九州ファシスト党〈我々団〉座談会「現代美術シーンという“原子力ムラ”」(その1)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 「九州ファシスト党〈我々団〉」の党員3名(外山、山本桜子、東野大地)による座談会である。2014年11月18日におこなわれ、紙版『人民の敵』第3号に掲載された。
 山本と東野は党内の「芸術部門」を称して、その機関誌『メインストリーム』の発行を2011年9月に開始した。彼らがとりあえず攻撃対象として設定したのが、「地域アート」などと総称される、行政などからの助成金に依存し、市街地活性化など“街おこし”“地域おこし”に貢献することを謳う全国各地の大小の芸術(とくに“現代美術”)イベントであり、その旗振り役とされる東京芸大教授・中村政人氏である。
 外山がテープ起こしして公開する対談や座談会は、まずたいてい、成り行きまかせで雑談的に始まる。この座談会もそうで、まあその“雑談”部分も内容的には面白いはずだと自負するが、“本題”に入るのは、この「その1」の後半からである。

 第1部は原稿用紙換算23枚分、うち冒頭11枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその11枚分も含む。

     ※     ※     ※

 “九州ファシスト党・芸術部門”の闘争(予定含む)

外山 よく2人で芸術談義してるみたいだけど、いつも最初どういうふうに始まるの?

桜子 だいたい外山さんに関する愚痴を云い合うところから始まる。

外山 じゃあ今日はそこは飛ばしてもらって……(笑)。『メインストリーム』(桜子&東野が共同発行している芸術批評誌の体裁の芸術弾圧機構)は今後も続けるの?

桜子 こないだその話をしてた。

東野 2012年の夏で活動が停まってて……。

桜子 『L’apl’a』(ラプラ。本誌である『メインストリーム』の別冊)を出したのが最後。

東野 でもそれ以降もいろいろやってはいるから、それらをまとめて報告する冊子を出さなきゃと(後註.2016年3月に第3号が発行され、さらに同10月に第4号、2019年9月に第5号が刊行されている)。

桜子 2013年には「トランス・アーツ・トーキョー」ちょっかい出して怒られて帰ってきました。

外山 他にも何かやってたっけ?

桜子 その半年後に美學校で「メール・アート」の作品を募集してたんで、それに参加した。

外山 東野君主催の“現代美術史講座”も最近何回かやってたね。

桜子 これからやりたいのは、例えば福岡大学とかのキャンパスの詳細な見取り図を入手して、当局の本丸の建物の屋根に巨大なクリスマス・ツリーを立てて帰ってくるための、綿密な侵入計画

外山 あ、実際にやるかどうかはともかく……(笑)。

桜子 いや、実際にやりたい。

東野 えーっ!?(笑)

桜子 クリスマスって、窓とかに白いスプレーでシューって絵を描いたりするじゃないですか。ああいうのでまず監視カメラにシューってやって……。

外山 こういうのはどう? あちこちの大学の詳細な見取り図をとりあえず作って回るの。特に、監視カメラがどこに設置してあって、警備員室はどこで、いつ何人が詰めてて、巡回のパターンはどうなってるか、逐一詳細に調べあげて公開する。その情報を何に活用するかは、活用する人の自己責任(笑)。

桜子 こないだ観た映画がそういうのだったね、スタローンとシュワルツェネッガーの。

外山 『大脱出』、観たねえ。

東野 どういう映画ですか?

桜子 絶対に脱獄できないことになってる刑務所に囚人として収容されて、脱獄してみせて管理体制の不備を指摘してあげる仕事を、スタローンがやってるの。だけどいろいろ陰謀があって、本当に脱獄させないつもりで最新の特殊な刑務所に放り込まれてしまう。そしたらそこにはテロ組織の幹部らしいシュワちゃんも放り込まれてて、2人で協力して脱獄するっていう映画。

