アイとカフェインとPTSD

親は僕にありったけの罪悪感と心配と愛情を持っていた。
僕は不完全型アンドロゲン不応症、インターセックスなのだ。
DSDと検索すれば詳しい説明が出てくるので詳細は省くが、簡単に言うとぼくの身体は一般的な男女とは違い、その中間なのだ。
産まれたときの僕は女性のように陰茎の下に尿道があり、その陰茎は異常に小さく、精巣が身体の中に食い込んでいた。「女性と男性の中間のうち、どれだけ男性か、どれだけ女性か」を7つのクラスに分けたキグレイ尺度というものがあるが、概略図を見るに僕は大体3に相当する。
親は僕を心配し、健常者に産んであげられなかったことに深く呵責を覚えた。
その感情は僕への教育に現れる。父と母は教育でぼくをどこまでも強化し、インターセックスを理由に誰にも傷つけられない強者にしようとした。
「完璧にしてあげたかったの」
母親は当時のことを、自嘲するようにそう言った。
僕は物心つく前から英才教育を受け、小学校に入ったあとは水泳、ピアノ、公文、一週間のほとんどを習い事と勉強に従事するよう命じられた。
小四から入った、御三家を目指す中学受験の為の塾は半端じゃ無かった。
ぼくは学校から帰ると腹に貯まるものを口に詰め込んで塾に向かい、授業と自習を夜まで続け、酔っ払いに絡まれながら家に帰り、ダウンタウンDXを見ながら夕飯を食べ、風呂に入ったあとは次の日の為の宿題を深夜までこなした。
土日は朝八時には塾で自習。やはりダウンタウンDXを見ながら夕飯を食べていた記憶があるので夜八時、まるまる12時間は塾にいたのではないだろうか。そして家に帰ったあとも深夜まで宿題予習復習。
これ、小学生のスケジュールである。ようやく年齢が二桁になったばかりの、ちんちんに毛も生えていない子供のスケジュールである。
ぼくは眠気をシャープペンシルを手の甲に突き刺してこらえることを覚えた。髪の毛を引っ張って抜くと気持ちが落ち着くことを覚えた。
コーヒー牛乳から少しずつ牛乳の比率が少なくなっていき、小5でブラックコーヒーをがぶ飲みしていた。カフェイン依存症で不眠症の小学生の誕生である。
頭には常に靄がかかり、苛々をどうしたらいいかわからない。判断能力が低下し、参考書を開くと発狂しそうになる。
今でも勉強をしようとするとすこし動悸がして、集中しないとうまく文字が読めない。市販薬と処方薬の依存症で、不眠症だ。
もし、「俺、左利きなんだよね」くらいの気軽さで「俺、インターセックスなんだよね」と言える社会だったらなあ、と思う。色々な考え方があるが僕はインターセックスは先天性の疾患であり、当人に確固たる男女のジェンダーがあるならそれに近づけるために手術などの治療を行うべきだと思っている。
しかし「俺、インターセックスだから」「ああ、そうなん」なんて会話が出来る社会なら僕の親は僕に罪悪感原産の愛情を注がずに済んだはずなのだ。
母親の働いている保育園に新しく入ってきた男の子が、インターセックスらしい。
その子の歩く道のりが少しでも明るくなりますように。ぼくはこの文章を書き、そう祈る

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