『ブードゥーラウンジ』への道(〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏インタビュー 2020.02.07)その4

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 「その3」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 〝福岡音楽シーンの重鎮〟ボギー氏へのロング・インタビューである。2020年2月7日におこなわれた。
 ボギー氏の長年の活動の成果として、福岡の音楽シーンの現在がどれだけトンデモないことになっているのかについては、2020年1月に刊行されたばかりの鹿子裕文氏のレポート『ブードゥーラウンジ』(ナナロク社)に活写されている。同書はどちらかと云えば、〝現在〟に焦点を当て、それと直接関係する範囲で〝過去〟のボギー氏の活動史にも多くの言及がある。当インタビューでは、〝現在〟については『ブードゥーラウンジ』を読めば分かるのだから、そこに書かれた以前の諸々、つまりボギー氏が音楽に目覚め、路上デビューし、またステージにも立ち、90年代初頭の福岡のオルタナ系ロックのシーンの中から、ボギー氏が単に演じ手としてのみならず、さまざまなイベントの仕掛人として登場してくる過程に焦点を当てた。
 鹿子氏の本と併せて読むことをオススメする。
 
 第4部は原稿用紙19枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその8枚分も含む。

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 ヨコチンレーベル、誕生!

ボギー 〝ひまわり〟って、すごくヘンなバンドだったんですよ。もともと〝たま〟が好きだったというのもあるし、音楽性としては〝たま〟に近いようなところもあったんですけど、パニックスマイルみたいに変拍子を多用した音楽も好きだったし、いろいろゴチャ混ぜにしたようなバンドでした。楽器編成もさっき云ったように、三味線とか小太鼓とかリコーダーとかでしょ。〝ひまわり〟はわりとアッという間に人気も出ちゃって、結成1年目でワンマン・ライブもやって、100人ぐらい集客しましたしね。
 なのにチェルシーQは全然、出してくれないんですよ。もちろん〝出たい!〟ってアプローチかけてたんですけど。認めてもらえなかったのか、ちっとも出してくれなくて、そうこうしてるうちにチェルシーQ自体が終わってしまったんです。〝最終回〟と銘打って、終わってしまった。それがすごく悔しくて、チェルシーQに出られないんだったら、もう自分でイベントをやろう、と。
 〝ひまわり〟のメンバーと警固公園(福岡市中心部の公園)で飲みながら、「やっぱりオレらはハミダシ者だよなあ。照和からもはみ出しとるし、他のライブハウスでもはみ出しとるし、どこのシーンにもオレらは入れてもらえん」って愚痴り合った。「ヨコチンやなあ」って。オレらはヨコチンみたいなもんや、と(笑)。そこから「会社を作ろうぜ」ってふうに話が大きくなって、〝ヨコチンレーベル〟っていう……警固公園で酔っぱらいながら冗談で云い始めた名前なんです。
 パニックスマイルが、チェルシーQというイベントをやる団体として「ヘッドエイクサウンズ」ってレーベルを作ってたんですよ。そのシンボル・マークがあって、ライブの時もそれが目立つように掲げられてた。それがこんな感じの……(と身ぶりで示す)。

外山 〝考える人〟みたいな……。

ボギー というか、〝ヘッドエイク〟なんで〝頭痛〟ですね。〝頭痛をこらえてる人〟みたいなマーク。それがステージにバーンと貼り出してあるんですよ。それもパクって、〝ヨコチン〟のマークを……。

外山 今でもボギーさんのイベントで掲げられてるやつだ。

ヨコチン

ボギー そうそう、あれです。パンツからヨコチンがはみ出してるような絵をオレが描いて、それをシンボル・マークとしてステージにバーンと貼り出そう、と。
 そんで〝ヨコチンレーベル・プレゼンツ〟で〝ハイコレ〟ってイベントを始めるんですね。そこにチェルシーQに出てるような人たちも、パニックスマイルとかも含めて呼んじゃおう、と。第1回のハイコレにも、まずパニックスマイルですよ。

外山 出してやろうじゃないか、と(笑)。

ボギー いやいや、そんな偉そうなもんじゃないです(笑)。出してもらえぬなら自分でやってしまえホトトギス、みたいな感じですよ。まあ、パロディですね。チェルシーQのパロディとして始めたようなところがあった。ハイコレも、ヨコチンレーベル自体もそうです。

外山 それが96年?

