ヒカンテキな人
「未来のことは誰にもわからない。」他人と比べて経験値のはるかに少ない自分が持っている,数少ない経験則。
私はこの経験則をとても大事にしている。達成したい何かがあるとき,それを受け容れてもらえるように最善は尽くすけど,あとは分からない,相手次第。
意外と何とかなるかもしれないし,何ともならないかもしれない。すごく褒められるかもしれないし,びっくりするくらい叱られるかもしれない。
この心持ちでいると,少しラクになる。
悲観的な人は一定数いる。(こういう言い回しは好きではないけど)最近悲観的な人が増えているような気がするし,悲観的なことを言う人はSNSやメディアで人気者になりやすい気がする。
なぜだろう。
私は楽観的な人が好き。SNSでもフォローしているのは楽観的な人たちだけ。何なら少しでも悲観的なことを投稿している人はすぐミュートする。
付き合いの長い友人もみな,根が楽観的な人。意識して選んだわけではないけど,自然とそうなっている。
悲観的な人たちは悲観的な人たち同士で集まってるのかな。
話を戻す。この先どうなるかなんて誰にも分らないのに,悲観的でいる意味はあるのだろうか。
少し前に台風が来ていたとき,水を多めに買って備蓄した。これは悲観ではない,準備。
コワい上司に会う前に,聞かれるかもしれないことについて徹底的に調べる。これも悲観ではない,ただの予習。
準備や予習をしているときに不快な感情は無い。むしろちょっと楽しい。
悲観するだけで行動しない人のことを肯定できない。行動しないのなら楽観的なことしか言わないでほしい。悲観している人を見ると何だか気持ちが沈んでしまうから。楽観的な言葉を聞くと笑っちゃうから。
そういう意味ではこちら側,受け取り手の問題か。
言語化してみて思ったこと,悲観的であること自体は問題ではない。散々周りを不安にしといて自分は何もしない,という姿勢が問題。
できれば楽観的でいよう。その方が周りの人たちは楽しいと思うから。でも準備と予習はする。準備と予習だけなら誰にも迷惑をかけないから。
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