絓秀実氏との対談(2017年4月17日)・その4

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その3」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 世界に出して恥ずかしくないごく数名の日本の知識人の1人である絓秀実氏との対談シリーズである。
 2017年4月17日におこなわれ、紙版『人民の敵』第32号に掲載された。
 現状に対する正しい愚痴から、新左翼運動史に関する非常にマニアックな話まで、話題は例によって多岐にわたる。
 なお稀に発言する「東野」とは云うまでもなく「ファシスト党〈我々団〉」党員の東野大地である。
 また[ ]内の註は今回のnoteへの転載に際して付け加えたものである。

 以下本文。
 第4部は原稿用紙換算25枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその8枚分も含む。

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 早大生ともあろう者が
 竹田青嗣なんか読んでいてはいけない

 ……ところで藤村[修]君は相変わらず塾講師を続けてるの?

外山 河合塾の講師(「倫理政経」など「公民」系社会科担当)をもう5年か、もっと続けてるかもしれない。それ以前は長いこと、まさに〝底辺ブラックバイト〟を3件ぐらい掛け持ちしてて、暮らしぶりも悲惨だったらしいけど、河合塾に拾われて収入はだいぶ安定したみたいです。

 専任講師ではないんでしょ?

外山 それでもブラックバイト時代に比べたら収入は段違いらしく、しかしそのカネをつぎ込んでアイドルを追っかけているという……(笑)。結構よく東京にも来てるみたいですよ。アイドルの追っかけで東京に来て、そのついでに佐藤悟志(紙版『人民の敵』創刊号第2号参照[まあ今や『全共闘以後』参照、でたいていのことは解決する])とか、針谷さん(針谷大輔氏。統一戦線義勇軍・議長で、「右から考える脱原発」デモ主催者)とかと会ったりしてるようです(笑)。あと東浩紀の〝ゲンロンカフェ〟を覗いてみたりとか。

 そんなところにまで顔を出してるんだ?

外山 〝ゲンロン〟の会員になってるそうです。

 すごいな。オレの周りの若い奴もゲンロンに出てたりスタッフだったりするから、話はたまに聞くけど、さすがに行く気はしないよ。しかし東の影響力って、ファシスト界隈ではどんなもんなの?

外山 そりゃ〝ファシスト界隈〟への影響力はゼロに等しいですけど(笑)、でも藤村君は相対的にかなり評価してるようですね。紙版『人民の敵』(第27号)でも藤村君が云ってたけど[すでにnoteでも公開済みの対談「“総しばき隊化”するリベラル派」のこと]、東浩紀って若い頃、30になるかならないかっていう00年頃には、加藤典洋や橋爪大三郎のイベントなんかにも熱心に通ってたらしくて……。

 へー、ちゃんと動向をウォッチしてたんだね。

外山 ぼくは東浩紀にはまったく同世代性を感じたことがなかったけど、その話を聞いて初めてちょっと同世代って感じがしました。

 そこらへんは典型的に当時の青年なんだよな。

外山 ぼくらはニューアカ・ブームには遅れた世代なんで、浅田彰や柄谷行人や、まして蓮實重彦なんかは難しくて、浅羽通明とか、あるいは『オルガン』系で〝哲学〟だの〝フランス現代思想〟だのに入門していったわけですが、高校時代から柄谷とか読んでた早熟な東浩紀も『オルガン』派に興味を持ってたというのが意外で。

 オレは『オルガン』系の連中とは同世代でしょう。だから却ってその影響力に気づかなかったんだよね。『オルガン』の面々は個人的にはみんなよく知ってるんです。小阪もよく知ってるし、竹田もよく知ってるし……笠井も『オルガン』にいたっけ?

外山 その3人が編集委員です。

 当時は異様に〝入門書〟が流行ってたじゃないですか。竹田や小阪がそういうものばっかり書いてて、〝浅田彰はチャートだ〟と批判するというワケ分からんことがあった。

外山 ニューアカ・ブームが一段落した後で、今からでも追いつきたいっていう〝遅刻者〟向けの本ですね。

 というより、偏差値が低い連中向けの本だとオレは思ったわけですよ。

外山 たしかにそれはそうです(笑)。

 オレは当時、早稲田で非常勤で教えてて、「早大生ともあろう者が、こういうものを読んではいけない。これは〝日東駒専〟が読むものである(受験用語。私大では早・慶、MARCH=明大・青山大・立教大・中大・法大のさらに下位ランクとされる日大・東洋大・駒澤大・専修大のこと)」って……(笑)。

