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たったそれだけの言葉

君のことばに救われた

大学を卒業し、社会に出た30数年前のこと。
当時はバブル真っ盛り。

今考えれば、給料はそれほど高くもなかったが、仕事はそれなりに忙しく、リゲインのコマーシャルのように、みんなよく働き、よく遊んび、派手に買い物もしていた時代。

いろいろ辛いことも多かったが、楽しく調子良く生きる事で、気持ちのバランスをとっていた。

そんなモチベーションに、大衆操作されていたのかもしれない。

バリバリ働いて、思いっきり遊んで、バンバンお金を使う生活。

GWも明け、そんな忙しい生活に、だんだんと嫌気がさしてきた。
気持ちも落ちて、将来をみるよりも、自分の足元ばかり見つめ、暗い気持ちになることが多くなった。

それでも、派手にお金をつかって、楽しく遊ぶことで気を紛らせていたが、夏前になると、

「こんな生活一生続けていられない。」

そんな想いが頭の中をうめつくし、どこかに逃げちゃおうかなと、後先を考えずに、調子いいことを考え始めるようになった。

夏のボーナスが支給されたら、友達にも親にも誰にも告げずに、お金だけ持って北海道に行こう。
そのあとのことは、行ってからゆっくり考えよう。

そんなことを考えるほど、頭の中は逃げ出すことだけでいっぱいになっていた。

だれにも相談しないから、下を向いた考えが、どんどん自分を、深く深くもぐらせていった。

翌週にボーナスが支給されるというころに、たまたま、地元の幼馴染が遊びに来た。

彼も、学生から社会人になり、世の中にもまれ、いろいろと大変だったようで、そんな話をしにきたのだった。

逃げ出す気持ちがいっぱいの僕は、誰にも内緒で逃げ出すことに精一杯で、そんな気持ちをさとられないように、懸命に普通にふるまった。

仕事がたいへんだって話をしながら、ぼくも何気なく

「おれもたいへんだよー」と、軽い気持ちで話をあわせたときに、かれがなにげなく行った言葉が、ぼくの何かをめざめさせた。

「みんな大変なんだなー」


みんな大変。

自分だけしか見えていなかった僕に、その言葉でなにかが変わった。


そうか、みんな大変なんだ。
みんな頑張っているんだ。


それだけの気持ちの変化で、スーッと目の前が開けた気がした。


自分だけしかみていなかったことに、気づかせてくれた。

自分だけの考えは、時に間違った方向にはしってしまう。

自分だけではない、共に感じること。

「共感」


その後数十年たって、その話をしたことがあった。

「君のことばに救われた」

彼は、そんなこといったか?
と、何杯目かのレモンサワーを飲み干した。


君のことばに救われた。




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