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藤原定家とメンデルスゾーンの「共通点」

 藤原定家(1162~1241)は鎌倉時代初期の歌人。『新古今和歌集』を編纂し、『小倉百人一首』を選んだことでも知られます。

 フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)はドイツ・ロマン派の作曲家。交響曲第3番『スコットランド』、『ヴァイオリン協奏曲』などの作品が有名です。

 あまり関係のなさそうな二人をなぜ並べたか。実はこの二人には、隠れた「偉業」があるからです。

古典作品を伝承した藤原定家

 優れた歌人であった定家も、晩年には創作意欲が衰えていました。その彼が打ち込んだのが、古典を筆写して後世に遺すことです。

 印刷技術のない時代、どんなに優れた書物であっても制作できる写本の数は限られていました。戦乱や災害などで、すぐれた作品が永久に失われる危険もありました。

 定家がこだわりぬいて書写した『源氏物語』は青表紙本と呼ばれ、今日流通している『源氏物語』の底本となっています。

 ほかにも、定家は『古今集』『伊勢物語』『土佐日記』などの膨大な古典の写本を完成させました。現代のわれわれが平安時代の貴族文化に触れられるのは、定家のおかげなのです。

バッハを再発見したメンデルスゾーン

 今では考えられないことですが、大作曲家J.S.バッハ(1685~1750)は死後忘れられた存在でした。

 バッハの大曲『マタイ受難曲』の楽譜を入手したメンデルスゾーンは、自らの指揮で同作を復活上演させ、大成功をおさめます。1829年のことでした。メンデルスゾーンがいなければ、バッハの音楽も永久に忘れられていたはずです。

 メンデルスゾーンは、『マタイ受難曲』以外のバロック時代の作品の保存・出版にも手を尽くしました。その際、楽譜が作曲者の意図を忠実に反映しているかどうか、注意深く校訂を行いました。

 名曲が後世に保存され、「クラシック音楽」を楽しむことができるようになったのは、メンデルスゾーンの功績によります。

おわりに

「温故知新」という言葉があるように、古い文学や芸術に触れることは大きな学びとなります。

 作品の制作者だけでなく、後世に伝えてくれた人がいなければ、古いものに触れることはできません。古典を「発掘・保存する」ことの大切さを、国も時代も違う二人の例を通じて伝えさせていただきました。

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