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それ以上でもそれ以下でもない。

日曜日の昼下がり、私はいつもと逆方向の電車に乗ることにした。いきあたりばったりで歩き、お腹が空いた頃、たまたま目に入った中華料理屋さん。
そこの店主が気さくだったのですっかり話し込んだ。
しかし出されたラーメン餃子セットはあんまり美味しくない。私は店主に愛想笑いし、麺を流し込むと店を後にした。

さっき、夕飯を作りながらそんな妄想をし、苦笑いしていた。

そうなのだ。知っている街の店の味が期待外れでもそんなにがっかりしないと思う。でも、ふらりと入った店で店主が気さくだったのに、ご飯が美味しくないと私はすごくしょんぼりしてしまうと思うのだ。

多分、ふらりと歩き行き着いた街の人と触れ合い、楽しい思いをする、そんな番組が大好きだからだと思う。

いきあたりばったりで入った店、しかも気さくな店主に出会ったら、ご飯はどうか美味しくあってほしい。それがお約束であってほしい。

でも、よく考えたら、そんな難易度の高いことは(私にとっての現実は)滅多に起こるはずがないのだ。

だって、土地勘もない街で初めて入る店が美味しいかどうかなんて、私にはわからない。店構えでわかる人もいるらしいけれど、私はそんな素敵な勘を持ち合わせていないのだ。
それに加え人見知りなので、気さくな店主と話し込んで料理を味わうこと自体が難しい。
ラーメンは大好きなので美味しくいただけると思うが、この状況で飛び上がるほど美味しいラーメンって、出会うのは難しいんじゃないかしら。

そのジャンルの番組が好きだからこそ、そんな展開を熱望し、叶わないとしょんぼりしてしまうのよ。
(番組を批判するつもりは全くありません。念のため)

私は、日々の出来事は、それ自体にそれ以上のドラマや意味はないものだと思っている。それでも反射的に、日々の出来事に意味を求め、ドラマチックな展開を期待してしまう。
だから、いつもそれ自体にそれ以上の意味はないのだと言い聞かせて生きている。
悲観する必要もない。
それ以上でもそれ以下でもないのだから。

「この出来事は、未来のどんでん返しの伏線に違いない」

この前の貧乏くじな出来事は、そのように自分に言い聞かせやり過ごした。でも、その伏線はいつまでも回収できないまま、私は鳴かず飛ばずの日々を送っている。

これを書きながら、日曜日の晩に夢もヘチマもないとしょんぼりしそうだ。自分の希望をつなぐためにもこの辺で結論を書こうと思う。

人生にはドラマチックなことは無限に起こりうる。

これは、真実。

でも、人生は物語としては完成度が高くないので、ドラマチックな出来事は支離滅裂、無責任に起こる。

これが、現実。

こうきて、こうきたら、こうなる。
そんなお約束が通用しない。それだけのことなのだ。期待通りに進まない。独りよがり。それが私の毎日。
回収しきれず置き去りにされた伏線が、自分の歩いた道を絡まり転がっている。それだけのことなのだ。

明日、アイスの当たり棒を引くかもしれない。
でも、それはそれだけのことで、これは、年末に宝くじが当たる前振りではない。
それ以上でもそれ以下でもない。

明日の昼休みの後、素敵な人が、意味深な笑いで見つめてくるかもしれない。
でもそれはそれだけのことで、昼ドラも真っ青な恋愛劇は展開されはしない。
それ以上でもそれ以下でもない。

◎その後の展開に期待すると、がっかりする。でも、一つ一つの出来事そのものを味わえば、毎日の生活はなかなかドラマチックだし、わくわくできるのかもしれない。
◎起きた素敵な出来事の賞味期限は短い。
その後の展開に期待し過ぎず、その場で美味しくいただこう。

私は今日、これ↑を提唱したい。

小さな幸せをたくさん見つけていけば幸せになれる。
そんな考え方が世の中定着しつつある。これとセットにすれば、人生はまあまあ楽しい。
と思う。

他の皆様は素敵な人生を送っているかもしれません。
だからこれは自己完結したライフハックです。念のため。

どうか明日も平和に過ごせますように。 


この話を別の方向から考えたnoteです↓