外山 当然、刑務所の構造や管理体制をまずはよく観察するとこから始まる。

桜子 でもシュワちゃんがいればどんな計画でも成功するよね(笑)。

外山 うん、そんな気がする。

桜子 あと、新しい偉人伝をたくさん作りたい。子供向けに『ネチャーエフ』とか『塩見孝也』とか(笑)。子供たちに配って広める。

外山 図書館の子供向けコーナーに勝手に置いてくるといい(笑)。

桜子 そうか、図書館か。

外山 ひらがな多めの文体で作って。

桜子 わりと波瀾万丈の人が多いから、子供にも面白いんじゃないかと。ブランキもいいかもしれない。

外山 人生の半分は獄中だけどね(笑)。まあシャバにいる時はかなり派手か。

桜子 大きな夢を持って、一つのことをずっと頑張った人たちの話(笑)。ネチャーエフはちょっと暗いかな。やっぱり自らの手で人を殺したりはしてないほうがいいかも。

外山 そこらへんは書きようでどうにでもなるんじゃない? 最初の方でとにかくアレクサンドル2世を極悪非道な感じに書きたてて“悪役”にしとけば、“若さゆえの過ち”を繰り返して絶体絶命の状況に陥りながら、最後は暗殺に成功しちゃうんだから、感動的な伝記になるよ(笑)。

桜子 じゃあ塩見(赤軍派)議長もそういう方向で。

外山 塩見さんの主観的には自分たちの力で(09年に)自民党政権を倒したことになってるみたいだし(笑)。大望を果たして、市井の駐車場管理人として静かに生涯を終える、と。

桜子 まだ終えてないよ(笑)。(後註.その後、塩見氏は2017年11月に76歳で死去)


 桜子&東野、現代美術史を語る(笑)

外山 強引に“中身のある話”にしようというわけじゃないが、一般的には日本の現代美術史ってどういうことになってるの? ぼくは赤瀬川原平の活動史としてしか戦後日本の現代美術史を理解してないからさ。

東野 どうなってるんでしょうね(笑)。ぼくにもよく分からない。やっぱり日本では歴史的蓄積がおこなわれてこなかったから、同じところをグルグル回ってる感じで、“美術史”も成立しにくいんじゃないか。

外山 世界的には? 20世紀初頭の、未来派→ダダ→シュールレアリスムって流れはよく云われるけど、その先はどうなってるの?

桜子 こないだ東野さんがチャートを作ってた。

東野 作りましたね(後註.と、その“チャート”なるものを外山に提示したのだが、紙版『人民の敵』掲載時にもその画像は省略)。

桜子 私の認識としては、ダダが終わって以降はどうでもいいです。

外山 ダダ以降は、砂漠?(笑)

東野 ナチズムと第二次大戦があったから、その時にヨーロッパの文化人は芸術家も含めてだいたいアメリカに亡命してて、戦前はパリが芸術の中心ですけど、戦後はそれがニューヨークに移りますね。

外山 ウォーホルとか?

東野 ぼくが作ったチャートは、戦後の部分はかなりいい加減で……。

外山 「ランド・アート」ってのがどこからも線が結ばれずにいきなり出てきてるけど、突然発生した流れなの?

東野 いや、いろいろあるんですけど、ぼくの図がいい加減なだけです。

桜子 こういう世界の美術史と、日本の美術史がどう関係してるかも図解してほしい。赤瀬川の“宇宙の缶詰”も「ランド・アート」と関係してるんじゃない?

東野 あれはたぶん「ネオダダ」の文脈で、クリスト(「ランド・アート」の代表的な美術家)は意識してないと思う。

外山 クリストって、なんか地面が円柱型に掘ってくり抜いてあって、そのそばにくり抜かれたのと同じ大きさのでっかい円柱が建ってたりするやつだっけ?

東野 それは日本の「もの派」の作品。

桜子 クリストは布で建物とか橋とか、いろんなものを覆っちゃう人。

外山 あ、“梱包芸術”とか云って、とにかく大仰な……。

桜子 どんどん大掛かりになって際限がないから、そこで赤瀬川が缶詰を内側から“梱包”して“全宇宙を梱包した”ってことになるんじゃないの?

