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マレーシアの雑誌の取材

マレーシアで30年以上の歴史を持つ雑誌から、取材依頼を受けました。以下がメッセージの翻訳です。(一部省略)

豆乳ラーメン専門店「豆禅」に取材依頼が来た。

豆乳ラーメン専門店「豆禅」をマレーシアの読者に紹介することに快く応じてくださったことに、深く感謝いたします。

読者の皆様に、あなたの料理哲学について貴重なコメントを提供するために、以下に質問を用意しました。
私たちは、あなたのオリエンタルVegan豆乳ラーメンに対する情熱と経験を私達の読者にお伝えします。
あなたの話は、私たちのインタビューをより豊かなものにし、読者により深い理解をもたらすと信じています。
改めて、オリエンタルVegan豆乳ラーメンを取り上げる機会をいただき、誠にありがとうございます。
尊敬する御社のレストランについてもっと知りたいと思います。そして、読者の皆様と分かち合いたいと思っております。

記者兼ライター「〇〇」マガジン 〇〇 〇〇

米川氏への質問(自己紹介)豆禅の歴史や成り立ちについて

Q まず、米川さんご自身のことにつてい教えてください。そして、豆乳ラーメン専門店「豆禅」(以下、豆禅)の歴史や成り立ちについて教えてください。
Ans 米川実、52歳。飲食業に長年携わり、高級フランス料理のウェイターや寿司屋のフランチャイズ店でのオープニングスタッフ〜店長代理経験等々を積み、京都の老舗フードバーではバーテンダー&調理を務めました。その後、京都の湯豆腐屋で10年以上料理長を務め、尺八の師範としても活躍。現在は、日本で一番古くて長い(と言うことは世界一古い?)、老舗のVeganラーメン専門のレストランを経営しています。幅広い飲食業界での経験と、伝統的な日本文化に精通した料理人として、お客様に新たな食の体験を提供しています。
元々、京都の湯豆腐屋の料理長をしていた頃、京都で初めて湯豆腐に豆乳を入れ始めました。ですので、私のお店は豆乳湯豆腐発祥のお店でした。それ以前は鍋料理に豆乳を使うと言う文化がなかった時代に豆乳を湯豆腐に使用しました。(その後、世間では豆乳鍋と言うジャンルが誕生し、鶏肉や豚などが入ったものがメジャーになりました。)それには理由があります。京都で有名な湯豆腐とは、鍋に
1、水(京都の地下数百mから汲み上げた井戸水)、
2、利尻の昆布(北海道の利尻島で採れた20mほどある昆布の根に近い部分。礼文島の昆布も同様)、
3、豆腐(自家製と仕入れるところの2パターンある。前者は南禅寺の「奥丹」、後者は嵐山の「湯豆腐嵯峨野」)
の三種類のみです。
 当店は京都の下鴨にある「豆腐のすがい」さんから仕入れた富山産エンレイを100%使用。凝固剤に「にがり」(塩化マグネシウム)を使って固めた、スーパーでは売ってない、手作りの濃厚な豆腐を仕入れていました。
湯豆腐屋はその豆腐にあう自家製の「つけだれ」を作り、薬味を添える。コース料理として胡麻豆腐、生湯葉の刺身、生麩餅の田楽、その他の季節の小鉢や料理、ご飯に香の物、デザート等でコース料理として出している。
湯豆腐は鍋に水と昆布と豆腐を入れ、沸騰しない程度に煮て温まって柔らかくなった豆腐をつけだれと薬味で頂く。シンプルですが、奥の深い食事法で、日本が肉食文化が入ってくる以前は湯豆腐屋が全国津々浦々にあった程、日本人に浸透していた食事法です。元は禅寺のお坊さんの食事法だったものが、一般庶民に広がったと聞いています。
豆腐は大豆で出来ています。大豆は栄養が豊富でタンパク質が肉や魚に匹敵する程、含まれています。その大豆を湯豆腐は短時間で効率的に大量にしかも大人数に摂取できます。
その時代、たくさんの人が訪れる、社寺仏閣にファミレスの様なレストランが無かった時に何百人もの人がスピーディーに食事ができる場所が湯豆腐屋だった様です。
話がそれましたが、僕が料理長をしていた湯豆腐屋には、その湯豆腐の豆腐を食べた後、残った昆布と汁(豆腐を茹でた後の湯)も残さずに飲み干していくお客様がいらっしゃいました。普通の人は豆腐だけ食べて、昆布や茹で汁は残していく人がほとんどです。しかし、残さずに飲み干す人が時々いるので、一度尋ねて見ました。すると、「豆腐を水と昆布で煮ると、その豆腐から何か良いエキスが出てるかもしれないし、昆布からも出汁が出てるので、もったいないから飲むんです。」と、おっしゃいました。
そこで、その時に僕が閃いたのが「豆乳湯豆腐」です。湯豆腐の豆腐と昆布と水、の水の部分に豆乳を足しました。そうすることで、豆腐から良いエキスが出るのを封じ込めることに成功しました。それからはレンゲをつけ、お客様全員に豆乳湯豆腐の豆腐を食べた後の残った煮汁もつけだれと割って、飲むように勧めました。それが豆乳鍋の原型が誕生した瞬間でした。そして、その煮汁とつけだれのブレンドしたスープが、その後、豆乳リゾットになったり、締めに麺を入れたりすることで、豆乳ラーメンになっていきました。
豆乳ラーメンはフタッフの間で賄いメニューとして人気になり、豆乳湯豆腐屋でのオフシーズン限定メニューとしてデビューするように、研究に研究を重ねました。約1ヶ月、毎日、豆乳ラーメンの水と出汁と豆乳で作るスープの配合の黄金比率を決定するためにスタッフの賄いが毎日豆乳ラーメンになりました。そして、遂に黄金比率が完成し、豆乳湯豆腐屋で元祖豆乳ラーメン「武蔵」を提供し始めました。
過去にもオフシーズン限定メニューは沢山考え出されたのですが、インパクトが少なく、それ程の注目度が無かったのですが、豆乳ラーメンだけがリピーターが訪れたり、しばらくすると京都の有名雑誌や海外のテレビから取材が来ました。
「これは今までとは何か違う」と感じました。しかし、湯豆腐屋は湯豆腐屋でラーメン屋ではありません。オフシーズン限定では、ラーメンがメインのお店ではないので、豆乳ラーメンだけのお店をしてみたい、と言う思いが募りました。そんな時に今の奥さんと出会い、新居を買うときに店舗付き住宅にし、一階がお店、二階が住宅と言う隠れ家的な京町家を購入することにしました。お昼は湯豆腐屋で働き、夜は自宅で豆乳ラーメン屋をする、と言う二足の草鞋を履くことにしました。そうこうして、2004年7月26日にひっそりと静かに、全く宣伝もせずに、豆乳ラーメン専門店「豆禅」がオープンしました。

