教わることが上手にならないといけない、という話

おっさんになると自分の経験と成功体験から来る『こうあるべき論』みたいなのを話す機会が多い。これは自分がしたいかどうかに関係なく、外から望まれるパターンが単純に増える。

例えばずっとエンジニアやって現場に張り付いてたいと思っていても、現場にどんどん若いモチベーションがある子が入ってくると、その子たちに面白い環境を提供したいと思うのは人情だろうし、その子たちが自分も悩んだような問題で悩んでいたら自分の解決方法を共有したくなるのは当然だろう。一切しないほうがむしろ変だ。

そうこうしているうちに現場の代表、みたいになって他のグループ、例えばデザインチームだったりプロデューサだったりはたまた経営陣だったりクライアントだったりと話す機会が増えていく。

そして相対的にどんどん現場に居る機会は減っていく。しかし現場代表としての意見は求められる。そういう板挟みの状況になっていく。

そんな中で勿論現場に居たい!といってそういったことを断って己の技術を磨くことにリソースを集中する大人も居る。

僕はそのポジションは諦めてしまった。ものづくりは勿論好きだがもっと話す人が増えないと、と思っているし、他の人がものつくったほうが良い場合も多いので、自分は話すのが仕事、というのが良いのかな、と思うようになった。

が、この前ある人から『現場から離れてものづくりについて発言してる人ってそのうち現場から刺されるんだよね』という話をされた。

現場の代表として、現場の声を外に届けているつもりで行動し、発言していても、何処かのタイミングで現場から『いやそんなの俺ら言ってないし』と言われてしまう、というヤツだ。

アイデンティティの喪失であり、後ろから刺された気分にもなるだろう。端的に言って悪夢だ。

そして昨日、そんなこと言われたんだよねーどうしたら回避できるのかな、という話をしてた時に『教われば良いんじゃね?』と言われた。

なるほど!と思った。俺の現場感だけで動いて更新されていないから文句が出てくるのだ。勿論、自分の現場感を説明しなければならない時には間違ってようが狭かろうが説明するしかない。

が、そこに対してより現場サイドから話が聞こえてきたらちゃんと教えてもらい、自分の現場感を更新すればよいのだ。そのためには『現場』感覚をぶつけあうのではなく、相手の現場を教えてもらうポジション取りや発言が重要だ。『教わり上手』にならないといけない。

確かに『教わり上手』になることはとても重要だ。学生の話を聞くのに一方的に教えて聞き出すのではなく、ちゃんと自分が教えてもらう姿勢がある人は学生にも人気があり、学生から色んな情報を仕入れているように思う。

これも主語の問題とも言える気がする。WeなのかIなのか、私の意見なのか私たちの総意なのか。曖昧にせず、はっきりさせることで『教え合え、高め合える余地』が出てくるのかもしれない。



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