『全共闘』(1)

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 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 「その1」は原稿用紙換算21枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその9枚分も含む。

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第1部 全共闘以前

 第1章 「世界戦争」の時代


   1.はじめに

 二〇一八年九月、『全共闘以後』と題した著作を上梓した。全共闘運動のピークは六八年頃とされるが、それ〝以後〟の、世間一般の常識的にはほぼ〝なかったこと〟にされてきた、とくに八〇年代、九〇年代、〇〇年代の若者たちが担ったラジカルな政治運動・社会運動の事例を一つ一つ掘り起こし、その変遷を通史的に描いたという、標題どおりの内容である。
 が、『全共闘以後』を書き進めながら私は、とはいえ実は〝全共闘そのもの〟についても、少なくとも〝まともな〟通史は書かれていないんだよなあ、と思ってもいた。
 そのためでもあろう、全共闘運動をむしろ貶める意図が明白な、小熊英二による上下巻で計二千ページ以上の大著『1968』(新曜社・09年)が、まるでその唯一無二の〝決定版〟であるかに通用してしまいつつあるのが、嘆かわしい現状である。小熊は、言ってみれば、ラジカルな全共闘運動の対極にある人畜無害な〝3・11以後〟の諸運動(学生団体「シールズ」など)に同伴するようなリベラル派の知識人であり、その立場からすれば全共闘運動など無意味なバカ騒ぎ(せいぜいが集団ヒステリーめいた同時多発的〝自分探し〟現象)にしか感じられないのは仕方がないのだが、そうした視点に貫かれた要はトンデモ本が、せめて〝一書に曰く〟的な、〝正史〟を補完するための諸々の参照文献の一つとしてではなく、〝正史〟そのもののように扱われる状況がこのまま定着していくのは、〝全共闘運動の唯一の後継者〟を自認する私としては何とかして何とかしたいところだ。

 もっとも、全共闘あるいは全共闘を含む新左翼運動に関する通史を書く試みは、〝小熊本〟以前にも皆無だったわけではなく、むしろそれなりに広く流通した例さえいくつも挙げることができる。
 例えばまず高木正幸『全学連と全共闘』(講談社現代新書・85年)があり、菅孝行『フォー・ビギナーズ 全学連』(現代書館・82年)がある。しかし、いずれも書かれた時期がもはや古すぎて、以後に登場した(あるいは当時はまだあまり注目されていなかった)重要な資料や証言や研究や論考は当然まったく反映されていないし、それら新しい知見の中でもとくに〇〇年前後に始まる絓秀実の一連の〝六八年〟論が存在する今となっては、端的に物足りない。
 その絓秀実の『革命的な、あまりに革命的な』(03年・ちくま学芸文庫)や『1968年』(ちくま新書・06年)を、新左翼運動の〝通史〟として読むことも可能だが、絓の著作はいずれも〝初心者〟には難解な、あまりに難解なものである。
 比較的最近書かれたものとしては、鈴木英生『新左翼とロスジェネ』(集英社新書・09年)や伴野準一『全学連と全共闘』(平凡社新書・10年)などもある。鈴木は七五年生まれ、伴野は六〇年生まれと、いずれも〝全共闘以後〟の世代による〝通史〟の試みであるにもかかわらず、それぞれの目次をざっと一瞥するだけで知れるように、両者とも新左翼運動に好意的ではありつつ(とくに前者は実は〝小熊本〟同様、全共闘運動あるいは新左翼運動総体を集団的〝自分探し〟のようなものとして解釈しており、それを肯定的に見るか否定的に見るかが違うだけだったりする)、あまりにも古くさい、つまり〝絓以前〟のオーソドックスな、というよりは〝ベタ〟な新左翼理解に彩られた、せいぜいが〝趣味者〟目線の著作にしかなりえていない。
 そもそも全共闘運動(あるいは新左翼運動全体)の通史などというものは、全共闘世代の誰かが書けばよいのである。〝全共闘五〇周年〟の二〇一八年、きっとそのような著作が出るだろうと期待しつつ、私はそのタイミングで、私自身が体験した〝日本の八九年革命〟を中心に〝全共闘以後〟の半世紀の歴史をまとめて世に問うたわけだが、全共闘世代つまり当事者の手に成る通史はついに出なかったし、どうも近い将来に出る気配もない。ここはいっそ、この、全共闘運動が終焉を迎える頃になってようやく〝遅れてきた〟どころか〝生まれてきた〟ぐらいの大遅刻青年たる私が、僭越ながら〝全共闘運動史〟あるいは〝新左翼運動史〟も引き受けてしまう以外にない気がしてきた次第である。