Vegan豆乳ラーメン誕生秘話とその裏話や失敗談

Q 日本のラーメンには豊かで多様な歴史があります。そのラーメンの進化について、どのように、あなたの店に特徴的なメニュー作りの影響を与えたのでしょうか?
また、どのような影響を受けているのでしょうか?
Ans 私の奥さんの実家が博多なので、博多ラーメンの影響を受けています。茹で時間の短い細麺を使い、替え玉ができるシステムは博多しかありません。当時、ラーメンと言えば豚骨、鶏ガラ、醤油、塩、味噌で、京都は豚骨醤油が主流でした。豚骨ラーメンは豚から食べることができる豚の肉を取り除いて残った、本来捨てるような骨の部分を使用し、鶏ガラスープは鶏から鶏肉を取り除いて残った、本来捨てるような骨の部分を使用して、ラーメンのスープを作るのですが、禅の教えでは無駄な殺生をしないため、世界で一つぐらい、豚も鶏も殺さずに食べれるラーメン屋が存在してもいいんじゃないか?と言う思いから、その当時、誰もやっていない、豚骨でも鶏ガラでも無い豆乳ラーメンが誕生したのでした。
盛り付けに「生湯葉の刺身」を使用したのは、普段から湯豆腐のコース料理に使っているのもありましたが、京都の禅の食文化の象徴でもありチャーシューの代わりになると思いました。そして、真ん中に梅をあしらうことで、日本の国旗を表現してみました。

