『ブードゥーラウンジ』への道(〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏インタビュー 2020.02.07)その5

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 「その4」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏へのロング・インタビューである。2020年2月7日におこなわれた。
 ボギー氏の長年の活動の成果として、福岡の音楽シーンの現在がどれだけトンデモないことになっているのかについては、2020年1月に刊行されたばかりの鹿子裕文氏のレポート『ブードゥーラウンジ』(ナナロク社)に活写されている。同書はどちらかと云えば、〝現在〟に焦点を当て、それと直接関係する範囲で〝過去〟のボギー氏の活動史にも多くの言及がある。当インタビューでは、〝現在〟については『ブードゥーラウンジ』を読めば分かるのだから、そこに書かれた以前の諸々、つまりボギー氏が音楽に目覚め、路上デビューし、またステージにも立ち、90年代初頭の福岡のオルタナ系ロックのシーンの中から、ボギー氏が単に演じ手としてのみならず、さまざまなイベントの仕掛人として登場してくる過程に焦点を当てた。
 鹿子氏の本と併せて読むことをオススメする。
 
 第5部は原稿用紙21枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその8枚分も含む。

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 〝完全プロ志向〟バンドの異常な特訓

ボギー オレも25ぐらいの頃が、今から思えば一番、承認欲求が強かった時期だったんですよね。最初は好きで音楽を始めたんですけど、18歳から7年間もやってると、やっぱり欲が出てくるんです。〝自分の音楽で認められたい〟というか、〝野心〟みたいなのがブワーッと高まりだしたのが、25の時でした。東京で認められた、初めて褒めてもらえたというのが、野心に火をつけたようなところもあると思います。
 ノントロッポはメンバー全員が完全にメジャー志向で、それも全員、メンバー募集の貼り紙で集めたんですよ。もともとの友達なんか1人も入ってない。〝ひまわり〟は完全に、友達で作ったバンドですからね。それとは完全に真逆で、〝当方プロ志向〟ってチラシを楽器屋に貼って回った。そうやって集めた4人です。

外山 〝ひまわり〟はまだ解散が決まってない段階で?

ボギー フェイド・イン、フェイド・アウトって感じですね。〝ひまわり〟の解散ライブをやる時には、ノントロッポは完全に組まれてて、いよいよスタートするぐらいの時系列です。〝引き継ぎ〟みたいに始まりました。
 オレの中では〝プロ志向〟というのが完全に固まってたし、30までにはノントロッポでメシが食えるようにするって決意してたんで、しょっちゅうスタジオに入って、ムチャクチャ練習しましたよ。それはもう本当に、鬼のような練習
 〝クリック〟ってあるじゃないですか。カッチ、カッチって、つまりメトロノームですね。あれをカッチ、カッチと鳴らしながら演奏するわけです。それはもちろん演奏が乱れないように、ずっと同じテンポで演奏できるようにするために鳴らすわけですけど、10数分の曲があるとして、3分ぐらい演奏したところでオレがカッチ、カッチの音をミュートして止める。そのまま引き続き演奏を続けて、8分ぐらいそのまま演奏したところで、またミュートを無効にするんですね。そこでズレてれば、演奏が走ったりモタったりしてたということですから、ズレないようにする。それぐらい、メンバー全員のタイム感を揃えていくっていう、今にして思えば異常な練習をやってました。
 ワールド・ミュージックにハマり始めたというのもあって、ガムラン(インドネシアの民族音楽)のリズムを取り入れたいんだけど、ノントロッポはメンバー4人しかいませんから、とにかくドラマーにやってもらおうとしたこともあります。あれはいわゆるポリリズムというか、まったく違う拍が同時に鳴ってるんですよね。だからドラマーに、右手・左手・右足・左足、それぞれ全部違う拍をやる、1人でポリリズムをやるっていう(笑)、そういう練習をさせたりした。「いや、できるやろ!」って云って(笑)。「右手はこういうリズムで、左手はこうで、バスドラはこれで……」って、そりゃ口で云うのは簡単なんですけど、実際に人力でやるのは大変なことですよ。だけどドラマーも負けず嫌いだったから、どうにかやってもらったんですけどね。
 とにかくそんな感じだから、みんな精神が崩壊していって、最終的にはメンバーから「お前は人間じゃねえ」ってボコボコに殴られて(笑)、空中分解しちゃうんです。28の時でした。そういう挫折というのを、25でのヒマワリの解散、28のノントロッポの空中分解って形で経験します。
 プロ志向で頑張ってはいたんですけど、最終的にはお互いの人格を否定し合うような喧嘩になって、殴り合いで……といってもドラマーは極真空手をやってたから、オレが1発殴るのに対して10発ぐらい返ってくるんで、単にオレがボコボコにされただけなんですけど(笑)。とにかくそんなこんなで28の時にノントロッポは一度崩壊する。このバンドでメジャーになろうというつもりでいたし、実際ちょっと……。