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 私の〝全共闘〟理解は、前作でも触れたように、まず私自身が〝反管理教育〟運動に全力を注いでいた九〇年、当時すでにとうの昔に絶版となっていた、しかもそもそも刊行時にもあまり話題になったわけでもないらしい竹内静子『反戦派高校生』(三一新書・70年)という、要は高校全共闘に関する詳細なレポートに出会い、あまりの衝撃に影響を受けまくったところから始まっている。翌九一年、絓秀実が〇〇年代に入り本格的に〝六八年〟論を展開し始める以前には「六八年革命を一手販売していた」(絓「六八年革命における政治と主体」00年/『JUNKの逆襲』作品社・04年)と当の絓自身が評価(?)する、作家兼思想家である笠井潔の熱烈な読者となり、その完全な思想的影響下に、年齢的には二十代とぴったり重なる九〇年代まるごとを過ごした。笠井の〝六八年〟論は、極めてオーソドックスな、〝グローバル・スタンダード〟なそれであると今でも思う。どうもそうは見なされていないようであるのは、前作でも繰り返し指摘した、日本のポストモダン論壇がその成立当初から抱えている歪みによるものだろう。
 しかし私は〇〇年代前半、全共闘的なるものの〝さらに先〟を模索する試行錯誤の結果として丸二年間もの監獄生活を経験、独房で濫読を続ける過程でファシズムの祖・ムソリーニの評伝と出会い、長らく探し求めていた〝答え〟をついに見つけて、著作を通じた笠井の影響下からは相対的に離れてしまう。出所後まもなく、今度は笠井とは互いに論敵に近い関係にあるらしい絓と直接の面識を得て、歓談を重ねるうちにその〝六八年〟論に大いに感化されることになる。とはいえ、笠井経由のオーソドックスな〝六八年〟理解があらかじめ私の中になければ、絓が何を言わんとしているのか、とうてい理解することはできなかっただろう。現在では〝六八年〟論といえば笠井ではなく絓のそれが圧倒的に広く読まれている状況だが、そもそも絓の〝六八年〟論は、オーソドックスな〝六八年〟理解を前提に、意表を突くさまざまな切り口でそれをまったく別のものへと変質させてしまうところに眼目がある。したがってまずはオーソドックスな〝六八年〟理解がまるで浸透していない日本の特殊状況にあっては、絓の著作があまりにも難解なものと感じられがちであるのも仕方がないのだが、ともかく私自身は今や、〝運動史研究者〟としてはほとんど〝絓学派〟の一員と化していよう。〝絓史観〟をファシズム的に換骨奪胎し(ようとし)ているところが私のせめてものオリジナリティと言いたいところだが、それとて絓との出会いからさらに数年を経て千坂恭二に出会ってみると、私が世界で初めて気づいたり思いついたりしたつもりで得意気に語り散らし、書き散らしていた程度のことは、私がまだ二歳(!)とかの頃にとうに千坂によってもっと緻密に原理的に論じられていることを思い知らされて、入る穴を掘りたいような気分に苛まれた。
 本書においてもおそらく、私が提示するのはせいぜい、〝笠井史観〟と〝絓史観〟と〝千坂史観〟のミックスのようなものでしかないだろう。前作と違ってほとんど誰にも知られていなかったような史実を掘り起こすのではなく、本来ならとうに〝常識〟化していて当然であるような、じっさい全共闘世代のハードコアな部分にとっては常識であるようなことを、ただ整理して書くだけである。もちろん私は今回、そもそも何か奇抜なものを書こうという気はなく、ただただ〝オーソドックスな通史〟を書くつもりでいるのだから、〝オリジナリティ〟なんぞ必要あるまい。


   2.第一次大戦の廃墟

 と、もはやすでに半世紀前の出来事と化している〝六八年〟の話をするのに、まずそのさらに半世紀も前まで遡るところから始めるのは、何もせめてもの〝オリジナリティ〟を偽装せんがためではない。
 結局すべては人類最初の〝総力戦〟たる第一次大戦の廃墟から始まっているのである。

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