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描いた道を外れていくこと

この前熱海に行ったときの一番の思い出は、「旅館までのんびり歩いて行こう」と先輩が前もってスクリーンショットしておいたマップ(普段国外にいる我々の携帯はWi-Fi環境下以外では使えない)を見ながら、くねくねと小道を曲がったり坂を下ったり下ったり下ったりした結果、その画像がどうやら先輩が「うまそう」と思って保存しておいた飯屋へ続く画像であったことがわかり、結果坂を上ったり上ったり上ったりして道を戻ることになり、スーツケースをひっぱる肩を痛めベビーカーを押す腰を痛め、「温泉に行くのに体を痛めていくなんて、温泉客の鏡だね☆」という悲しい冗談を交し合ったこと。

この前動物園にふうか氏を連れて行った時の一番の思い出は、ハトが好きだから動物も好きだろうという安直な推論が見事に外れ、動物にまるで興味がなく、帰り道に寄ったレールランドというところで電車とバスにはわりと興味があり、そのなかにあった滑り台には大興奮でキャッキャしていたこと。動物園まるで関係なかったこと。

何が言いたいかというと、頭で描いた「よい思い出像」とはなんだかまるで違うけど、そのまるで違いっぷりがなんかいいなとおもったのだ。

※2016/12/26に下書きしたまま留めておいたもの

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NY在住の四コマまんが&物書き。
コメント (2)
このことに似たことを最近考えていたので、なんだか余計にああと思った。わたしが今手にしているもので本当に尊いとおもっているものって、なんだろう、意図して手にしたものでなく、偶然のつながりで手にしたもののほうなんだよな。なんとなくこうなったらいいなあっていう願望があるんだけど、『固執することはない』…となんとなくおもう。でも、そう思ってるうちは叶わないのかなあって思ったりして、今日もわたしはグズグズしている。
ちょっとこれを書いた後に色々あり、いやそれでもこうなったらいいなあの方向を目指してみようとおもった。行かないとわからない。行ってみたあとに望んだものが違うものであったら、そのときは固執せずに手を伸ばそう。
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