感じで・・・(笑)
つぎはぎな楽曲構成もそうですが、深いエコーのかかり具合がドリーミーでプログレビーチ・ボーイズな味わい。そして観察官ボイスは当時は流石に何事かと思いました(笑)
「春待ちの原」も「フィールドワーク」もシングルのカップリングには惜しいほどの名曲揃いで、贅沢なシングルだと思います。歌詞のわざとらしい韻の踏み方などクセになります。「春待ちの原」はAメロからサビまで全く隙がなく淀みなく流れていくのですが、これがまた難しいと思うのです。折原マジック炸裂ですね。そして「フィールドワーク」はもうスーパーです。私のスノモーベスト3は「夏降る雪のうた」「南向き斜面の日時計」そしてこの曲ですので。雪解けの初春にぴったりの名曲です。長年気になっていたのですが、あのシンセソロ(最後のノイズが実にいい!)はKORG MS-20ですか?

@遠藤
「フィールドワーク」のシンセソロは僕のSH-101です。確か僕がソロを手弾きしながらオリがつまみいじっていたと思います。すごくバッチリはまったと自負しております。

@tpopsreryo
あれはSH-101だったんですね!しかも弾く人とツマミいじる人が別!あれ、本当にカッコ良いのです。長年の謎が解けました。ありがとうございます!


Q12. 3rdアルバム「風note」について、当時の制作状況について、お気に入りの楽曲等についてお聞かせください。

@遠藤
このアルバムは先ほど言った様にビーチボーイズなどへの憧憬がより明確な形で現れたものになりました。
オリの趣向が全面的に出たものになり、また、その音楽性を全体的にマイクロスター佐藤(清喜)さんにお力をお借りしながらサウンドプロデュースしていただいた感じです。
きっとオリに聞いた方がこのアルバムに関してはコンセプトから曲調から詳しい話を聞けると思うのですが(笑)、よりコーラスや生楽器の比重が増え、そのコーラスについても複雑な重なり方をしていたり、生楽器もある程度高度な奏法を駆使するといったものでした。
サウンドプロデューサーの佐藤さんの一切妥協を許さないその音作りの方法には非常に感銘を受けました。
佐藤さんの自宅スタジオに出向いてコーラスを録ったりアレンジしたり、それをシンクシンクのスタジオに持って行って再度コーラスを重ねたり生楽器のピアニカを吹いたり、生ドラムで叩いた素材を使ってもう一度ドラムパターンを組み直したりなど、非常に複雑なレコーディング方法でもありました。
しかしその複雑な経路を通ったアルバムでしたが、最終的なミキシングによってコンセプチュアルな1つの音像を持ったアルバムに仕上げられたのは佐藤さんはじめ、シンクシンクの寺田さんによるマジックとしか言いようがありません。
ですからこのアルバムは単独の曲がどうこうというより、音が始まる最初のコーラスの瞬間から最後のコーラスまでで一つの完全なる作品になっていると思います。今もその感じ方は変わりません。

@tpopsreryo
確かにこの作品は全体が組曲というような印象で、通しで聴いて初めてそのクオリティの高さを体感できる種類のものであると思います。まさに遠藤さんのおっしゃられる通りですね。折原節な「パイプオルガン」や「雨降りの木の下」、ナイス佐藤さんの色がにじみ出た名曲「物語のさいはて」、ホソノイドな「夢の細道」、トリッキーな「ばかばやし」、多彩な側面を見せるものの、それらも1本の映画のようなストーリーをこの1枚から感じられます。佐藤さんプロデュースはハズレはないし、スノモーとのタッグということで聴く前から期待感は半端ではなかったのですが、その期待以上の仕上がりで嬉しかったことを改めて思い出しました。


Q13. スノーモービルズのその後の活動状況について、「夕景の魔法」の制作秘話についてお聞かせください。

@遠藤
2011年に起きた震災はオリにも僕にも精神的にも物理的にも大変衝撃を与えました。
特に僕は被災地に在住していたということもあり、まるっきりなくなってしまった自分の町に対して何ができるのかと考えている時に、3rdアルバムを発売して以来活動停止していたスノーモービルズで楽曲を作ろうとなったのはごく自然な気持ちの動きだったのです。
10年ぶりのスノモーでの楽曲制作でしたが、メインでオリが書き、確か2曲ほど書いたのですが、最終的にこの楽曲にしようとジャッジしました。歌詞も音も流行やルーツなどが見えない、最終的に佐藤さんのミックスで、素直で力強い楽曲になったと自負しています。
この楽曲からは年月がちょっと経ってしまいまいましたが、スノモーはまだ継続しています。何かの機会にまたいつでも活動を始められると思います。

@tpopsreryo
2011年の震災は遠藤さんにとって非常にショックで通常では立ち直れないほどの出来事であったと思います。そんな中で「うみねこタイムズ」の編集に携わったり、音楽での復興を試みたりと故郷のために積極的に活動していく遠藤さんの姿は、はるか遠い地域で暮らしている私のような者にとっても心打たれるものがあったのです。そんな中でのスノモーの新曲、まさに何色にも染まっていない素直な心象風景がモロに出た楽曲ですよね。何も考えずただただ心に染み入ります。


Q14. 最後に、現在注目されているアーティストはいますか?

@遠藤
これくらいの年齢になると新しく注目するアーティストというのは非常に数が少なくなっているのですが、実はtpopsreryoさんもご推薦のIce Choirが結構好きです。あの音像やコンセプトは今回の僕のソロアルバムの作成に非常に力と影響を与えてくれたことは明記しておきたいと思います。ニューアルバムも非常に楽しみです。

@tpopsreryo
最後にまさかのIce Choirで驚きました(笑)


確かに遠藤さんに通じる部分があるサウンドやメロディの構築ぶりですからね。彼らも喜ぶと思います。しかし彼らはスノモーを良く知らないと思いますので、なんとかしてスノモーと今回の「HIROFUMI CALENDAR」を彼らに聴かせてあげたいと思います。
なにせメンバーのPatrickのアカウント名が「@nightmirage」ですからねw

(後編に続く)

後編はいよいよ「HIROFUMI CALENDAR」の収録各曲のサウンドの秘密を明らかにしていきます。乞うご期待!



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