科学の子

科学の子と言われて、鉄腕アトムと答えるのは昭和年代でも私より上の高度経済成長期の人たちなのだろうと思う。

こどもときからのアニメ、インベーダー世代に属するだろう1968年生まれの私でも、白黒の鉄腕アトムは、比較的、年齢を経て成長してから、改めて鉄腕アトムを知ったように思う。それも、タイムボカンシリーズや手塚治虫、ロボットシリーズ、宇宙戦艦ヤマトといった作品を日常的に触れていく中で、改めて鉄腕アトムに戻るという感じで。

確かに、鉄腕アトムの歌は何十回、何百回、ときき、その聞き慣れた音楽と歌詞は、空で歌えるほどであるが、

空を越えてラララ星の彼方
行くぞアトム
ジェットの限り
こころやさし
ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕アトム

この歌詞が谷川俊太郎さんの詩とは実は大人になるまで知らなかった。


そして、鉄腕アトムが科学礼賛をするキャラクターではないというのは、手塚治虫のいろいろな作品やその評をして知ってはいたがこれほど明確なメッセージがあったと書かれているとは知らなかった。

確かに、公式のサイトにはこんな風に鉄腕アトムのことが書かれている

昭和26年、『少年』連載の『アトム大使』に登場以来、大シリーズ『鉄腕アトム』として、雑誌で本でテレビで映画で圧倒的な人気を誇った10万馬力の少年ロボット。手塚漫画の代名詞とも言えるキャラクターです。けれど、一般的には元気いっぱいの正義の子で、原子融合システムによる10万馬力(のちに100 万馬力にパワーアップ)のロボットで科学万能主義のように思われていますが、手塚治虫がアトムに演じさせていたのは、科学と人間は本当に共存できるのだろうか? というメッセージでした。七つの威力で敵を倒すアトムは、ロボットであるがゆえに人間たちに迫害される悲劇の子でもあります。この二面性がアトムと言うキャラクターの持っている「男の子」のようでもあり「女の子」のようでもある個性の源となっています。(アトムの原型となったのは『メトロポリス』の空を飛ぶ女の子型ロボットと横井福次郎の10万馬力のロボット「ペリー」です。つまり誕生の時からずっと、男の子のようでもあり、女の子のようでもあるキャラクターだったわけです。このファジーさが、人間よりも人間らしいハートを持っているけれど、ロボットとして差別される存在、というアトムの背負った十字架につながっています。ちなみにピンッとオッ立った髪の毛は、手塚氏自身の髪の寝癖がヒント。『世界を滅ぼす男』では、そのトレードマークをそり落とした坊主狩りの頭で演じた繊細な感受性を持つがゆえに苦悩する戦闘機乗りを演じていました。
https://tezukaosamu.net/jp/character/25.html

いまの時代に合わせているような解釈的な記述ともとれるが、さきのインタビューの谷川俊太郎さんにまつわる話でいえば、あながち、そうとばかりもいえないのだろう。

科学万能社会への懐疑という深遠なテーマか。

それでも鉄腕アトムは「科学の子」なのだろう。

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