ボギー そうですね。


 ジャンル別に棲み分ける音楽シーンをかき混ぜる

外山 ついにヨコチンレーベルの立ち上げまで話が進んできましたな。

ボギー で、そこからいろんなことが回り始める。

外山 その〝ハイコレ〟というタイトルは……。

ボギー 〝ハイセンス・コレクション〟の略で〝ハイコレ〟ですね。〝パリコレ〟みたいな語感を出そうとした。

外山 何かを始めるぞ、と力が入るとつい〝フランスふう〟に……(笑)。

ボギー そうそう、「セ・ボン・ド・パリ」に続いて……(笑)。結局、カッコつけなんですよ。カッコつけとパロディでオレという人間はできてるんです。
 たいていパロディから入るんですよね。当時のチェルシーQのフライヤーは、超オシャレな、クラブ仕様のフライヤーで、バンドの合間にDJも出たりして、爆音でバーンと鳴らしたりしてたんですよ。その辺も当時としてはすごく斬新で、オレはそこもパクって、だけどいわゆるクラブ的なレコードをかけるDJじゃなくて、ハイコレではラジオのディスク・ジョッキーみたいなのを間に挟むようにした。つまりバンドとバンドの間にオレが、〝オーケー、エブリバディ! DJボギーでーす!〟って出てくる(笑)。

外山 それも今でも続いてるスタイルだ。

ボギー 〝お悩み相談コーナー!〟とか云って、でっち上げのハガキを読んだり、要は全部パロディなんです。チェルシーQに出してもらえんかった腹いせに、まずチェルシーQのパロディから始める、っていう(笑)。

外山 つまりチェルシーQのお笑い路線バージョンというか、脱力版というか、〝カッコいいDJ〟も〝ラジオのDJ〟になっちゃって……。

ボギー そんな感じですよね。

外山 会場はどういうところで?

ボギー 最初は照和です。

外山 へーっ。

ボギー 自分のホーム・グラウンドがその当時は照和だったし、照和に出てるオレが好きなミュージシャンと、それ以外の、ビブレホールとかJA-JAとかハートビートとかに出てるようなオレの好きなミュージシャンを集めて……。

外山 当時の照和は、ロック・バンドなんかも出てたの?

ボギー 出てなかったですね。みんなアコースティック。だけど本来、そんなの関係ないじゃないですか。アコースティックばっかりの場所でやってる〝すごい人〟にもパニックスマイルとかを観てほしかったし、パニックスマイルをはじめ他のライブハウスでやってる人たちにも、〝照和ってフォーク系でしょ?〟って偏見を持ってる人が多いんですけど、照和に出てる〝すごい人〟たちを見てもらいたかったし、要するに〝つなげたい〟ってことなんですよね。多ジャンルのゴチャ混ぜでやりたかった。
 JA-JAだとブルースとかファンクとかだったりしたし、当時の福岡のライブハウスって、完全に〝棲み分け〟が成立してたんです。Be-1であれば……。

外山 〝王道〟の……。

ボギー うん、ビートロックとか、あと当時だとメインはビジュアル系ですよね。福岡のライブハウスのカースト制みたいな感じで、わりとBe-1の〝1強〟時代って感じもありましたし……。

外山 福岡音楽シーンの〝バビロン・システム〟が……(笑)。

ボギー そうそう。


 音楽だけでなくあらゆるジャンルの表現を取り込む

ボギー オレ実はものすごくBe-1が嫌いだったんです。

外山 〝アンチ〟だったんだ?

ボギー アンチでしたね。なぜかって云うと、〝ひまわり〟を結成して1年目に、あるオーディションに出て優勝したんですけど、その時の審査委員長がBe-1のオーナーだったんですね。だけどとにかく〝ひまわり〟を優勝させたくなかったみたいで、めちゃくちゃイヤミを云われたんです。結果発表の時に、「まあ審査員にもいろんな考え方の人がいますから、オレはこれをロックとは思わんし、三味線はロックやないけど、でもこの人たちが優勝です。〝ひまわり〟」って紹介されて(笑)。さらにその後にも裏で、「おまえらはしょせん一発屋やけんな」って云われたんですよ。

外山 イロモノだ、と。

ボギー それ以来、Be-1のことは、ものっすごい敵視するようになりました。今でも嫌いで……まあその後、やむをえない理由で何度か出演してもいるんですけどね。

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