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妻と私の掃除の仕方から、多様性の価値について考える

我が家では、家事の分担を特に決めていない。私は自宅で仕事をしているので、朝、仕事をはじめる前ぎりぎりまで掃除をするし、休憩がてら体を動かすのに風呂をあらったりなんかする。でも、誰がやるというのは決めていないので、どの家事でも私がやったり妻がやったり。

誰が何を担当すると決まっていた方がうまくいくんじゃないかと思ってたけれども、手が空いている人がやればいい、という感じだとすごくうまくいくんです。どちらかに負担が偏るわけでもないからお互いに不満はたまりにくい。いつもわたしばっかり!というのはほぼ無い。やりたく無い時はやらないでいると、お互い察して、今日は全部やってやろうか、となる。すごくいい感じ。

でも、家事分担を決めないことにはもう一ついいことがあることに気づいた。それはカバー率。何じゃそら?と思うかもしれないけど、この表現がしっくりくる。

家事にはそれぞれクセがある

人にはそれぞれクセがある。何をやるにしてみーんなおんなじになるってことはなくて、何かした時の結果は多少の違いが必ずある。家事をする時も、私と妻とでは考え方もやり方も違う。洗濯物の干し方ひとつとってもかなりの違いがある。妻はきっちりとキレイに干していくけど、私はとにかく吊るしていけばいいという感じ。結果的にどちらも同じように乾くので問題はないのだが、プロセスは大きく違う。この人それぞれのクセは無意識的に身についていることが多いのでなかなか変えることは難しい。このクセによって生まれる差が全体を見たときにいい結果を生み出してくれる。

掃除は、妻は掃除機、私はほうき、を使ってする。我が家の掃除機はかっこよさを狙って買ったら吸引力が弱く、私的には頼りない。だから、なんとなくほうきを使い続けている。

妻は見えているところを掃除しがちだ。ササッと短時間で掃除機をかける。一方で私はものの裏側をたまに見る。我が家は古い家なのでカビとかが気になるのだ。もし気になる所があれば雑巾でゴシゴシ拭いてきれいにする。

掃除一つをとっても、私と妻はぜんぜん違う。でも家をきれいにしておきたい、という思いは同じだ。

掃除のカバー率

カバー率という言葉に戻るが、妻は見えるところしかやらない。妻だけが掃除をしていたらものの裏側は永遠にきれいにならないままだ。逆に私も裏側をきれいにするものの、ほうきを使っているからカーペットは掃除できない。私と妻はそれぞれ違うクセで掃除しているから一人ではカバーできないところがあるが、二人で行うと、意外とまんべんなくカバーできているのだ。

家事の担当を決めないと義務感が薄れるだけでなく、家中きれいになる可能性が広がってくる。

多様性は価値

さて、話は全く変わって仕事について。私はデザインの仕事をしているが仕事をするときは様々なアイデアが必要になる。でも、私一人で絞り出せるアイデアなんてほんとに少なくて、日々アイデア出しとの戦いでもある。実は独自のアイデア出しの方法があるのでアイデアを出すこと事態には困っていなかったりもするが、アイデアに偏りは出てくる。

そんなときに壁打ち相手として私自身がもうひとりいたらどうだろう。私の悩みを私がきいてくれたらすごく理解をしてくれそうです。でも、結果的にアイデアは増えないでしょう。

うちの会社にはスタッフが1名、在宅で仕事をしてくれています。彼女と話をすると、私が気づかなかったアイデアが出てくる。妻に話をしてみると、また違ったアイデアが出てくる、外部の人に相談してみるとこれまた違うアイデアが出る。

アイデアは価値です。いい悪いはあるけれども、10のアイデアから良案を見つけるより、1000のアイデアからの方が絶対にいいものを見つけられるはずです。だから価値観の違いは価値です。考え方の違いも価値です。我が家の家事のように複数人で関わればカバー率の高い結果が得られる。

自分と違う考え方の人を排除するのではなく、むしろ取り入れることができれば、これまでと違う結果をえられるかもしれません。

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