外山 そういう差別的な……(笑)。

 「せめて『構造と力』(浅田彰・勁草書房・83年)を読みなさい」って授業で云ってた覚えがある。そう云っているうちに、竹田が早稲田の教授になっちゃった(笑)。

外山 実際たぶん、その頃はもう早大生であろうと『構造と力』は読めないレベルになってたと思いますよ。

 実はそうだったんです。


 吉田和明氏の雑誌『テーゼ』

外山 ……『テーゼ』って雑誌(80〜86年に6号刊行[どうも第7号も存在するようだ])もありましたよね。

 あ、吉田カズピーがやってたやつだ。あいつはチョー愚民ですよ!(笑) オレもよく知ってる奴ですけど、吉田和明といって、オレらは〝カズピー〟と呼んでたんだけど……。

外山 吉本論(『吉本隆明論』 パロル舎・86年。他に『フォー・ビギナーズ 吉本隆明』現代書館・85年なども)を書いた人かな?

 それもチョー愚著です(笑)。

外山 『テーゼ』には笠井潔や小阪修平も書いてたでしょ?

 オレだって書いてますよ。しかし『テーゼ』なんて名前が出てくるとは、さすが外山君は〝歴史家〟だね(笑)。
 ……カズピーはたしか、法政のアート系の文連の出身で、絵を描いてたんじゃなかったかな。中沢けいって作家がいるでしょ。その高校での2年ぐらい先輩だったと云ってた。まあ簡単に云えばチョー吉本主義者というか、吉本しか読んだことないような奴で(笑)、三重丸をつけたくなるぐらいのバカなんだ。

外山 〝よくできませんでした!〟と(笑)。

 だって吉本のことしか知らないんだもん。それは自立派には非常にアリガチなことではあるんだけど、吉本さえ読んでれば世の中のことは全部分かるかのように思ってるタイプは当時たくさんいたわけです。

外山 吉本万能、と(笑)。

 すべては吉本の本の中に書いてある、っていう。

東野 もっと自立が必要ですね(笑)。

外山 吉本の〝自立思想〟に〝依存〟しちゃってる(笑)。

 うん、吉本にイカレちゃうと往々にして自立しないんです。オレの世代にはそういう奴が多かったけど、カズピーはその一番下の世代になるんだと思う。

外山 いくつぐらいの人なんですか?

 オレより4、5歳下かな(54年生まれのようだ)。

外山 高校全共闘ってことですか?

 いやいや、そういう活動はやってない。せいぜい法大時代にそういう空気を……〝吉本〟という空気を吸い込んで、よく分かんないけど、雑誌を作ったりするのが好きだったんでしょう。それで『テーゼ』って雑誌を作り始めて、しかし特集が毎号全部、〝吉本〟なんだよ(笑)。〝吉本隆明と全共闘〟、〝吉本隆明とナントカ〟、そればっかり(笑)。

外山 もともと2号ぐらい持ってたんですけど、昨日高円寺の古本屋で全巻セット3千円で売ってるのを見つけて、買おうかどうか迷ってるところなんです。たしかに全部そういう特集でしたね(結局購入。創刊号「検証・吉本隆明」、第2号「検証・吉本隆明Ⅱ」、第3号「吉本隆明と江藤淳の彼方へ」、第4号「吉本隆明『共同幻想論』を読む」、第5号「吉本隆明とザ・全共闘」、第6号「吉本隆明と三島由紀夫」[第7号は「吉本隆明とザ・天皇」であるらしい])。


 『テーゼ』と『オルガン』

外山 しかしそうか……ぼくが持ってるのは〝笠井潔・戸田徹・小阪修平・太田竜〟って座談会が載ってる号で、それで後の〝『オルガン』左派〟が『オルガン』の前にやってた雑誌なんだと勘違いしてました。

 書き手が重なってはいる。それはカズピーが……そもそもどうして我々に接近してきたんだったかなあ。たぶん『流動』(70年代に発行されていた、ブラックマネーで運営され新左翼論客が主に執筆する、いわゆる〝総会屋雑誌〟の1つ)がらみだったと思う。『テーゼ』の書き手を求めて、オレなんかも含め、そういうところに書いてる連中に接近してきたんだね。我々も若くて、当時は30歳かそこらで、書ける場所もそんなにまだ持ってないし、協力することになった。書くというか、『テーゼ』は対談がメインの雑誌でしたけど。

外山 絓さん自身もまだ半ば吉本派だった頃ですか?

 いやいや(笑)、オレは高校を出た時点ですでに吉本の影響からは脱してたもん。ただ『テーゼ』の頃にちょうどオレは(吉本の〝論敵〟の1人である)花田清輝について書いてたし、関係なくはないわけです。

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