仕事は大長編ドラえもん説

酔っぱらった勢いに任せて退職した勢いで色々書いてみる。何分酔っぱらった勢いなので明日には消すかもしれない。

といってもワンテン暴露ネタとかそういうのは一切無いので、そういうのが欲しい人は他の退職エントリを読んで欲しい。

あと自分のネクストアクションを読みたい人もこのエントリでは書かない。後日、素面で書くやつを読んで欲しい。むしろこれは読まなくてよい。読むな。


と、予防線を一通り貼り終わったので書き進める。

自分としては38歳にして2回目の退職となる。

1度目は32歳の時、NEWLYというイケてるスキャナを作ってる会社からイケてるインスタレーションを作ってる1‐10designに転職するときだ。あれから6年経った。約5年ごとに環境を変えていることになる。

自分は人の別れに慣れてないのか、別れ話に対して真摯に対応できない。

挨拶を任されても茶化してしまいがちだ。すげーライトな対応をしてしまって「え、そんな軽く考えてるんだ・・・」みたいに思ってる人、もっと平たく言うと森岡は薄情だなーと思ってる人も少なくないと思う。

前回の会社での送迎会でも挨拶のあと、「いや、お前、お前の功績を認めて普段死ぬほど忙しいみんなが集まってくれてるんだからさ・・・もっと他にないの、言うこと」と上司に呆れられてしまった記憶がある。実際、普段は毎日10時まで仕事してる会社の超重要人物が集まってくれて死ぬほど嬉しかった。でも僕はちゃんとした挨拶ができなかった。何をしゃべったかは覚えてないがどーでもいいことしか喋ってなかった記憶はしっかりある。兎に角別れが苦手なのだ。深刻な時ほど明るくライトな話題で対応してしまう。今回も別れの挨拶は「お前ら、確定申告ちゃんとやっとけよ!」だった。馬鹿じゃないだろうか。もっと言うことあるだろう。

自分が離れるだけじゃなく、人が別れていく時も寂しくなってしまう。以前良く仕事をしていたプロデューサが他社に移ることが決まった時、外面には出さなかったけど一人でめっちゃ泣いた。何の非の打ちどころもない栄転、というか非常に前向きな転職にも関わらず、だ。4年ぐらい前に四条河原町周辺で坂本真綾の『僕らが恋をする理由』を歌いながら泣いてるおっさんが居たら多分僕だ。この時に一人酒を覚えた気がする。

手に入れるものじゃなくて、約束交わすことじゃなくて、それぞれに向かう場所が似ていたら良いと思う

この歌詞だけを頼りに毎回立ち直ってる(本当は恋愛の歌だけど気にするな)。人が離れること、他人が離れることに対してナイーブすぎてまともに対応できないのだ。ドライに対応する以外の選択肢がない。兎に角心のタフネスが足りない。HPが低い。

別れの話を切り出したり、聞いたりするたび酔っ払い、時間が大学生の頃にタイムスリップする。

灰羽連盟というアニメをよく思い出す。

2002年に放映されたアニメだ。当時大学2年生、20になったかならないかくらい。Serial Experience Lainという今でもカルト的な人気を誇るアニメを作った制作者たちが作った2作目の作品だ。LainはちなみにこのVapor Waveの流れの中で再評価が進んでいるらしい・・・がここではこれ以上突っ込まない。あ、これ以降灰羽について盛大なネタバレをするので興味がわいた人は今すぐ離脱してネット配信見てきてください。1クール13話かそこらなので5時間あれば見れるはず。

この灰羽連盟、基本ほのぼのファンタジー日常系アニメのフォーマットに乗っ取っているが、突然主人公の仲間が失踪していく。話が進んでいくと主人公たちは全員「幼くして自殺した子供たちの生まれ変わりで、ここにいるのは束の間のことで、罪が許され次第ここではないどこかへ旅立っていくのだ」ということが判明する。現在居る場所は自殺を選ばなければいけなかったような地獄のような現実と、天国との間の緩衝地帯だったのだ。

いかん。灰羽連盟の知識が怪しいかもしれないと思ってググりたくなってきた。酒が足りない。知識の正しさはどうでも良い。そもそも学生時代の1回しか見ていない。問題は自分がどう受け取ったか、だ。自分はこの作品で世界に吹きすさぶ強烈な『孤独』を感じた。仕事場や共通の趣味を持つ仲間はこの強い風からお互いを守り合える数少ない仲間だ。

この世界は圧倒的に孤独だ。孤独の怖さはプラネテスでも学んだ。何もない真空の宇宙の中に身一つで放り出された主人公は木星へ旅立つ宇宙飛行士になるため、他のあらゆるものを犠牲にし、踏み台にする覚悟をしていたにもかからわず宇宙恐怖症になる。

オネアミスの翼も同じタイミングで思い出す。

ちゃらんぽらんな生活を過ごしていた宇宙軍の士官候補生の主人公はかなりくだらない理由で宇宙飛行士を真面目に目指す。しかし最後は一人宇宙に打ちあがり、そこで神に許しを乞うのだ。僕は信心深いとはとても言えないが、祈らざるを得ない状況を想像して思いを馳せた。そして別れの度にそれを思い出す。

僕にはプラネテスの主人公や、『天の光はすべて星』の主人公のような、ロケットのような、第三宇宙速度を出せるようなモチベーションという名の燃料もエンジンもない。どうしようもなくええ格好しいで、相対的で、周りのみんなが居るから自分のやることが見つけられる、そんな感じの人間だ。

猫の地球儀のクライマックスの幽のように自分が環境に強いている負荷を考えるとまともに走れなくなる。止まってしまう。

人柄が素晴らしい人、仕事がめちゃできる人、先見の明がある人、自分は兎に角環境に恵まれてると思ってる。ワンテンだってその前のニューリーだってこれ以上の人が集まっている場所はなかなか無い。googleやamazonやfacebookがなんぼのもんかしらんが、じっくり見たところで『ワンテンのほうが上だな・・・』と言える点は1つや2つじゃないだろう。

でも今の環境が楽園であろうがなかろうが留まれない理由は出てくる。というよりもあらゆる場所は通過点でしかないのだと思う。

・・・ああ、ここまで書いて分かった。

秋山瑞人の『鉄コミュニケイション』のように。細田守の『時をかける少女』のように。大長編ドラえもんのように。僕にとって仕事は「夏休み」なのかもしれない。一つの夏休みをかけて、平凡な日常を送っていた主人公は新たな人物と知り合い、共に死線をくぐってに戦友となり、そして別れる。しかしその帰った先では今まで日常と全く同じではなく、主人公は少し成長し、視座を上げたうえで日常に戻るのだ。僕にとっては死線=夏休みのイベント=非日常=仕事で、別れは必然なのかもしれない。

酔いがさめたらもう少し考察してみよう・・・(自分の文章の支離滅裂具合に幻滅して全削除する可能性もあるが)。


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