外山 かなりいいところまで行ってたらしいね、『ブードゥーラウンジ』によれば。

ボギー そうなんですよ。オレらを海外デビューさせたいってプロデューサーが現れて、デモ音源も作って、かなり具体的に話が進んでたこともあったんです。だけどその時もそのプロデューサーと大喧嘩し、やがてメンバーとも大喧嘩になり……。


 「30までに音楽で食えるようにならなかったら……」

ボギー で、ノントロッポが空中分解した後、ブードゥーラウンジ(『ブードゥーラウンジ』の舞台であり、ボギー氏の現在の主要活動拠点となっているライブハウス)なんかで今、〝ノントロッポ〟名義で一緒にやってるノンチェリーと知り合って、そこで一気にプロ志向から転換するんですよ。ボ・ガンボスとか〝じゃがたら〟みたいな、〝魂を解放する〟的な〝お祭り〟モードの方向に、バンドの音楽性自体が変わっていくんですね。その段階で、やっとオレにとってバンド活動というのが面白くなる。

外山 それまでちょっとコンを詰めすぎてた、と。

ボギー メジャーに行くための曲作りをしてたし、練習もストイックにやってたんですけど、一緒にメジャーを目指してた仲間と喧嘩して空中分解しちゃったんで、そこで急に〝何が何でもメジャー志向〟っていう発想からも解き放たれて、そのタイミングで、ノンチェリーとかドラムスのヤノトモアキと出会うんです。
 そこからバンド活動がとにかく面白くなってきて、バンドでやってる高揚感というか、〝バンド・マジック〟のようなものがそのまま音楽性にも反映されて、ノントロッポのライブが一気に〝祭り〟化していく、〝パーティ・バンド〟化していくんですよ。

外山 ノントロッポのメンバーは完全に入れ替わってるわけですね?

ボギー ギターだけ不動です。……オレの20代というのは、上手く行きそうになるとポシャる、ということの繰り返しでした。東京に行こうというタイミングも2回あったんですけど、行かずじまいで。

外山 あ、〝東京時代〟はないんだ?

ボギー 結局ないんですよ。で、やっと楽しくなってきたのが29とかでしょ。奥さんには、もともと〝25までには……〟と云ってたのが、この頃には「30までに音楽で食えるようにならなかったら、マジメに働く」と云うようになってたんですけど……。

外山 〝田舎に帰って実家の商売を継ぐわ〟っていう、ありがちな(笑)。

ボギー それまでのオレは〝半ヒモ〟ぐらいの立場だったんです。一応はバイトをしてるけど、月に6万ぐらいしか稼いでなかったし、それはほとんどバンドの練習とライブと……。

外山 つまり音楽活動の費用を自分でどうにかしてるだけで……。

ボギー そうそう、だから実際のところは単なる〝ヒモ〟なんですよ(笑)。普段はマンガ喫茶でマンガを読んでたり、あとロール・プレイング・ゲームにめっちゃハマって、ずっとゲームしてたり……。

外山 典型的な〝ダメ男〟ですね(笑)。

ボギー さすがに彼女から「別れよう」って切り出された。「もうついて行けん。分かれてほしい」って、月イチぐらいのペースで云われるようになって、オレとしても30目前なのはよく自覚してるし、この人は可愛いんだから、今ならこの人も新しい彼氏を作って人生をやり直すことができるとも思ったし、オレとしては別れたくないんだけど、別れたほうがこの人は幸せになれるかもしれん、と。最初は、「別れてほしい」と云われるたびに謝ってたんですけど、それもオレのエゴだなあと思うようになって、ついに「じゃあ別れよう」って話をしたんです。
 そしたらモンド(ボギー氏の長男。現在すでに〝天才画伯〟として全国に名を轟かせている)ができてたっていう(笑)。妊娠が発覚する。それで〝ワー、どうするどうする!?〟ってパニックになって、「結婚しよう!」ってことになるんですよ。

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