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その3.海の話

わたしは海が好きだ。
それは、わたしがぐるっと山に囲まれた盆地で育ったからかもしれない。
大好きだったおじいちゃんが、いつも海で釣りをしていたからかもしれない。
とにかく、海のことを思うと、どうしようもなくいじらしい気持ちになる。

わたしは学校が大好きな子供だった。
友達も沢山いたし、勉強も割と要領良くこなしていた。
だけど、思春期特有のエネルギーの強さのせいで、時々訳もなく学校を休んでしまうこともあった。
そんな時は、よくお父さんがドライブに連れて行ってくれた。
目的地は、いろいろだった。
ある時は、1日に5便しか飛行機が飛ばないような地元の空港だった。
ある時は、色あせたソフトクリームの看板が並ぶ、道の駅だった。
ちょっとさみしい、父娘ふたり旅。
お父さんは何かを聞き出すわけでもなく、ただただ、娘とドライブ出来るのが嬉しくてたまらない、って感じだった。

その中でも、海に連れて行ってくれる時は特別だった。
特別に有名な浜辺ではなかったし、むしろちょっと汚いような海だったけれど、そこへ行って、ちょっと生臭いような海の匂いを感じると、生きてていいんだって、自分自身を全肯定されているような気持ちになった。
お父さんは、それを知っていたのかな。
海に行く時は、わたしが息苦しくてションボリしているような時ばっかりだったから。

大人になってからも、小さなことで心をすり減らして、でも我慢してみて、ということを繰り返し、電池残量が黄色になってくると
「ああ!海へ行かなくては!!」
とわたしのセーフティ機能がはたらく。
海へ行くと、わたしは生まれ変わるのだ。
他人から見れば、海へ行く前のわたしと、行った後のわたし、何も変わったところはないだろう。
何か外見の変化があるとすれば、少し潮風でペタッとしていることくらいだ。
でも、わたしにとっては、明らかに違うのだ。

おと。かぜ。あお。そら。とり。

そういったものを、ひとつひとつ、丁寧に味わう。
血液がふつふつしてきて、わたしの細胞の全部が肯定されていく。
「生きること」を続ける勇気が、腹の底からどんどん湧き上がってくる。

いつも海に行った日は、ああ、海辺の街にいつか住めたらどんなにいいだろうか、と思う。
朝起きて、窓を開けて、潮風がサワァっと入ってくる。
昼と夜が混じり合う空になったら、砂浜を裸足で歩こう。
こんな風に、結構具体的に想像してみる。
のだけれど、おそらくわたしは実際に港町に住むことはないのだろうと思う。
この、距離感が大事なのだ、たぶん。
物理的な距離があるからこそ、好きでいられる。
憧れを抱き続けてしまう。
海、あなたとはそんな関係性でいたいのだ。

さて、今年もそろそろ、太陽がジリジリしてきた。
どこかで素敵なビーチサンダル、見つけに行こうかな。

小さな頃は文章を人に見せる度、ポエマーと冷やかされていました。 でも、ここでなら書ける気がします。 あなたのおかげです。 サポート頂けたら、心を育てるために使わせていただきます!