Veganで醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメンは簡単に作れそうで、それ程インパクトも少なく、作り方も想像しやすく、誰でも作れて、すぐに真似されそうなので、商売としては興味ありませんでした。その点、豆乳で豚骨風を表現するためには、企業秘密が必要不可欠なので真似することはできません。恐らく、この企業秘密は誰にも真似ができません。日本でこの味を一緒に広めてくれる人(お弟子さん)には、2〜3年ぐらい修行してくれれば、教えてあげようと思ってます。実は弟子募集中です。(切実に)

その昔、広島から来たお弟子さんが、ベジタリアンの人が好む、ちゃんぽん風の野菜たっぷりラーメンも開発し提供していたことがありますが、実際に商売として、うちのような狭い厨房で何種類もの商品を提供するのは大変困難だったので、その後やめました。今、彼は「vegan cafe CLOUD8」 (ヴィーガンカフェ クラウドエイト)と言う名のhttps://maps.app.goo.gl/3dKUTMdH5yamXXQW6
レストランを京都の北の方の山の頂上で経営しています。

あと、本当の初期の頃は毎月具が変化する創作豆乳ラーメンもあったのですが、大変過ぎてやめました。季節の野菜を使ったり、生麩や車麩でチャーシューを表現したり、菜の花や蕗などの山野草を使ったり、もやしの代わりに繊細な金平牛蒡をあしらったりしてみたのですが、どれも採算が合わず、苦労の割に儲かりませんでした。(当時ラーメン一杯600円)

豆乳ラーメンが日本のヴィーガン文化へ与えた影響

Q 豆禅(Towzen)の豆乳ラーメンは完全にオリエンタルなヴィーガン料理を提供しています。オプションではなく、ヴィーガンメニューをメインに取り入れることにした理由と、それが日本のヴィーガン文化、特に京都のヴィーガン文化にどのように影響しているか教えてください。
Ans 最初のコンセプトは、豆=豆乳ラーメン、禅=座禅、と言う意味で、豆乳ラーメンは座禅をする前の軽い食事と言う意味でした。空腹で座禅をすると、お腹が減って集中できないので、座禅をする前に少し食事をする。その時に食べるための食事(菜食)の一つが豆乳ラーメンでした。もちろん、無駄な殺生をしないので、今で言う動物性食品不使用(ヴィーガン)と言うことになります。日本でヴィーガンと言う言葉が使われ出したのは、私のお店が出来て4〜5年後でしたし、私もヴィーガンのことについては知りませんでした。やがてヴィーガンの人達が食べに来るようになると、満席になり行列になりました。恐らく、その頃に多くの飲食関係の日本人の人達も全国から視察に来ていたのだと思われます。その後、見る見るうちに東京や全国の津々浦々でヴィーガンのレストランを出すお店が誕生していきました。私のお店はお世辞でも立地の良い場所では無く、閑静な住宅街です。主要な駅からも遠いし街中の人通りの多い場所でも、観光地の近くでもありません。常識ではお店が流行る場所ではありません。ですので、少し考えれば、駅が近くて街中や観光地の近くでやれば簡単にヴィーガンのカフェやレストラン、ヴィーガンの変わり種ラーメン屋でビジネスを成功させることができると思うんじゃないでしょうか。そういった意味で日本や京都のヴィーガン文化に人知れず影響は与えてると思います。

京都の精進料理とビーガン文化との整合性について


Q 日本、特に京都のビーガン文化との整合性について教えてください。
Ans 京都は禅寺が多く存在し、精進料理など元々動物性食品を使用しない料理や文化が浸透していました。しかし、日本の精進料理はお寺で修行するお坊さんが食べるもので、一般的な庶民は全く興味のないものでした。一般的な日本人は毎日、何かしら肉を食べていますし、一部のお坊さんですら肉を食べています。そして、精進料理は「ハレ」と「ケ」があり、「ハレ」とは華やかな高級な精進料理で、1年に1度、他の土地から偉いお坊さんなどが禅寺に訪れた時にだけ出す様な、豪華な精進料理のことで、「ケ」とは修行中の下っ端のお坊さんが毎日食べる1汁3菜のような、粗末で簡単な精進料理のことを言います。現在、料亭や禅寺の近くの仕出し屋から運ばれる精進料理は「ハレ」の方で、お値段も1万円〜するのがほとんどです。「ケ」の方の精進料理ではビジネスは成り立ちませんし、世の中に存在もしません。そこで、日本人が一番好きで毎日でも食べる、国民食のラーメンに精進料理を落とし込めば、何かしらの理由で動物性の肉を食べない人達にも、精進料理が食べたいけど高くて食べれない人たちにも、海外から来るビーガンの人達にも食べていただけるのではないか?そして、ビーガンの人に精進料理に興味を持ってもらうことにも、禅寺や精進料理のお店の方々にもビーガンの人達がお客様としてのターゲットになると思ってもらえるのではないか?と言う思いもあって、ビーガンで精進料理の豆乳ラーメンが存在することによって、お互いがお互いに認め合い、歩み寄る可能性があるかも知れません。


