外山恒一&藤村修の時事放談2017.06.08「ファシスト&天皇主義者、Fラン国家ニッポンを憂う」(その2)

外山恒一&藤村修の時事放談2017.06.08「ファシスト&天皇主義者、Fラン国家ニッポンを憂う」(その2)

外山恒一

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 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2017年6月8日におこなわれ、紙版『人民の敵』第33号に掲載された対談である。
 第2部は原稿用紙換算19枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読めます。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその7枚分も含みます。

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 鹿砦社の“ポスト・トゥルース”なしばき隊批判

藤村 ……半年ぶりの“時事放談”だし、今回は何の話をしようかと思って、いろいろ参考文献なんかも持参してきてるんです(とカバンから何冊か取り出す)。

外山 結局また“しばき隊”がらみの……。

藤村 よくお分かりになりましたね(笑)。

外山 (藤村氏が机の上に並べた本を見て)へー、鹿砦社はあの後(紙版『人民の敵』第21号第27号掲載の対談の時点ですでに刊行されており、言及もした、田中宏和『シールズの真実 シールズとしばき隊の分析と解剖』16年5月、鹿砦社特別取材班『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-シールズ-しばき隊-カウンター』同7月、鹿砦社特別取材班『反差別と暴力の正体 暴力カルトと化したカウンター-しばき隊の実態』同11月の3冊の後)もずっと“しばき隊批判”の本を出し続けてるのか。しつこいというか執念深いというか、まあ、すべてが一過性のものでしかないこの時代に情熱を持続させること自体は立派なもんだ。ヨニウムさん(田中宏和氏のこと。主宰しているブログ「世に倦む日日」に由来)の本の第2弾(『しばき隊の真実 左翼の劣化と暴力化』17年3月)も出てるんだね。あ、こっち(鹿砦社特別取材班『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』同5月)はまだ、出たばっかりじゃないですか。

藤村 そうなんですよ。

外山 しかし藤村君も熱心だなあ、ちゃんとフォローし続けて、鹿砦社の本も出たらすぐ買ったりしてさ。

藤村 うん。やっぱり今日はこの問題についてとことん語りたいと……どこが“時事放談”だ(笑)。

外山 毎回、“しばき隊の話”ばっかり……。

藤村 もちろん冗談です。百パー冗談ってわけでもないけどさ(笑)。でもまあ、ヨニウムさんの本は、前回の『シールズの真実』に比べれば格段に良くなりましたね。

外山 へー、そうなんだ?

藤村 だって、“ここはちょっとアタマ悪すぎないか?”って思った箇所と、“ちゃんと野間(易通)さんの書いたものを読んで調べてから書けよ”って思った箇所が、全部でたったこれだけしかないんだよ(と、付箋が大量に挟まれた本を示す)。

外山 ものすごい数じゃないか(笑)。30枚ぐらいある……。(本を手にとり)全222ページの間に30ヶ所もあるんじゃ、数ページおきじゃん(笑)。

藤村 それでも前回の本に比べたらはるかにマシなんだもん。前回はほとんど全ページ、おかしなことが書いてあった。ほぼ批評するにも値しない本だったんだから、それに比べたら今回はまだ、ちゃんと批判してもいいかなあ、と思わせるぐらいの内容にはなってる。

外山 前のヨニウムさんの本は、“リンチ事件”(紙版『人民の敵』第21号参照/後註.すでに全文公開した「“しばき隊リンチ事件”を語る」のこと)よりも前に出たんだっけ?

藤村 発覚して騒ぎになり始めた、ちょうどその頃(発覚は16年4月末)に出てるから、もちろんその話は前回の本にはまだ載ってない。

外山 もう1冊のほう(『人権と暴力の深層』)はどうなの?

