エヴァンゲリオンとわたし

エヴァンゲリオンを初めて見た1995年、私は14歳だった。

*ネタバレは書いてないです。

1995年:TV版

放映開始当時、私は中学二年生だった。高知県というド田舎に住んでいた。民放が2チャンネルしかなく、この直前に親が家にケーブルテレビを引いたところ、テレビせとうちという瀬戸内海の民放の再放送チャンネルがあり、テレ東系列が見れるようになった(テレビせとうちの再送信は1993年かららしい)。平日の夕方6時から、しかも再放送じゃない新作アニメが毎日2本も3本も放送されていることに衝撃を覚え、4時に学校が終わると、1時間半ぐらいの道のりをチャリでぶっ飛ばしてアニメを見に帰っていた。

エヴァンゲリオンのTV版は2話目から見始めた。割と早い段階で昔NHKで放送していてよく見ていた『ふしぎの海のナディア』というアニメの制作会社が作っている会社だと知った。ナディアも良く見てたからエヴァも追っかけてちゃんと見よう、と思った。ビデオの録画もしはじめた。

当時、自分は中学受験をして小学校からの付き合いの友達のコミュニティと中学校からの付き合いの友達のコミュニティが完全に分断しており、アニメ好きが居るのは小学校の頃のコミュニティだった。

お世辞にも頭が良い人間ではないので、TV版のエヴァを見ていても全部の内容を深く理解しておらず、当初は少なくとも『ロボットかっけえ!』『キャラかわええ!』の延長でエヴァは見ていたと思う。そんな自分も最後のほうは凄く引き込まれていて毎週何があっても見てた。カヲル君が死ぬシーンは何故かその日は夕食がやたら早くて飯を食いながら、しかも親が見ている場所で首が落ちるシーンを見なければならず、非常に気まずかった記憶がある。

TV版の最終話を見た時は『すげぇもん見ちゃった』感を感じた。その後自分の周りで一気にエヴァの話題が増えた。書いたようにケーブルテレビでしか放映してなかったので、毎日のように自分の録画したビデオを貸してくれ、という話が来て貸しまくった。

このエヴァというものを中心に何か凄い事が起きている気がして、ムックやらなんやらを買って何が凄いのか、何が起きているのかを理解しようと試行錯誤した(地元の金高堂という地下の小さな本屋で同人誌的なムックを物色したりしていた)。

そのうち最終話二話をリメイクされる、という発表があった。Death and Rebirthだ。

1997年:Death and Rebirth Air/まごころを、君に

中高一貫校だったので、1995年の放送当時と自分の環境的な変化は少なく、それ故にゲームやアニメをひたすらに摂取していた。Death and Rebirthは『使いまわしばっかじゃん』と悪態を付きながら速攻見に行った。TVは放送してなかったのに映画はしっかり上映された。地元の、今はもう無い小さな映画館だった。内容は覚えてないが(というか内容はTV版のほぼ再編集だが)期待は映画を鑑賞することで凄く高まった記憶がある。きっと自分は歴史のものすごい1ページを見ている、そういう確信を感じていた。

そして半年ぐらい経ってAir / まごころを、君にを見に行った。このときは高校の友達(つまり中学校からの友達)と行った。前回のDeath and Rebirthよりも大きな映画館で行われていて(ちなみにこの映画館ももうない。地元にはもうイオンのシネコンに全部駆逐された。)、前売り券もしっかり買って、チケット購入の列はパスして、入場待機の行列に並んだのを覚えている。滅茶苦茶人が居た。

映画の内容は正直うまく言い表せない。ただ強烈に衝撃的で、訳が分からなかった。TV版と違って考察やなんやらを探し回ったりしなかった。周りと感想を話し合ったりもせず、なんとなく話題を避けていた。それは自分だけじゃなくて周り全員そうだったと思う。

2007年:新劇場版

10年経って僕は大学院生になり、神奈川県に住んでいた。エヴァのパチンコが大流行りし、その流れでエヴァンゲリオンが再度映画として制作されて上映される、という話を聞いた。

