真に愛するとは

どうも、とうトトです。
スピリチュアル関連の話を少し。

愛って難しいと感じますよね。
愛とは何かについて考える哲学なんかもありますし。
詩人家だったJ.W.ゲーテは愛について書く詩人家でしたが、
愛する人の欠点を愛することのできない者は、
真に愛しているとは言えない
」と言ってました。
私自身もふと、この世の中を見て真実の愛って何だろうなって考えていたところです。

先日、ニール・ドナルド・ウォルシュという方が書いた「神との対話」。
この本をYoutubeで解説してる方がいまして、神様はエネルギーだという事を知りました。
私達は神様と元は1つであり、今は分かれてバラバラになっているそうな。
私達も神であり、創造する力があるそうです。
また神様は傍観者であり、助ける事は無いが、常に私達を愛していると。

そこでふと思ったんです。
神様はエネルギーだから姿を変えられるのかーという事では無く
神様は常に私達に向けて愛を発信している。

なら、私達が神様を愛したら、回り回って自分自身に愛が届くのでは?

「神との対話」では愛と相対するのは不安だとか。
不安を感じるから、愛を感じる事が出来るそうです。
ちなみに色々調べてみると、なぜか日本人で大事にされている自己犠牲の考え。これの対義語って自己愛だそうですよ。
自己愛って聞くとパーソナリティ障害やナルシストとかイメージしますけど、神様から贈られる愛はエネルギーですから。別物です。

だとすると、神様への祈りや感謝は、回り回って自分への感謝という事でしょうね。
他人への感謝は元は1つだった点で見ると、自分への感謝にも繋がると。
そして、他人への暴言は回り回って自分への暴言という事でしょう。

この考えでいくと、他人を愛して不安に思うくらいなら

まず自分自身を愛で包むのが条件ということでしょうね。

自分が愛で満たされたら、周りにも愛を送る。
これが愛溢れる理想の世界なのかなーと思います。

ただ、愛で溢れたら相対の不安が消えるので、結果的に愛の分からない世界が誕生しそうなのが怖いところですけどね。


ちなみに軽く瞑想しながら
「神様愛しています」と唱えて、
神からのエネルギーが帰ってくるイメージをすると、
体の内側から温もりが広がりましたよ。

多分、この暖かさが愛なんでしょうね。
心地良いので、気が向いた方は試してみてください。



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