コッテリでもあっさりでもない、その中間=こっさり

Q 本当に印象に残るラーメンを作るには、技術と技能が必要です。味わい深いラーメンを作るための「豆禅」の秘訣をお聞かせください。香り豊かな、一度食べたら忘れられないラーメンを作る秘訣を教えてください。
Ans 「Try & Error」常に挑戦と失敗の繰り返しです。豆乳は栄養が高くデリケートなので、夏場はすぐに発酵して腐りますし、味の変化は激しく一筋縄ではいきません。出来立てのスープは青いというか若いというか、さらさらしてて味がボジョレーヌーボーなんです。しかし、何度も煮詰めたり、時間が経ち湯葉ができたりして、暫くすると濃厚なこってりしたスープに変化していきます。濃厚になりすぎてもダメで、さらさらでもダメ。なので、その間を行く、コッテリでもあっさりでもない、中庸のスープ(こっさり)を目指してます。ラーメン屋はスープが命。ですので、スープを残さずに食べて行くお客様を見ると嬉しいですね。

「豆禅」は、まだまだ、成功したとは思ってない。

Q レストランを成功させるには多くの要素が必要です。その中で競争の激しい外食産業において、「豆禅」の成功に寄与する重要な要素は何だとお考えですか?
競争の激しい外食産業における「豆禅」の成功の鍵は何だと思いますか?
Ans まず、この豆乳ラーメンのコンセプトは「宇宙平和」です。世界が平和になることを前提に宇宙平和を目指してます。肉食文化は戦争の引き金になってる可能性があります。そして、競争をしているつもりはありません。最近では競争ではなく共創、と言う概念で語られることも少なくありません。「豆禅」が存在することで、他のビーガンラーメン屋レストランも新たに誕生して、お互いが存在することで、新たなステージに進む。まずは肉食文化に匹敵するほどの菜食文化を築くことにあると思ってます。そして、「豆禅」はまだ成功には至ってません。「豆禅」の目指す成功は日本のちゃんとした和の文化を世界に広めるために、本来の「豆禅」を世界中に作り、その後、禅の文化や精神を広め、チャイナタウンのように「ニホンタウン」を形成して行くことが最初の目標です。その次は・・・


看板メニューは「武蔵」と鰻の蒲焼風茄子の押し寿司

Q 「豆禅」のラーメン哲学を体現し、京都の常連客に愛されている看板メニューをいくつか教えてください。
Ans 武蔵です。生湯葉と梅で日本の国旗を表してます。武蔵とは宮本武蔵のことで、昔、湯豆腐屋があった場所の近くに宮本武蔵と吉岡一門の決闘した松があったことから名付けました。彼は二刀流で両手で刀を持って戦った第一人者であることから、多くの著名人が「武蔵」や「二刀流」を名乗っています。豆乳ラーメン「豆禅」もラーメンと禅の二刀流でもあり、武蔵が決闘した場所の近くで誕生した豆乳ラーメンと言うこともあって「武蔵」と名付けました。

あと、「鰻の蒲焼風茄子の押し寿司」も人気です。昔、寿司屋で働いていた経験を活かし、ヴィーガン寿司屋もやろうと思えば出来るのですが、豆乳ラーメンで手がいっぱいなので、あえて茄子の押し寿司だけやってます。期間限定商品だったものが人気がありすぎて定番メニューになりました。今、カナダのプリンスエドワード島にいるお弟子さんが考案したものです。

