九州ファシスト党〈我々団〉座談会「〝助成金アートの首領〟を弾劾する!」(その4)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その3」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 「九州ファシスト党〈我々団〉」の党員3名(外山、山本桜子、東野大地)による座談会である。2015年8月20日におこなわれ、紙版『人民の敵』第11号に掲載された。
 山本と東野は党内の「芸術部門」を称して、その機関誌『メインストリーム』の発行を2011年9月に開始した。彼らがとりあえず攻撃対象として設定したのが、「地域アート」などと総称される、行政などからの助成金に依存し、市街地活性化など〝街おこし〟〝地域おこし〟に貢献することを謳う全国各地の大小の芸術(とくに〝現代美術〟)イベントであり、その旗振り役とされる東京芸大教授・中村政人氏である。
 実は、2人が「地域アート」を問題視して何やら動き回っていること自体はもちろん外山も把握していたが、それが一体どのような〝問題〟なのか、そして彼らがその〝頭目〟と見なす中村政人氏とは一体どのような人物なのか、詳しい話を2014年11月に初めて聞いたのが、すでに公開した「現代美術シーンという“原子力ムラ”」である。
 この座談会はその9ヶ月後に改めて、彼らの闘争状況や問題意識の変化について聞いたもので、このさらに1年以上後(2017年3月)に、これまたすでに公開済みの「“助成金まみれアート業界”を叩き潰すための作戦会議」がおこなわれた、という時系列となる。

 第4部は原稿用紙換算26枚分、うち冒頭12枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその12枚分も含む。
 ( )内は『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回新たに付け加えた註である。[ ]内は字数計算には入れていない。

     ※     ※     ※


 中村政人氏の話に真摯に耳を傾けてみる

東野 せっかくだから中村政人の例のインタビュー動画も見てみません?

外山 何で検索すればいいの?

東野 ユーチューブで「中村政人」で検索すれば出てくると思います。

外山 あ、インタビューっぽいのがすぐ出てきた。「1」から「5」まであるよ。

東野 たしか「4」か「5」です。

 (中村政人氏の話にしばらく神妙に聴き入る)

山本 (聴き終わって)「市民性を獲得しようとするエネルギーがなければ〝アート〟とは呼べない」って云ってましたね。

東野 うん、そんなこと云ってた。パンクの話も出てきたけど、よく文脈が分からなかったな。

外山 今の話を聞く限りでは、単に街を清掃している人とハイレッド・センターとで何が違うかというと、要するにハイレッド・センターは、パンクが流行する以前に頭をモヒカンにしてたような人たちと一緒なんだ、と。まだ誰もあえてわざわざ〝街をきれいに〟しようなんてアクションを起こさない時代に、ハイレッド・センターは突然、自らの意志で〝逸脱〟して街を掃除してみせた……とまあそんなようなことを云ってるみたいだけど。

東野 〝市民性〟がどうこう云ってるのも意味がつかめなかった。

外山 たしかに君たちが云うように、ハイレッド・センターの〝悪意〟というか、「街をきれいに!」を過剰に実践してみせることによる嫌味、皮肉については一切言及してないね(笑)。〝街を掃除する〟なんて奇妙なことを、勇気を出して、率先して始めた、みたいな云い方をたしかにしてる(笑)。

山本 ってことでいいでしょ。私たちが中村さんの話を曲解してるわけではないよね?

東野 だけどパンクについて「反市民的な」云々とも云ってる。

外山 それはつまりパンク的なことを初期に始めた人たちを……。

山本 私の解釈が混じるかもしれないけど、〝当初は反市民的なものだったが、その行為は当人たちの意図を徐々に離れて、市民的なものへと変化し、市民社会に吸収されていった〟みたいなこと?

外山 市民社会に回収されるというか、市民社会の側としても、そういったさまざまの〝逸脱〟を回収することによって許容度を上げていくし、社会として充実していくわけで、そのことにパンクも貢献したんだ、ってことでしょう。パンクス的な〝逸脱〟も本来は市民社会に包摂しうるもので、パンクは身をもってそのことを示すことで、市民社会をより完成に近づけた。

山本 ガッツがあってイイネ、と(笑)。

東野 そういうことか!

外山 でしょ? パンクスの連中はガッツがあったので、市民社会から爪弾きにされることを恐れず、やるべきことをやったんだ、それが結果として市民社会の内実を豊かにすることに貢献したのだ、と。

山本 なるほど。

東野 ……もう1回最初から聴いてみましょう(笑)。

 (聴き直す)

外山 (動画が終わって)やっぱり市民社会を拡充したり、充実させたり、活性化したりすることに、新しいアイデアや何かで貢献するのが〝アート〟で、そういうことを最初にやる人たちは市民社会からの〝逸脱者〟のように見なされたりしがちだけど、まさにガッツを持ってそうする人たちこそが実際に市民社会の発展に寄与するんだ、っていう話だと思うよ。

山本 だからそういう〝逸脱〟はネガティブなものではなくて、本来あらゆる人に内在してる志向を一足先に表現している、みたいな?

