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ちょびっと影響:お話物理:摂動論

前回までのお話物理では,散乱を記述する為にはS行列を計算すればよかったのだった.しかし人間にはS行列の正確なものを計算するのはとても大変で,実質不可能なのだった.しかし完全な計算を実行できなくても,なんとかそれっぽい計算方法を考えたい.そうでなければ物理という学問はおしまいだ.


さて今回からようやく実際の計算をして行こうと思う.完全な計算ができないなら,なんらかの近似をすることになる.近似とは,求める精度の中なら細かい値や現象を無視する,計算を簡単にする方法だ.

身近な例なら,1980円の5%割引を計算するのに1980-1980*0.05を計算するより,1980-2000*0.05を計算したほうが楽だと言う感じだ.1980も2000も対して変わらないと思って計算する.実際,計算結果も1881と1880とそんなに変わらない値になっている.

いや1円違うじゃないかと思うかもしれない.しかし物理は常に実験と共にあるから,理論計算をどんなに正確に出来たとしても,実験精度のキャップがある.だから理論計算も,想定される実験精度の範囲までならサボっていい.終わらない正確な計算より,終わるちょっと不正確な計算が重宝される.


今回の計算は,散乱,運動量が決まった値のビームを打ち込んで,散らされる粒子をみるのだった.始状態も終状態も運動量固有状態と想定できる.

運動量"p_i"のビームが弾かれて,ある運動量"p_f"になる確率は,S行列でわかる.

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これはまだ近似を行っていない,完全なものだ.これを二乗すれば,ビームが弾かれて"p_f"になる確率を求められるのだった.

この中で計算できないのは,指数関数"Exp[...]"の計算が実行できないのだった.行列の指数関数は特別な形でないと人間にはわからない.人間に計算できるのは,ざっくり言うとエネルギー固有状態がわかっている時だけだ.

水素原子のハミルトニアン(V=-e^2/(4πr))

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の中で,ポテンシャル"V"のない,自由粒子のハミルトニアン

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は運動量固有状態が,そのままエネルギー固有状態になっている.だから人間に計算できる.

他方,水素原子のポテンシャル"V=-e^2/(4πr)"が,ビームのもつ運動エネルギーよりカスみたいに小さければその影響は少ないだろう.

どう言うイメージかと言うと曲がった床にボールを転がす時,床の曲がり具合:ポテンシャルの深さがボールの転がるエネルギーより十分低ければ,床の曲がりの影響は小さなものになると言う感じだ.

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オレンジのシートが水素原子のポテンシャルなのだが,真ん中から離れたところはそんなに曲がっていない.だからその辺りを通るボール:粒子:ビームは大して変わらないだろうと予想できる.

だから指数関数の中をわかっている部分と,わかっていない部分に分けた時,わかってない部分はすごく小さいと思うことにする.

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この指数関数の肩に乗ったポテンシャルの影響を,指数の肩から降りた影響にする展開が,近似である.

今はVの一次まで取っている.Vがものすごく小さければ,その二乗はもっと小さくなる(例えば,V~0.01と思うとV^2~0.0001,V^3~0.00001ゴミカスみたいに小さい).だから今はとりあえず一次で止めておこう.

ちょっと真面目に考えると行列は掛け算の順番を入れ替えられない性質や,積分範囲の問題があり,この近似は真面目に考えだすとやばいことをやっている.のだがまぁお話物理.話の流れと計算結果がそれっぽければ許される(ことにしてくれ).

この近似の下でS行列要素を改めて考える.この記事の一番初めの数式にブチ込むのだ.するとこんな感じになる.

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式が長い.ゆっくり説明していこう.

"T"はビームの打ち込みの時刻"-T"と散乱された粒子の検出"T"となるものだ."T"は粒子がポテンシャルの影響を受けて軌道を変える反応時間に比べて十分長く,大抵は無限大にとる.物理屋さんは無限とか極限をテキトーに扱う.数学を真面目にやっている人に怒られる.

またどちらにもかかっている"e^[(E_f+E_i)T/ih]"は全てにかかる共通の因子で,確率を求める時に二乗する行為で消える,意味のない部分だ.

では意味のある話をしよう.第1項は[...]の"1"を拾ってきたもの,第2項が"V"を拾ってきたものだ.この数式を物理としてみよう.

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青の"p_f"は"V"の影響を受けていないわけだから,つまりは散乱されず素通りしたビームだ.これには今は興味ない.

赤の"p_f"は"V"の影響を一回受けてビームの向きが変わったものだ.つまりはこれが散乱されたものになる.

指数関数の肩に乗っていた"V"を肩から下ろす近似をした時,第2項(Vの一次)まで取ってきた.ではもしVの二次,三次まで取ってきたらどうなるのか.それは想像に難くなく,V(と積分)が2個,3個入ってくるものになる.


このわかっているものから,影響が小さいと思って冪で展開する近似を摂動展開と呼ぶ.摂動論のn次で,(絵的に)影響をn回受けたS行列要素が計算できる.

原理的には,この展開を無限次まで計算することができれば,元を完全に計算したものになると期待される.逆にどこかの次数で止めれば,人間に計算できるが,それ以上の次数の影響を無視した近似になる.

次回は陽子-電子散乱の具体的な計算をやってしまおう.


余談1

摂動展開は原理的にやりたい次数まで計算できる.しかしそれは原理的にであって,現実的には人間や計算機(パソコン)には限界がある.ものすごくざっくり言うと人間や計算機には積分計算はとても大変なのだ.それが仮に数値計算であってもだ.

大抵は一次の摂動,頑張って二次の摂動が関の山だ.お話物理でいつか話す,QED(量子電磁場の理論)では,なんと5次まで計算されている物理量があるのだが,それは量子場の理論に明るい人間から見ても,頭がおかしい,職人のような様々なテクニックが使われている.


余談2

摂動展開には"V"に相当する影響が小さいと言う仮定がある.その仮定がどういう時成り立つか,それにも慎重な議論が本当は必要である.

そして物理の世界で厄介なのは,摂動展開が近似として成り立つ物理現象自体が限られていることだ.世の中には摂動展開の許されない,非摂動現象が山ほどある.と言うかこの世のほとんどの現象は非摂動現象だ.

その非摂動現象をどうやって計算するか.その統一的な手法はない(少なくとも僕は知らない).

非摂動現象にまみれたこの世で,摂動展開可能な現象を考えることにどれだけ意味があるのか.それは確かに僕も疑問だが,わかるところから攻めていくしかないと,僕は思っている.


お話物理では"たまたま計算できた"結果が,"たまたま実験とそれなりの精度で合う"特別なものを話しているのだ.

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