当時の気持ちを思い出すのが難しいが、正直それほど期待していなかった気がする。といいつつ隣の市のシネコンまで公開初日のレイトショーを見に行った。

今思うと土地柄もあるのかもしれないが、明らかにオタク層とは違う、パチンコでエヴァを知ったと思われるおじさんなどが多く並んでいて『若い子とパチンコでエヴァを知った層にエヴァを説明するために作ったのかな』と思ったのを覚えている。実際内容はTV版の再現というか再構成のようなもので、それほど想定外のものではなかった。

2009年:序

2009年に京都に移住し、就職し、社会人になった。住んでまだ2か月そこそこの街の映画館で序を見た。

今までの流れ(TV版、Death and Ribrth、序と15年かかってシンジ君の行動を繰り返し見た)と大きく違うシンジの行動を見て『ああ、シンジ君は変わるのかもしれない』と思った。そしてシンジ君が変わるなら、エヴァが変わるなら自分の気持ちも変わるかも知れない、と思った。

今更ながら自分の持っている『オタクと呼ばれるマインド』がものすごくエヴァの影響の元にあることに気づいた。『Air/まごころを、君に』について語れない判らなさ、後ろめたさが私の持つオタク感の後ろめたさ、つまり『生きづらさ』と強烈に繋がっていた。それが15年も私の中にずっとあって、それを持ったまま私は大学に行き、大学院に行き、社会人になっていたのだ。

DVDパッケージになってからも何度も見た。作品に期待した、というか作品に縋っているのを自覚した。

2012年:Q

引き続き京都にいて、社会にも会社にも慣れつつあった頃にQを見た。ものすごく困ったのを覚えている。裏切られた、というか『Air/まごころを、君に』とは違う意味で混乱した。私はエヴァに期待しすぎたのかもしれない、と思った。劇場で1回見て以降、しんどくて見返せなかった。

2021年:シン・エヴァンゲリオン

8年の間に務める会社が変わり、仕事内容も変わり、大学の先生をしたりするようになった。転職期間に自分の振り返りや棚卸をした。祖母が亡くなりエヴァの頃に居た家族は半分いなくなった。コロナに罹って『判り合えないことを認め合うこと』の難しさを体験した。葬式で数年ぶりに町を歩くとデカいイオンが立ち、エヴァを見た映画館もその周りの商店街も大きく様変わりしていた。

『シン・エヴァンゲリオン』は『完成した』という話は廻っていたがコロナで何度も上映が延期された。上映日の話が出るたびに憂鬱になった。絶対見に行く。でも『Q』の流れのままだったらどうしよう。いや、むしろ駄作として決着がついたほうが良いのではないか。駄作であれば僕は20年間の『後ろめたさや判らなさを抱えたオタク』だったことを切り捨てて生きていけるのではないか、損はするかもしれないがそのほうが楽なのでは、などと考えたりしていた。

今は陰キャも陽キャもゲームもやるし、アニメも見てる。TikTokにはアニメファンを国内外問わず見る事ができるし、同人みたいなエロカルチャーすら当時から見るとかなり許容されつつある。多様性というやつかもしれない。

でも私は『阻害されるオタク』を、『マイノリティとしてのオタク』を未だ抱えている。これは確実にエヴァで拗らせたものだ。そしてそれを持って25年間過ごし、40手前まで来てしまった。この『よくわからない、後ろめたいオタクマインド』みたいなものは実生活において良く転んだ事もあるし悪く転んだ事もあるだろう。ただ25年も付き合ったら最早自分の一部だ。でもまだこれに対しての向き合い方は正直良く判ってない。エヴァへの向き合い方が、TV版の最終話や『Air/まごころを、君に』が判らないように。

公開日前日の昼間、悩みに悩んでチケットを予約した。そしてガンガンに酒を呑みながら『Q』を見直した。とても素面では見れない。9年ぶり2回目。なんとか見終わって、次の日に備えた。

今、映画館に来ている。平日なせいか、それとも客層が変わったのか若い人が多い。実際『入場の際、学生は学生証の提示をお願いします』というアナウンスがあると半数近くの人が動いた。

中には入らず客を眺めていた。若い子もどこか昔のオタクのような感じがある。大学生の客が『Q』を初めて見た時のことを話ししているのが聞こえる。昔に比べると男女で来ている人が多い気がする。大人にもザ・オタクという格好の人がちらほら居る。

待合室に人が居なくなった。そろそろ劇場に入ろう。

25年間、ずっと自分の心の片隅にあったオタクマインドと向き合う時だ。


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