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リンカーン大統領の家 国立史跡 イリノイ州


2023.06.28
アメリカ横断25日目。今回のアメリカ横断旅行、第1章はルート66を使い、シカゴにあるルート66の起点を目指し、途中では国立公園群を巡るため、一時離脱があるがこの国立公園巡りが第2章で、そして第3章は、シカゴからカナダに越境、ナイアガラの滝、ワシントンDC、ニューヨーク、ボストンまでの行程であった、第2章国立公園巡りも終え、、再び第1章の続きルート66を使いシカゴまで目指すことになった。


イリノイ州スプリングフィールドにあるリンカーンの家国立史跡にやって来た。地図


この史跡は1971年に設立され、エイブラハム リンカーンが1844年から1861年まで家族とともに住んでいた家を現存保存しているものです。


言わずとも知れたエイブラハム・リンカーンとは、アメリカ合衆国第16代大統領で、2期(在任1861~65)にわたり大統領を務めた人物であり、開拓農民だった父トーマスと母ナンシーの第2子(第1子は長女セラ)として、2月12日にケンタッキー州のホッジェンビル付近の丸太小屋で生まれた。彼の代表とする出来事と言えばなんと言っても「奴隷解放宣言」を行ったことでしょう、また、南北戦争では北部を勝利に導き、アメリカ統一を成し遂げ、アメリカ国内では「史上最高の大統領」とも呼ばれています。


邸宅史跡周辺では、リンカーン家を含むリンカーン時代の14軒の家が保存されているのには気が付かなかった、道理で人影が無く物寂しい雰囲気だと思った。


リンカーンとメアリー・トッドは 1842 年に結婚し、グローブ・タバーンに住み、1844年に8番街とジャクソン街の角にある家を購入し、第一子のロバートが1843年に生まれ、その頃のリンカーンは、厳しい家計で暮らしリンカーン自身がを切り、水を運び、牛の乳を搾った。リンカーン大統領の就任に向けて一家がワシントンDCに引っ越したとき、偶然にも家は売却されずに賃貸され、最高の家具は最終的な帰国に備えて倉庫に保管された。しかし、1865年4月15日、暗殺者の銃弾がリンカーン大統領の命を奪いました。それからもリンカーンの家は集会、式典、祝典などに利用されていたが、リンカーンの息子ロバートが 1887年にこの家を将来のために保護し保存するためにイリノイ州に寄贈し、1960 年に国定歴史建造物に指定され、1972年に国立公園局に移管され、最終的に、1976年に地区として国家歴史登録財に追加されていた。だが、営業時間を過ぎていた為、建物内部の内覧は出来ていなかった。

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