noteについて思うこと(1)

noteについて、わたしが勝手に思っていること。

1、noteはまるで学校のようだ

前に「商店街」のようだという意見を見たことがあるのだけど、わたしはそれよりかは「学校」みたいに感じている。
たとえば小説科の灰谷さん、マンガ科のまみすけさん、ラジオ科のjullietさん…みたいな。
あ、でも習字がすごくてエッセイもすごくてさらに料理もすごいunimamさんとか、マンガも歌も作曲もやばい人類の宝としてのさとねことさんとか、もっと形容しがたいひととか、なんというか何科って言えないひともいる。というか科じゃなくて「~をやってる」●●さんでいいのか。わたしもひとつに決めきれずにぽこぽこやってるし。
あとは、ちらっとつぶやく言葉がすごい刺さるひととか。
正直ちょっとやばそうな何かを感じるひととか。
なんというか愛さざるをえないひととか(?)。
いろいろいる。
プロのひともアマのひともいるんだけど、不思議とnoteの中では皆フラットにおもえる。ただ「人気者」はいる。
それぞれが刺激を受け合ったり、いっしょになんかしたり。
リスペクトしたり、心がザワザワしたり、ほっとしたり、両想いだったり、片思いだったり、険悪だったり、興味なかったりしている。
あと学校ぐらいの距離で、ひとと仲良くなりやすい気がする。

2、そのひとがそのひとであることが同じ方向性のひとをほっとさせてる

と、おもっているので、無理しないようにしている。長く続けようと思ってるから!たぶんわたしはひとりでチマチマやってる派なんだけど、そういうひとはそういうひとがいてくれるとほっとするんじゃないかと勝手におもってる。わたしがそうだから。同じ理由で、日々のことを呟く人は同じ人をほっとさせてる。たまに現れる人は、たまに現れるスタイルでもいいんだとおもわせる。

3、ひとつの方向性だけより多様性があったほうが長持ちするとおもってる

この場所はこうあるべき、みたいなのは絞らないほうがいいとおもっている。場所があって、機能があって、いろんな活用方法があるほうが場所として生き延びていけるとおもう。あと使いがいがある。新しい使い方を模索できると、新しい可能性も広がる。
だからクリエイターうんぬんビジネスうんぬん普通のSNSうんぬんは、縛りがない方が見てて楽しいから、個人的には色々であってほしい。「なんでもあり」(※常識内)な雰囲気であってほしい。縛られたら気軽にアップできないのが窮屈でひとは離れる気がするし、なにより人がいなくなってしまうのが寂しい。ここにしかいない人が。それが宝なのに。
この場所は「見る・聞く・読む人」(楽しむ人)がもっといたほうがいい場だとおもうから、そういう意味でもTLがすべて作品になるのは無理な気がする。
ただ「作品をつくったり、売ったりすることに肯定的な人」が集まるということがすごく意味があるんだとおもう。それは他のSNSにはない特徴なんじゃないか。


つづくかつづかないかも定かではない。

追記:あとこれ、違う意見の人を否定したくて書いてるんじゃないんです。むしろたいていは聞けて嬉しがってます。ただ「わたしはこう思ってるよ!」って言いたいだけです。

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