森元斎『アナキズム入門』“検閲”読書会(2017.3.19)その2

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2017年3月19日におこなわれた、森元斎の『アナキズム入門』(ちくま新書・2017年3月)を熟読する読書会のテープ起こしである。
 森元斎の『アナキズム入門』の現物を入手して、途中ことわり書きが挟まるように、例えば「第一章・黙読タイム」などのところでまず当該の章を自分でも黙読してから読み進む、というのが一番タメになる読み方である。

 第2部は原稿用紙26枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその9枚分も含む。

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 急に文体が変わったぞ!?

 (「第三章 理論──聖人クロポトキン」黙読タイム)

外山 よろしいでしょうか? じゃあ何かあれば……。

参加者A ここにきて急にアーティストの引用が……。

外山 あ、Jポップの歌詞か(笑)。

参加者B 「byナントカ」って部分は全部そういうことだったんですか?

外山 大体そのようですね。ぼくも知らない名前がいくつかあったけど、132ページの「キング・クリームソーダ」というのも、検索してみると日本のバンドの名前のようです。

参加者A へー。

外山 そりゃ当然、洋楽のキング・クリムゾン(“プログレッシブ・ロック”の代表的なバンド)を踏まえたバンド名でしょうけど、ウィキペディアによると、ラップっぽいロック・バンドらしい。それから何だ……138ページの「Suchmos」というのもやっぱり日本のバンドのようですね。これまた“サッチモ”ことルイ・アームストロング(ジャズの大御所)を意識したバンド名なんでしょう。140ページに出てくる「ディアンジェロ」ってのは、たしか洋楽だよね?

山本 ソウル系の人だと思う。

外山 しかし突然ですな(笑)。

参加者A この章に入るなり、なぜまた急に……。

山本 きっと我慢できなくなったんだ(笑)。だけどどうしてこういう書き方をするのか、明らかに文章として美しくない

外山 そうだね。


 メンヘラ文体か、人民との連帯を求めての文体か?

山本 もしかしたら最近ちょうどジャスラック(日本音楽著作権協会)を巡ってまたいろいろ揉めてたみたいだし、こういう書き方をすることでわざとジャスラックを挑発してるのかなあ、と好意的に解釈することもできるけど……。

外山 いやいや、この程度の引用なら誰でもさんざんやってるし、何の問題もないよ。

山本 あるいは単にメンヘラで、だから歌詞に自己投影して……(笑)。

外山 しかしまあ、こうして歌詞を混ぜてくるのもそうだし、東京出身のくせに時々博多弁を混ぜてくるあたりにも、どうも“いのうえしんじ臭”を感じるよ(笑)。

参加者A 誰ですか、それ?

外山 福岡のぼくと同い年の活動家で、いわゆる典型的な“3・11以降”の良くないサブカル系の人です。もともと彼が単なるロック青年だった頃から知り合いで、突然政治的に目覚めたのは01年の“9・11”からなんだけど、運動を表層的にポップ化させようとしてて、もともとパンク系の趣味だったくせに、政治的に目覚めた途端になぜか超ダサいんだ。シールズ的なというか、要するにいかにも共産党の連中にウケそうな、“いわさきちひろ”的なイラストとか添えるようになったりしてさ。『人民の敵』でもこれまで藤村君とさんざんディスったけど(第15号など……後註.この藤村修氏との対談はすでに公開してある)、福岡版シールズの若者たちにもなぜか尊敬されてる、はっきり云って福岡の運動の一番の癌です。

東野 たしかに博多弁が混じるのには、めっちゃ違和感がある。

外山 「よかろうもん」(127ページ)とかね。いのうえしんじもデモのコールに“何々してもよかろうもん”みたいなフレーズをいっつも混ぜて、聞くたびにゲンナリする。

東野 そんなふうにして“人民”と一体化しようっていう……。

外山 そうなんだろうね(笑)。アナキストの悪い癖。


 “クロポトキン作”のアナキズム偽史

山本 スイスの時計職人たちの「ジュラ連合」って組織が出てくるけど、時計職人たちは作った時計をブルジョアたちに売って生計を立ててるわけでしょ? なのにブルジョアを倒そうとするのがよく分からない。

