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「社会は暗記科目だから頑張れる」への違和感

教育出版社で小中学生向けの学習参考書を作っていた時のこと。編集部のマネージャだった私は、シリーズの企画案を作り、それぞれの本の編集会議を統括していました。その頃に交わした、ある先生との会話がずっと心に引っかかっていて、かれこれ20年以上も考え続けています。最近になってようやくその違和感の原因が私なりに理解できました。

大学受験の間際まで、「歴史は暗記科目」と思っていた私は、全くもって歴史の勉強に対して身が入りませんでした。教科書は文字ばかり。中学でも高校でも、先生が教科書の説明を熱心にしてくださっているのはわかるのですが、いまいちピンときません。NHKの大河ドラマや、歴史漫画(少年、少女問わず)、歴史小説は大好きなのに、歴史の授業はとても苦痛でした。先生のお話はほとんど子守歌のよう。うとうとすることも多く、授業についていけず、テスト前にひたすら暗記する、というような学習を繰り返していました。

大学受験間際まで、と先に書いたのは、自分で必死に世界史を勉強してみて、歴史ってすごい学問なんだ!と私なりに理解したからです。自分なりの世界史観を持ちたい、と片っ端から参考書を読み漁り(当時はAIはおろか、インターネットすら高校生が使えるような環境ではありませんでした)、ノートを作って、奮闘すること3ヶ月。「わかった!楽しい!」と思えたのは、大学受験の年の2月。入試という意味では全く間に合っていなかったのですが、すごく嬉しかったのを覚えています。そして同時に、なんでこんなことにもっと早く気づかなかったのだろう、という後悔もありました。

中学生向けの歴史の参考書の編集会議でのことです。私のような思いをする中学生や高校生を減らしたい!という思いを胸に、「学習者が歴史上の人物を自分ごととして理解できるような仕掛けの本にしたいんです!」と先生方を前に熱く語りました。確かにそうですね、と人間のできた先生たちは優しく同意してくださいました。が、その時に執筆陣のお一人の先生がおっしゃったことにずっと違和感を感じていました。

「中学生のなかには、歴史は暗記科目だから私でも頑張れる、と思う子もいることを忘れてはいけません。」最初は言われている意味がわからず、質問を重ねます。お話を伺ってわかったのは、数学などの教科は理解をしていないと歯が立たない問題がほとんどであるが、歴史は理解をしてなくてもテストで点数が取れる。だから理解するのが苦手な生徒でも、歴史(社会)なら頑張ろうという気持ちになる、ということでした。

当時は「なるほど。たくさんの生徒さんをみてらっしゃる先生は、さすがによくわかってらっしゃる。私のような編集者の考えが及ばないことを教えていただいた。」と思いました。ただ、何かがずっと引っかかっていて、本当の意味で納得しない自分がいることを感じていたのです。

「テストで点数を取ることが、本当に理解するよりも大事。でも私はそこには同意できない。」これが最近になってわかった、違和感の正体でした。テストで点数が取れたことが自信につながって、もっと頑張ろうと思えるようになる。そうしたことが起こることもわかっています。私とお話しした先生が、テストで点数を取ることの方が本当に理解するよりも大事だと考えていたとも思っていません。ただ、私が違和感を覚えた理由は、その時にどこかで、点数を取ることが学校では大事だという大前提が存在するのだな、と瞬間的に感じ取ったからだと思っています。

みなさんはどう思われますか?