外山 で、きっと誰もがこの市民社会に新たな何かを付け加えることができるような可能性を持っており、そのことに〝気づき〟を与えてくれるのが……。

山本 みんな〝いいもの〟を持ってる、誰にでも居場所はあるんだ、っていう……(笑)。

東野 「市民性を獲得する逸脱するエネルギー」というのは……何ですか?(笑)

外山 その頭の悪そうなフレーズを何とか論理的に解釈してみるならば(笑)、たぶん今云ったようなことでしょう。ある時点ではまだ幅広く認められてはいないような、〝逸脱行為〟と見なされるような行為や存在が〝市民性を獲得する〟、つまり市民社会によって包摂されることを目指して……。

山本 〝市民社会に包摂される〟と云うとちょっとイヤな感じだけど、〝市民性を獲得する〟と云えば何となくポジティブに聞こえる

外山 たぶん〝市民社会に包摂される〟と云ったところで、この人はべつに何の疑問も感じないような気はするけど(笑)。

東野 だけど〝逸脱〟って普通は市民性を破壊するものじゃないですか?

外山 いや、この人は〝弁証法的権力〟の作用について語ってるのかもしれないよ(笑)。さまざまの〝逸脱〟をも包摂して市民社会をより盤石なものにしていく。

山本 それだ!

東野 〝弁証法的権力〟……(笑)。

山本 この人も昔は〝逸脱〟してたんだけど、もう市民社会の〝中の人〟になっちゃって、今度は〝逸脱〟してる若い人たちに内側から手を差しのべてるのかもしれない。


 ダダ&シュルレアリスムと〝民主芸術〟

外山 しかし……朝顔の種を配ってる人たち(なんかそういう〝アート〟があるらしい)とハイレッド・センターを同列に論じられてもなあ(笑)。あと〝かえっこバザール〟とかいう試みを引き合いに出してたけど、何だろう。

東野 (資料を見て)藤浩志って人がやってるみたいですね。

外山 あ、そうなの? じゃあつまんないに決まってる(笑)。福岡の現代美術シーンの人でさ(現在は青森県の十和田市現代美術館の館長らしい)、ぼくが90年代半ばぐらいにそういうとこにチラチラ顔を出し始めた頃にすでに福岡では中心的な位置にいて、ぼくがやってるような政治的な運動については露骨に「アブなーい」みたいな反応だったからね。偉そうにしてるのはそんな奴ばっかりで、福岡の美術シーンはゴミだと確信した。何年かして宮川さんを知って、初めてマトモな人もいるんだと思ったわけだけど。

山本 ……やっぱり中村政人って人は、ある意味でとっても〝反芸術〟なんじゃないかな。

外山 うん、〝芸術〟を台無しにしてるもんね(笑)。

山本 だって〝反芸術〟という問題意識でやってたハイレッド・センターも、〝朝顔〟の人や〝かえっこ〟の人も、清掃業者やリサイクル業者や園芸家と同じ扱いになっちゃうんだし(笑)。

東野 ヒドい……。

外山 全部が台無し。

山本 もうちょっと〝芸術〟をリスペクトしろよ、と云いたくなる。

外山 ダダイストにそこまで云わせてしまうとは、恐ろしい(笑)。まあ、藤浩志みたいなつまんない奴と赤瀬川原平を同列に論じちゃう時点でものすごい〝反芸術〟だ。

山本 藤浩志なんかはまだ〝アート〟のインサイダーだけど、さらに〝アート〟と〝アート以外〟の間の壁も取っ払ってしまおうとしてる気がする。〝アーティスト〟ではない人が何かちょっと変わったことをしても、〝それもアートだよ〟って取り込んでいくような。

外山 あらゆる〝芸術〟的な階層や序列を無化しようという……。

山本 究極の〝反芸術〟。どうすればいいんだろう

外山 要は〝民主派〟ってことでしょ。ある意味、民主主義ってのは〝反芸術〟なのかもしれないね。

山本 うん。

東野 民主主義社会には〝市民性を獲得する、逸脱するエネルギー〟があるんですか?