外山 いや、それは普通のことでしょう。べつに時計職人に限らず、工場で働く“近代プロレタリアート”であっても、労働が生み出した生産物がブルジョアの所有物になって、“生産物からの疎外”ってことになるのは一緒だもん。
 ただ、そもそも“社会主義運動”というのはこういう、昔気質の“職人”たちの運動として始まるわけだけど、マルクスの場合は、そんなのはやがて滅びゆく、一掃されて“近代プロレタリアート”の運動に置き換えられていくものにすぎないと見なす。しかしアナキストたちは、引き続きそういう“チャキチャキの江戸っ子”みたいな職人たちの運動と親和的で、そこに依拠するっていう違いはあって、そこらへんの事情が反映されてるんだね。
 ……別の論点になるけど、「アナキズム」という概念を作ったのはクロポトキンである、というのは千坂恭二もよく指摘してることで、プルードンやバクーニンは「アナーキー」という言葉を肯定的に使い始めてはいたとはいえ、「アナキズム」や「アナキスト」を自称していたわけではない、っていう。千坂さんによれば、さらにフランス革命勃発から数年後(1796年)の“バブーフの陰謀”事件で、バブーフ一派への悪口として「アナキスト」という言葉が使われたそうで、それがプルードン、バクーニンあたりの時代になると、「アナーキー」を必ずしも否定的にでなく語るようになって、最終的にはクロポトキンが「アナキズム」を確立する、と。
 しかし千坂恭二によれば、クロポトキンが「アナキズム」を確立するに際しては、マルクス主義者との確執が背景にあったわけでしょ。マルクス主義者の側も実はそもそも単に“マルクス派”でしかなく、決して“マルクス主義”ではなかったのが、マルクスが死んだ(1883年)直後ぐらいから、盟友のエンゲルスによって急速に、マルクスの思想を“マルクス主義”として体系化する動きが進められる。かつ、1889年に第2インターナショナルが組織される際に、主導者のエンゲルスが、かつての第1インターが“アナキストどものせいで”崩壊したという思いがあるもんだから、今度は最初から、とくにバクーニン派を排除しようとするわけだ。その時点ではプルードンやバクーニンもすでに死んでて、アナキスト側の中心人物はクロポトキンになってて、クロポトキンが、エンゲルス主導の第2インターに対抗してアナキスト独自の“黒色インター”を別個に立ち上げようとする。
 その過程で、エンゲルスが確立させつつあった「マルクス主義」に対抗して、クロポトキンは「アナキズム」を体系化しようとするんだね。敵側はマルクスの思想を体系化しようとしてるんだから、クロポトキンは、第1インターでマルクスの論敵だったプルードンとバクーニンを“こっち側”陣営の先行者として位置づけて、まるで“プルードン-バクーニン-クロポトキン”という“アナキズムの系譜”が存在するかのように仮構した……というのが千坂説で、実際たぶんそういうことだったんだろうけど、そういう脈絡は森元斎の文章には表現されてない。“「アナキズム」を確立したのはクロポトキンだ”ということが、ただ単なる歴史的事実としてニュートラルに述べられているにすぎない。クロポトキンがそんなことをした背景に、第2インターの結成に際してのエンゲルスとの確執があったことが森元斎の文章からは読みとれないし、さらにこれも“千坂恭二によれば”だけど、そもそもプルードンの思想とバクーニンの思想とではまるで別物なのに、単にどちらもマルクスの考え方とは相容れず、第1インターでマルクスの論敵だったというだけで、それらを「アナキズム」という1つの枠にクロポトキンが囲い込んだ、という視点もここにはないよね。
 “プルードン-バクーニン-クロポトキン”という“アナキズムの系譜”は、実はクロポトキンによって“デッチ上げられた”に等しいものなのに、以後のアナキズム運動の担い手たちにはその“架空の系譜”がある種の“常識”として受け入れられ、継承されてきた、というのが千坂説なわけだ。森元斎のこの本でも、その“常識”は少しも疑われてない。もちろんぼくは千坂恭二からの受け売りでそんなふうに批判的に見ているにすぎないけどさ。でもやっぱり、既成のアナキズムの“常識”、“通説”をなぞっている本でしかないよ。


 第1次大戦の参戦派の主張を森氏は理解していない

参加者B ……歌詞が出てくると途端に読みづらい(笑)。

参加者A うん、気が散る(笑)。

東野 いきなり「byゆらゆら帝国」とか書かれてもなあ(笑)。

外山 民衆の表現の中にアナキズムは息づいてる、と思いたいんでしょうかね。

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