日本とマレーシアは違う

Q 「豆禅」がマレーシアに進出した際、マレーシアの文化に合わせて味を変えたのですか?それとも京都のルーツに忠実な味を再現したのでしょうか?
マレーシアの文化はメニューや食事にどのような影響を与えましたか?
Ans 忠実に再現しようとしましたが、現地に合わせて味を合わせた、と言うのが正解でしょうか?もちろん気候や風土も違いますし、食材も完璧に同じものを仕入れられるわけでもないので、全く同じ味を再現できるのは不可能に近いです。マレーシアではたくさんのメニューからいろいろなものを選んで注文するスタイルが好まれるらしいので、京都のお店より品数が豊富になってます。もちろん微調整を重ねてより良いものを提供できるように努力しています。
マレーシアの文化は日本とは違うので、提供のスピードが早く、料理の見た目も華やかなものになってます。日本にはない現地でしか手に入らない食材を使用し、より充実した質の高い菜食料理を楽しめるように工夫しております。

無の境地から豆乳ラーメンができた!?

Q 米川さん、芸術や禅の一形態としての料理についてどのようにお考えですか?
また、禅についてどのようにお考えですか?
Ans 禅は、日本の仏教の一派であり、座禅を通じて直感的な悟りの体験を追求する実践的な精神修行です。その修行の妨げにならないようにお坊さんのために調理された食事を精進料理と言い、典座と言う料理長的な存在が、責任を持って調理します。禅の核心は、言葉や概念を超えた悟りの体験を通じて、この世の真理を理解することです。 禅についての主な実践法に座禅がありますが、座禅では姿勢、呼吸、そして心の状態に注意を払いながら座禅をすることで、悟りを開くことを目指します。私は毎日、仕事前(作務と言って座観式枯山水の石庭の庭掃除と水やりをした後の厨房に入る前)とお昼の営業を終えた後の休憩時間に座禅をしていました。座禅の時に「ほっとする禅語」の本に載ってる禅語の一つについて深く考えたり、その本が飽きてきて、「続・ほっとする禅語」の本に載ってる禅語について深く考え、その本にも飽きて来て、次はマヤ文明のマヤ暦の今日の意味について勉強し、座禅の時に深く考えたりしました。他にも歩行禅や軟酥の法、数息観、線香の煙を見つめる座禅やロウソクの炎を見つめる座禅など、様々な種類の座禅をしました。さらに独自に一歩進化させた形の座禅「寝禅」を、毎晩、寝る前にすることに。あらゆる情報(新聞、テレビ、雑誌、映画などなど)を遮断し、独学で学んだ脳科学の技術を応用して、ついに!幽体離脱を経験しました。その時、宇宙を遊泳するような体験をしましたが、その様な体験から宇宙平和を目指すようになりました。人類が早く宇宙に行ける世の中になるためには世界が平和になる必要があり、そのために無駄な殺生をしない食事を普及させる必要がある。その為に、一番手っとり早い近道として、無の境地から誕生したのがヴィーガン豆乳ラーメンでした。

五観の偈(ごかんのげ)

Q また、ラーメンや料理の芸術性と禅の哲学との関係をどのようにお考えですか?
禅の哲学との関係をどのようにお考えですか?
Ans 禅とは悟りの境地を目指すことであり、実践あるのみです。豆乳ラーメン専門店「豆禅」ではラーメンを食べることで、悟りの境地の状態を目指すことであり、食べ方で修行を実践しています。ですので、ラーメン一杯を食べる、その食べ方の最初から最後までが、その人の一生の人生の全てを表現している、と言っても過言ではありませし、一人一人のその食べ方に人類の命運がかかってると言ってもいいでしょう。料理を注文し、料理ができるまで心を静かに待ち、五観の偈(ごかんのげ)を心の中で唱え、食事する心構えを整え、ラーメンが出来上がってきて、麺を食べ、具を食べ、スープまで一滴も残さずに食べるのが望ましいです。

五観の偈とは、
・一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
・二つには己が徳行の全欠を忖って、供に応ず。
・三つには心を防ぎ、過を離るることは、貪等を宗とす。
・四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
・五つには成道のための故に、今この食を受く。

意味を簡単に述べると、

感謝する

この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をして頂きます。

反省する

自分の行いが、この食事を頂くに値するものであるかどうか反省して頂きます。

正しい心を育てる

食の文化を大切にして、食事作法を重んじる。食事をする時の姿勢を正しくして、器を持ち上げて、スープも残さず頂ききます。

心身の健康

食とは良薬なので、身と心の健康を保持するが故に頂く。

菩薩道の実践

今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるために頂く。


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