藤村 こっちは逆に、1冊目より2冊目のほうが、2冊目よりも今回の3冊目のほうが、どんどんバカになってきてる。

外山 鹿砦社も熱心なのはいいけど……“ポスト・トゥルースの時代”を感じるなあ(笑)。

藤村 うん、完全に“ポスト・トゥルース”だよ、鹿砦社の“しばき隊”本は。ヨニウムさんや鹿砦社の“しばき隊批判”は、ネトウヨと完全に同じ水準

外山 “こうなのではあるまいか?”っていうせいぜい推理・推測にすぎないものが、“こうだ!”っていう事実として語られちゃう。


 浅田彰と東浩紀の“ポスト・トゥルース”論

藤村 ゲンロンカフェの浅田彰イベントには行けなかったんだけど、内容は後でネットで全編、見たんですよ。そしたら浅田彰と東浩紀がまさに、“ポスト・トゥルース”とは何なのかについて議論してて、それを聞いて「さすがだなあ」と思った。“反証可能性”から“素朴実証主義”へ、というのが“ポスト・トゥルース”ということだと云ってて、「なるほど!」って。

外山 どっちがそう云ってたの?

藤村 そういうふうにまとめたのは東浩紀だけど、“反証可能性”って言葉をまず出したのは浅田彰。

外山 そういう議論を、赤いチャンチャンコを着たままの浅田彰が……?(笑)

藤村 そうそう(笑)。でも議論の内容自体は、さすがにすごく面白かった。

外山 その対談は今でもネットで見られるの?

藤村 いや、もう見られない。でも近々出るらしい『ゲンロン』第5号(6月24日刊行)に載るかもよ。ゲンロンカフェのイベントのテープ起こしが毎号1つぐらいは載ってるし、“浅田彰との対談”には商業価値も充分あるからね(『新潮』8月号に掲載されている浅田彰・東浩紀・千葉雅也の座談会「ポスト・トゥルース時代の現代思想」がおそらくそれだと思われる)。

外山 で、その“素朴実証主義”云々というのは、具体的にはどういう議論だったんですか?

藤村 “反証可能性”ってのはカール・ポパーの概念でしょ。ふつう我々が“真理”だと思ってるような“科学的命題”の類であったとしても、そんなものは“反証”がなされるまでの間の“暫定的真理”にすぎない、ってことだよね。例えば、水素と酸素が化合したら水になる、と。しかしそうならない場合が、何億回、何兆回と観察してるうちに1度でも起きる可能性はまったくゼロだとは云えない。もしそんな例が観察されたら、“水素と酸素が化合したら水になる”というのは“真理”でも何でもなくなる。

外山 新しい観察結果も合理的に説明がつくように、理論の修正がおこなわれることになるよね。

藤村 うん。つまり我々が日常的意識では“真理”だと素朴に思ってるような科学的命題も、“反証”がなされてない現時点での“とりあえずの真理”であって、逆に云えば“科学的命題”というのは、いつだって常に“反証可能性”ということに対して“開かれて”なければならないし、そういう命題のみが“科学的”と呼ぶに値する、というのがまあ、ポパーの云ったことですけど、これは“相対主義”的な態度でもあるでしょ。

外山 そうね。

藤村 “真理”というものは暫定的である以外にない、人間は“真理”を完全に百パーセントの確実性でもって認識することはできない、って話だもん。しかしそのことに耐えられない者が、何かの命題を百パーセントの確実性があるものとして語りたがる。それは“しばき隊とはこういうヒドい団体である”とかいうレベルの話でもそうですよ。沖縄の反基地闘争に関してもネトウヨが、韓国人が1人か2人参加してたようだって話を根拠として、“つまり”これは朝鮮人の運動だ、と断定して語ったりするんだ。何か1個か2個か、曖昧な“証拠”を見出すことによって、そこから芋づる式に大きな“真実”を導き出しちゃう。そういうのを浅田彰と東浩紀が“素朴実証主義”と云っていて……。

外山 その程度の“実証”さえおこなわれてない場合もたくさんあるようだけどさ(笑)。

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外山恒一
革命家。マルクス主義、アナキズムを経て03年よりファシスト。福岡市在住。九州ファシスト党〈我々団〉総統。サイト「外山恒一と我々団」(link: http://bit.ly/1wp0Ggi)