余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その4)
2009年(つまり都知事選の翌々年)に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想記は結局、現在に至るまで書いていない。
もともとサイト「外山恒一と我々団」(当時は「ファシズムへの誘惑」)で無料公開していたが、2011年6月、中川文人氏が当時やっていた電子書籍の版元「わけあり堂」のコンテンツの1つとして有料化された。
その後、中川氏が「わけあり堂」をやめて、読むことができなくなってしまったので、2015年3月に紙版『人民の敵』第6号に全文掲載した。
第4部は原稿用紙換算17枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその7枚分も含む。
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第三章 ついに(ほんとに)立候補してみる
1.初めての選挙戦の舞台・鹿児島県隼人町
リサーチしてまず簡単にあきらめる
そんなふうに私なりに経験を積んだ上でですね、いよいよ〇五年秋、私自身にとって初めての、選挙への正式な(笑)立候補をするわけです。
鹿児島県霧島市議選・隼人選挙区での立候補です。
まずこれがどういう選挙なのか、さらにそこはどういう土地柄なのか、といったいくつかの前提を説明しておかなければいけません。
すでに何度かお話ししているように、私の父方の実家は、鹿児島県姶良郡隼人町というところにあります。〇四年の出所以来ずっと、私の住民票もここに置いていました。
その隼人町が、例のろくでもない平成の大合併ブームに乗って、この〇五年十一月七日に周辺のいくつかの市町と合併して〝霧島市〟になります。
実は、ファシズム運動が思うように拡がらず、延々と足踏みを強いられているような状況に突破口を開こうと、スケジュール的にはだいぶ後に、しかも私自身ではなく誰か他のファシズム運動の同志を立候補させるつもりで想定していた選挙戦ってやつを、前倒ししてまずは私自身が立候補する形で試してみてはどうだろうかと思い始めたのは、当時つけていたメモを見てみると、どうもこの〇五年の春ごろのようなんですね。あんまり無為に時間を浪費しているので呆れられて、熊本の居候先を追い出される直前ぐらいの時期です。
「町村議選はタダなのだから、出てはどうか?」と書きつけてあります。
そのとおり、実は供託金が必要になるのは市議選からで、町村議員選挙には供託金制度がないんです。まさにタダで出られる。もちろん当該の町村に、投票当日まで二ヶ月だか三ヶ月だか、住民票がないといけません。
だから最初はタダで出るつもりで、住民票のある〝隼人町議選〟について調べてみたんです。そしたらなんと腹立たしいことに、隼人町は近く周辺市町と合併して霧島市とやらになる予定で、次の選挙はその合併直後におこなわれるということが分かった。となると必要ないと思っていた供託金が必要になってくるんじゃないか。市議選の供託金は三十万円である。三十万円を用意しないと出られないということなのか。
調べてみると当然そうで、それでいったん簡単に諦めてます(笑)。
おいおい話しますが、実は霧島市議選に関しては、この平成の大合併に私はほんとに迷惑かけられっぱなしなんです。もちろんそれで事後的に平成の大合併を〝ろくでもない〟と云ってるわけではありませんよ。私はとくに九五年以降、日本政府のやることなすこと、ほとんどすべてに腹を立てています。最初のうちは個別に、〝あれも許せん、これも許せん〟と腹を立てていたんですが、そのうち分かってきたのは、それらすべては結局グローバリズムの問題なんだということですね。
平成の大合併を大真面目に批判する
「ファスト風土化」という三浦展さんの造語があります。
日本全国どの地方も、幹線道路沿いにマックやらユニクロやらオートバックスやらブックオフやら、あるいはジャスコ(註.云うまでもなく現在は「イオン」)などのショッピング・モールやらが立ち並び、個性ある街並みを残すその地その地の伝統的な中心街は軒並みシャッター街化している、という現象を指す言葉です。
そういう現象と、平成の大合併政策とは、完全に軌を一にしているわけですよ。
その地その地の歴史や因縁と密接に結びついた地名を時流に乗って安易に放棄し、くだらないにもほどがある新地名を喜々として採用する。こういう暴挙を平然とやって恥じない田舎政治家たちの一体どこが保守なんでしょうかね?
諸個人をそれぞれが生まれ育った地域の歴史から切り離し、独自の風土を破壊し、画一化されたアメリカ的な大味の環境に放り出す。そんなところに暮らしていれば、誰だって精神的に深刻な悪影響を受けます。子どもたちがオカしくなるのはこういう政策のせいであって、日教組のせいなんかじゃありませんよ。
実は隼人町を含む合併新市も、危うく南九州市などという胸糞の悪い市名になりそうだったんです。〝霧島市〟はまだ比較的マシではあるんですが、これだってやっぱり私に云わせれば胸糞悪い。
そもそも隼人町を含む合併した七市町の中心は、人口約五万四千の国分市なんですね。次が約三万七千の隼人町。この二市町が比較的都市化の進んだ地域で、他の五町、霧島町・福山町・牧園町・溝辺町・横川町はいずれも人口数千の完全な田舎町です。
人口比から云えば、万歩譲って仮に合併自体はよしとするにしても、〝国分市〟とするか、あるいは国分市を取り囲む形の他の六町はすべて〝姶良郡〟ですから〝姶良市〟とするか、いずれかしかありえません。もっとも〝姶良郡〟には他に加治木町や姶良町などいくつかありますから、〝姶良市〟も微妙におかしいんですが、そもそも組み合わせに何の必然性も合理性もない、地域エゴがぶつかり合った結果の、一帯の伝統的なエリア区分を完全に無視した成り行きの組み合わせによる合併なんですから。
例えば国分市は、古代に大隅国の国府が置かれていたから〝国分〟市なのであり、隼人町もまた古代、このあたりを拠点として大和朝廷にたびたび反乱した〝隼人族〟に由来した地名であることは云うまでもありません。こういう、地域の歴史を背負った地名をあっさり放棄して、新市名を霧島市としたのは、要するに霧島という観光ブランドに期待したためにすぎません。
自分たちが生まれ育ち、そして今なお暮らす故郷を、観光マーケティング的な軽薄な視線で眺めて恥じるところのない、そういう恥知らずどもに郷土愛だの愛国心だの云われると、私などは腸が煮えくり返ります。
腹立ちまぎれに話が脱線気味になってしまいましたが、ともかく合併のためにタダで〝隼人町議選〟に出ることはできないことが分かって、いったんは諦めたという話でした。
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