東野 赤瀬川はクリストとは別個に、独自に“梱包”をやってたんだよ。扇風機を扇風機の形のまま“梱包”したり。

桜子 あ、そっか。

東野 美術史講座で“宇宙の缶詰”の話をしたら、真壁(良輔。我々団の党員……後註.2017年末に除名)さんが「それはおかしい」って指摘してきた。本当に“宇宙を梱包した”と云うなら、作者自身がその外側にいなきゃいけないって。つまり例えば自分がいる部屋を内側から“梱包”して……。

外山 なるほど! 同志真壁、なかなかあなどれん(笑)。

桜子 じゃあ“引きこもり”ってのは、あれは……。

外山 「ランド・アート」だ。

東野 違うと思います(笑)。


 “ナチvsデモクラシー”という図式にはまる現代美術

東野 話を戻しますけど、ぼくは戦後の現代美術は、戦前の美術史を総括しきれてないと思ってるんです。

外山 戦前と戦後の間に断絶がある気はするよね。

東野 だからぼくの美術史講座でも戦前のことを重点的にやってて、戦後はかなりテキトー。現代美術って“反ヒューマニズム”あるいは“脱ヒューマニズム”であるはずなんだけど、ナチスの問題が絡んできて、どうしても“ナチvsデモクラシー”の図式にはまり込んでしまうところがあって。

外山 “反ヒューマニズム”だからといってナチの側についちゃうわけにもいかないだろうからねえ。

東野 未来派だったら実際にファシズム運動にコミットしたわけだけど、ナチはアンチ・モダンアートだったでしょ。現代美術もモダンアートの延長線だから、“反ナチス”が前提になりやすい。ナチが称揚した新古典主義や“政治芸術”に、“純粋芸術”を対置してみたり。

外山 少なくとも“主観的には”ナチスは現代美術に“理解がない”わけだもんね。

東野 ナチにもいろいろいて、ゲッベルスあたりは理解があったはずなんですけど、ヒトラーや、あるいはローゼンベルクあたりも、おそらく現代美術は嫌いだったでしょう。

外山 つまりもしかすると現代美術の持つ“反ヒューマニズム”を突き詰めていけばむしろナチと親和性があったかもしれないけど、現実にはナチがアンチ現代美術だったのをいいことに、そこらへんの問題が隠蔽されてるってこと?

東野 もちろんナチに加担する必要はないんだけど、“ナチvsデモクラシー”という図式にはまってしまうことで見えなくなってることがある。

桜子 ナチを批判するあまり“反ヒューマニズム”であるはずの現代美術がヒューマニズムに絡めとられちゃってる?

外山 ナチに批判的であるのはかまわないが、だからといって自分たちもヒューマニズムの側に与するものではないんだというところはハッキリさせとかなきゃいけないのに、そこが曖昧になってるってことかな?

東野 戦前のモダンアートも一枚岩ではなくて、さっき桜子さんに見せた論文にも書いてあるんですが……。

外山 何の論文?

桜子 「自律と疎外の構造 モダニズム芸術論の再編成へ向けて」っていう、外山紀久子って人の論文。

外山 最近のもの?

東野 20年ぐらい前じゃないかな。

桜子 「モダン」と「モダニズム」は違うとか……。

東野 あるいは「アバンギャルド」って概念もそれらと別個にある。そこらへんをいったん……。

外山 整理しよう、と。

東野 ええ、そういう論文です。モダニズムの流れとアバンギャルドの流れもまた違うわけで。

外山 ダダの周辺で“何とか裁判”ってのがあるよね。

桜子 バレス裁判。

外山 ファシズムに親和的になっていくモーリス・バレスに対する糾弾集会をアンドレ・ブルトンが主導して、ブルトンが今でいう“ヘサヨ”みたいに熱くなって正論をぶってるのを、ダダイストのツァラが茶化すような発言ばかりして混乱させてブルトンを怒らせて(笑)。ああいうセンスがやっぱり重要だとぼくも思うよ。


 どいつもこいつも「インスタレーション」

外山 ……ところでこのチャートに出てくる「インスタレーション」って何だっけ?

東野 いきなり何ですか(笑)。「設置」って意味ですけど。

外山 “設置美術”?

東野 言葉の意味としては「設置」ですけど、何かを「設置」した空間そのものを“作品”とするような……。

外山 単に“オブジェ”みたいなものを「設置」するようなことは、わざわざ「インスタレーション」なんて用語を改めて使わずとも、昔からいくらでもあったでしょ?

東野 「インスタレーション」の元祖はハノーファー・ダダのクルト・シュヴィッタースという人で……。

ここから先は

4,917字

¥ 230

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?