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魂(たま)散歩16歩目。人を介することで自己の幸せを貪欲に求めた仲人の物語。

来ていただき、ありがとうございます!
大分お久しぶりになってしまいましたが、鑑定は日々行っておりますよ。

今回は「愛知県・K様」からのご依頼となっておりました。

では、此度もゆるりとお付き合いくださいね。

●K様の人間関係に現在一番影響を与えている過去世について

300年くらい前の日本です。
安芸…という言葉が視えているので、今で言うところの広島県の辺りなのかな、と思います。
その辺りで、生活されていた男性のようですね。

お仕事は…人のお仕事を紹介する仲介業者のようなことをメインでされていた、と話されています。
こちらでは便宜上…そうですね「仲人」さんという風にお呼びすることにいたしましょう。

仲人さんは、元々は現在の山口県の辺りの山村でお生まれになったそうです。
貧しい村でしたので、仲人さんも他の兄弟の方々も、ある程度のお年頃になったら、都会的な場所に奉公などの出稼ぎに行く、というのが一般的な時代だったようですね。

仲人さんもその慣例に習い、数えで9つの時に、安芸のとある大店に奉公に出てきたそうです。
ただ、そこの環境が中々厳しく、そのお店の大人たちにちょっとしたことで暴言をはかれたり、暴力を振るわれるのは日常茶飯事で、同じくらいの年頃の奉公に来た子などをかばったりすると、より八つ当たりされたりする…という、劣悪な状態だった、と話されています。

しかしながら、どんなに劣悪な環境であろうとも、子ども過ぎて他に働き口を探して見せるほどの気概もないし、大人たちの存在に怯えすぎて、そういう行動をしていることがバレたら、何をされるのかわからなかったため、ただひたすら目立たないように、ミスをしないように…と周りの奉公の子たちも息を潜めるようにして過ごしていたそうです。

唯一、そこのお店で良かった点としては、食事を取らせないということがなく、1日2食キチンと(量や内容については思うところはありましたが)食べることが出来たので、そこだけは「殺されはしない、生きていける」と思えるポイントだった、と話されています。

…さて、少し時間を進めてみましょう。

仲人さんが仲介業のようなお仕事をするキッカケとなったのは、数えで15歳になった頃だったそうです。

お店で働いている大人の一人に「奉公人の中で、一番美人を連れてきて欲しい。簡単な接待をさせたい」という旨のことを言われ、奉公仲間の女の子たちに内容を説明したあと「ならば自分が行く」と言った女の子を大人の前に連れて行ったそうです。

その女の子は、大人に別の場所に連れて行かれた後、2日後に帰ってきて、女の子と仲人さんそれぞれに「今回のお駄賃だ」とそれなりにまとまった額のお金と珍しいお菓子をもらった、と話されています。

その後も、大人の人は仲人さんに度々「接待役をしてくれる女の子」を連れてくるように言い、仲人さんは最初にやったように、女の子たちに「接待役の打診」があったことを伝えて、希望した女の子を連れて行く、ということをしていたそうです。

その都度、終わった後に大人からお金と珍しい食べ物だったり、小物などをもらったりしながら、少しずつ「これは普通に奉公して働くよりも効率が良いのではないか?」と思うようになっていったそうです。

ちなみに、最初の女の子から話を聞いた女の子たちが、その後は協力的になったため、回を重ねるごとに「連れて行って欲しい」と希望する子が増えていった、と話されています。

…また少し時を早めながら視てみましょう。

その後の仲人さんは、女の子を中心とした女性をお店の大人や別の男性に「接待役」として紹介し、大人や男性、場合によってはお仕事を紹介して欲しい女性から、紹介料としてのお金やそれの代わりになる品物を受け取っていたそうです。

そして、仲人さんの年齢が上がるにつれて、仲介していく人の幅が広がっていった…と話しています。

ただ、人の幅が広がれば広がるほど、悩みや問題も増えていったようですね。

女性を斡旋した男性側が不誠実であったり、逆に女性側が問題を起こしたり…様々な出来事がたくさんあったようです。
そこに対して、仲人さんは仲介という立場から、それぞれの矢面に立たされることが多く、対応がまずいと恨み言を言われたり、暴力を振るわれたりすることもあったようです。

特に女性から問題について相談を受けることは多かったみたいで…妊娠・中絶に関わるものや病気に関わるものなど、色恋絡み以外のものもたくさんあったようですね。

そうして手を広げていくごとに、仲人さんはお一人で身軽に行動されていたようなのですが…そのことを面白く思わない方々や、仲人さんの交渉力を利用したいと考える方々も近づいてくるようになっていったそうです。

そんな中で、仲人さんはご自身のお仕事を安全に進めるためだったり、仲介をしている方々の問題をスムーズに対応していくために、ちょっと柄の悪い方々とグループを作られるようになった、と話されていますね。

グループを作られてからは、たしかに仲人さんのお仕事自体は少しずつ安定してきたのですが、割と女性側に対して強引と言うか…言いくるめるような内容で交渉したりすることが増えて行ったようです。

…また少し時を進めてみましょう。

50代になるかどうか、というくらいの頃でしょうか。
仲人さんたちのグループに反発している方々に責められているお姿が視えます。
その際に、仲人さんは抵抗するのですが、それも虚しく複数の方に暴行を受けて、その怪我が元で亡くなられています。

……というのが、K様の人間関係に一番影響を与えている過去世となっておりました。

人に関わるお仕事というのは、どんな職種であっても「正解」があまりなく、自分なりの「ベターなところ」を探していくしかない、と言うのが色々な職業を経験してきた中で出した私なりの答えかなーなんて思ったりしております。

その中でも、人と人とを繋ぐ、ご縁を結ぶ…というお仕事というのは、より関わる対象が増えるからか、複雑さや難しさも一入だな、と今回の過去世を視ていて感じました。

はじめは仲人さんも「自分が介することで、双方が喜び、自分にも理がある」という利点の部分のみを純粋に見つめ続け、経験を重ねる内に「落とし所が見つからない中での落とし所を作る」ことや「割り切れないことも割り切る」など、自分なりの線引をたくさん作らざるを得なかったのでしょう。

そして、その中で出てきていた「こんなに頑張っているのだから、自分だって報われて良いはずだ」という思い。

その中にあった仲人さんなりの「幸せ」だと思えるもの…
仲人さんもそうですが、私達の「幸せの定義」というのが人それぞれです。

その「報われている」「幸せだ」と思えるものは、仲人さんにとってはお金だったり、周囲から頼られるという名声だったり、と自分以外の部分にあるもので、それらが手に入れば入るほど、苦しい部分が増えていくという「報い」を受けることになったり…という感じの内容が繰り返されたり続いたりしておりました。

確かに私達の生活の上でそういったものがある程度はないと、色々としなくて良い悩みや問題も発生する、ということもありますが…
そういった物質的なものというのは、無意識に「線引」しやすく、その線が自身の視点のクセを強く反映してしまっていたりするものです。

ただ、「だったら物質的な幸せを求めない」というのは、物質世界に生きて生活している上では暴論となりますし、そこから得られる幸せも確かに存在しているので、最終的には「自分なりのバランス」の話となりそうですが…

そういった「幸せ」に対しての考え方を改めて考えさせられる…そんな過去世となっておりました。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

とよみ。

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