外山 そりゃそうですよ。市民社会から逸脱しようとするエネルギーをも自らの養分とし、肥え太っていくわけでしょう。

山本 昔は身分社会で、〝アート〟ってのも特権階級のものだったんだけど……。

外山 そうではなくなったことを肯定的に評価してるはずだよね、中村政人は。しかし〝アート〟が特権階級のものではなくなって〝平等な市民〟一般に開かれちゃうと、今度は〝市民〟どもが、「オレたちに理解できない〝アート〟なんかに価値はない」みたいに増長するわけだ。アーティストは広く一般に受け入れられるものを目指さなければならなくなる。それが行き着くところまで行って、現在のテータラクですよ(笑)。でも中村政人はそのことを良しとしてるんだね。

山本 初期のダダイズムが目指したことにも似てるような気もするんです。そういう意味で〝このテータラク〟にはダダイストも一枚噛んでしまったのではないか、って忸怩たるものがある(笑)。

東野 ダダイズムよりシュールレアリズムの罪だと思いますよ。

外山 ダダイズムは、袋小路に入ってしまいつつあった当時の〝現代美術〟を、大衆の視点と〝真の貴族〟の視点と、両方からワーワー攻撃したんじゃないかな。シュールレアリズムの、あの〝民主っぷり〟というか〝左翼っぷり〟がどういう文脈だったのか、ぼくはよく理解できてないんだけど。

東野 芸術が専門化して、ワケの分からない〝難しい〟ものになっていくことからくる閉塞感を、〝理性の外〟にある〝狂気〟とか〝無意識〟とか〝民衆の云々〟とか、要するに近代的理性に汚染されていない〝無垢〟なものを対置して突破しようとしたんです。

外山 なるほど! 理性に対する無意識、〝知識人〟や〝芸術家〟に対する〝大衆〟って図式が重ね合わされてたわけか。

東野 多少はマトモなシュールレアリストなら、〝民衆〟とかでなくせいぜい〝狂人〟を対置する程度にとどめるんだろうけど、うっかりすると〝民衆〟を対置してしまいそうですよね(笑)。

外山 そういうことだったんだ。どうもあの〝民主〟っぷりと、しかし一方でフロイトがどうこう難しげなことを云ってることとのつながりがピンときてなかった。

東野 ほら、よくいるじゃないですか。正規の美術教育を受けた専門家が描いた絵よりも、無垢な子供たちが描いた絵の方がずっと素晴らしい、みたいなことを云う連中(笑)。ああいうのもシュールレアリズム系の芸術観だと思います。ダダイズムにもそっちに行きかねない危うさはあったろうけど、もう少しディオニュソス的(陶酔的・激情的)な感覚を肯定するでしょ。〝キャバレー・ヴォルテール(ダダイズムが誕生し、またその活動拠点となったスイスのチューリヒの酒場)の騒乱〟みたいな。やっぱりダダイストからすれば、こういう〝芸術の大衆化〟は面白くないんじゃないかなあ。

外山 いや、だから中村政人はそのダダイズムをも破壊しようとしてるんだよ、究極の民主芸術派として(笑)。よく桜子ちゃんがダダイズムを説明する時に云ってる「〝芸術とか云ってんじゃねーよ〟ってことを表現する芸術です」ってフレーズを応用すれば、「ダダイズムとか云ってんじゃねーよ」っていう(笑)。


 〝助成金アート〟は物理的に叩き潰すしかない

東野 でもこういう人たちに共通するノリがありますよね。〝破壊〟とかもう古いんだよ、みたいな。そんな奴いっぱいいるでしょ、知ったふうな顔して云う奴。

外山 うん、やたら多い。〝右とか左とかもう古い〟とか云うのと同じ連中。やっぱりシールズとカブる(笑)。でもたぶん中村政人は〝破壊〟を全否定してるわけでもなくて、そういう〝逸脱〟が市民社会をさらに鍛え直していくって云ってるわけだし、だから〝ガッツがあってイイネ!〟と……(笑)。

東野 恐ろしい……。

外山 そんなもん〝物理的にやっつける〟以外の対処法はない(笑)。

東野 つまり下手にアンチテーゼを打ち出したところで、ジンテーゼとして取り込まれてしまうってことですからね。必要とされているのは云わば〝絶対的なアンチテーゼ〟だ、と。……殺すしかないのか(笑)。

山本 殺したところで第2、第3の中村政人が次々と出てくるだけですよ。だって芸大で教えて後継者も育ててるんだもん。

外山 教育されて、〝街おこしアート〟みたいな美術シーンを再生産し、活性化していくことでしか生き延びていけないような連中がいっぱい社会に送り出されてるわけだね。犯罪的なことをやってますなあ。

東野 シャブ打たせて中毒患者を増やしてるようなものですよ(笑)。

山本 ほんとにそうだと思う。

ここから先は

5,612字

¥ 260

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?