90年代後半の東北大ノンセクト?自治寮委員長に徹底インタビュー(もくじ)

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 2017年1月20日におこなわれたインタビューである。紙版『人民の敵』第28号に掲載された。
 松本勝巳氏は74年生まれで、本文中にあるとおり、長崎県佐世保市の高校を卒業後、1浪を経て94年に東北大に入学する。高校時代からうっすらと左傾し初めていた松本氏は、たまたまパンフレットを手にして住み始めた「日就寮」(もちろんいわゆる“自治寮”である)の独特の(笑)雰囲気にも完全に感化されて、ほとんど入学するなり東北大の熱心な学生運動家の1人となる。95年にはその日就寮の寮委員長も務めている。99年春に卒業して福岡の企業に就職し、ちょうど「だめ連福岡」を事実上主宰していた私に連絡をとってきた。
 標題に「?」を付したのは、松本氏は主観的には“ノンセクト”(無党派)の活動家だという自己規定で一貫していたのは間違いない事実であるようなのだが、話を聞けば聞くほど、「いやいやそれは客観的には“ほぼ中核派の人”なのでは?」という気がしてくるからである。つまり単に“入党”して正規メンバーとはなっていなかったというだけで……。そこらへんは松本氏自身も、回想しているうちにだんだん自覚が出てくる流れになっている。
 ただし、4回生だった97年に法政大の松本哉の運動(云うまでもなく、「法政大学の貧乏くささを守る会」である。『全共闘以後』参照)を知って大いに影響を受け、“自主学園祭”めいたイベントを開催し始めるなど、ようやく“普通のノンセクト”っぽい側面も出てくる。
 本文中にもあるとおり、東北大で“中核派の拠点”として有名だったのは、松本氏らがいた日就寮とは別の、「有朋寮」(06年に廃寮)である。この90年代後半当時、日就寮を拠点としていた“ノンセクト”勢というのが、全体として、松本氏の回想からはどうしてもそう感じられてしまうような“ほぼ中核派”なものだったのか、それともこれは松本氏個人の運動履歴やキャラクターの問題なのか、私は現時点では松本氏のこの証言しか知らないので、判断できない。
 もちろん、別の角度から当時のこと(あるいはそれ以前の80年代とか、逆に00年代とかのこと)を証言したいという人があれば、またそのうち“全国ツアー”でもやる時に合間をみて話を聞きにいくので、メール等で連絡してほしい。

 その1(原稿用紙換算18枚・うち冒頭5枚分は無料で読める)
 94年の入学以前の東北大生の闘争
 冷戦崩壊後の高校時代に左傾
 村上龍『69』は近隣の高校の実話
 “基地の街”云々よりむしろ酒鬼薔薇事件
 「大学でマルクス主義を勉強したい」
 構内の壁という壁にはアジビラが……

 その2(原稿用紙換算19枚・うち冒頭6枚分は無料で読める)
 日就寮と有朋寮
 入学直前の寮食堂闘争敗北
 入寮選考権は寮自治会に
 ノンセクトの拠点寮と中核派の拠点寮
 毎日のように構内でアジ演説
 “恒久サークル棟問題”で当局と団交

 その3(原稿用紙換算19枚・うち冒頭6枚分は無料で読める)
 サークル棟は引き続き学生自主管理に
 寮委員会は中核派とノンセクトの板挟み
 諸々の運動に寮委員会から担当者を派遣
 自治会は民青→ノンセクト→中核派と変遷
 授業にも闖入してアジテーション
 運動の担い手は中核派と解放派と日就寮生

 その4(原稿用紙換算20枚・うち冒頭6枚分は無料で読める)
 中核派主催の『共産党宣言』学習会
 仏核実験反対でポリネシア人民と連帯!?
 在学期間中にバリストも2回
 客観的には完全に“中核派の一員”では?
 松本哉の法大貧乏学生運動を知る
 ようやく“普通のノンセクト”っぽくなってきた
 文系学部独自の自主学園祭

 その5(原稿用紙換算23枚・うち冒頭8枚分は無料で読める)
 急速に日就寮の“熱心な活動家”になる
 中核派の筆頭オルグ対象
 新入寮生歓迎企画を成功させる
 ますます中核派寄りに……?
 帝国主義大学はむしろ寮予算のスポンサー
 やっと中核派からの影響を脱する
 決裂して卒業


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革命家。マルクス主義、アナキズムを経て03年よりファシスト。福岡市在住。九州ファシスト党〈我々団〉総統。サイト「外山恒一と我々団」(link: http://bit.ly/1wp0Ggi)

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