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「自分が悪い」と思ってしまうあなたへ

目から鱗が落ちる経験をした。何の脈絡もなく、前触れもなく。

✳︎

最近、仕事が忙しかった。事務職なので年度末から期初にかけては忙しい。途中で辞めてはいるものの、ずっと仕事は事務職だ。この時期が忙しいのは分かりきっていたことだ。

だが、それにしても、忙しかった。

一応定時で帰ってはいたものの、就業時間内はいつも目が回るような忙しさだった。といっても一つ一つのタスクは大したことがなかった。これ処理しておいてとか、入力しておいてとか。今思い返そうとしてみても、取り留めもなさすぎて何をしていたか覚えていない。しかし塵も積もれば何とやら。とにかく忙しかったことは覚えている。
それでも定時で帰っていたのがいけなかったのか、周りの人たちはまだ余裕があると思っていたようだ。年度末が終わっても仕事量は減るどころか増える一方だった。

その頃から、noteやブログを書こうと思っても、何も浮かばなくなった。

体力や時間がなくて、書く時間が取れなかったことはこれまでにもあった。それでも頭の中にはあれが書きたい、こんな話をしようという気持ちがあった。
それが、すとんと無くなってしまった。あんなに、やりたいことに溢れてて毎日楽しかったのに、そういうものが全部、無くなった。

やっと見つけたと思った、私のやりたいこと。それって一時期のマイブームだったんだろうか。単なる私の中の流行りだったんだろうか。それが終わったから、今こんなに何もない、空っぽの状態なんだろうか。

やりたいことに満ち溢れていた時、もう仕事を辞めてしまおうかと思った。そう思っていたのは、単に仕事から逃げていただけだったんだろうか。実際に辞めたところで、こんな無気力の状態で何になるんだろう。やっぱりだらだらとでも続けていた方がいいんじゃないのか。

完全にnoteやブログの更新が止まった。浮かぶのは罪悪感ばかりで、書きたいこともやりたいことも表現したいことも、何も浮かばなかった。

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そんな時、人事との面談があった。仕事を辞めない方がいいかとは思っていたものの、結構ヤケクソ状態だった私は、割と正直に何でも言ってしまった。
仕事量が多い。仕事の振り方が雑。スキルに差がありすぎて同じ事務でも仕事量にばらつきがある。前にも上長に訴えたことがあるが、様子見で流されてしまっていること。

最初は綺麗にまとめて、冷静に伝えようと思ったのだけれど、言い出したら止まらなくなってしまった。なかなか口調も悪かったし、私にしては珍しく「それは私の仕事ではない」などと断定的な話し方もしていたように思う。

人事の方は、柔らかい雰囲気の方で、何を話してもにこやかに共感しながら聞いてくれた(この会社って正直どうなの?と思うことは多々あるけれど、この人を室長に据えた人選だけは評価できると思った)。

話したいこと、頭に浮かんでいたことを一通り話し終えて、なかなかスッキリした。最後に人事の方は「最後に話しておきたいことってありますか?」と聞いてくださった。
このよくある最後に質問というか、話をするのが苦手な私は、言葉に詰まった。こうして言葉に詰まっていると、大体「大丈夫そうですかね」で終わらされてしまうことが多いのだけど、人事の方は私が口を開くのをずっと待っていてくださった。

「…仕事量が多くて大変だとか、色々言ったんですけど、でも、私が甘えているというか、悪いのかなって思うんです。もっと頑張るべきなのかなって。頑張れない私が悪いのかなって」

言った瞬間、私ってこんな風に思っていたんだと、初めて気づいた。

そうか、私、自分がダメだと思っていたのか。知らなかった。恐らく、この「最後に話しておきたいこと」の前に色々吐き出していなかったら、この言葉は私から出てこなかったんじゃないかと思う。

これが私の本音なんだ。私ばっかり大変なんじゃないんだしとか、弱いって思われたくないとか、そういうものの中に埋もれていた私の本音。本音というか、本心か。

そんな私の本心を聞いた人事の方は、心配そうに口を開いた。

「誰が悪いとかじゃないんだよ。組織ってね、スキルにばらつきがあるのは仕方ないの。だからみんなで調節できることは調節して、上手く回していくんだよ。だから誰が悪いとかじゃないんだよ。誰も悪くないの」

その言葉に、目から鱗が落ちた。

何というか、自分が悪いという自罰的な感情があったからこそ、他の人に対しても「こういうところが悪い」とか、他罰的になっていたことに気づいた。

他人を責めるような感情を持つ自分が嫌だった。そんな自分が嫌で自分を責めていた。それは根底に自分が悪いという考えがあったことが原因で、私は完全に悪循環に陥っていた。

私は悪くない。というか、誰も、何も悪いことなんてない。

「あなたは悪くないよ」ではなく、人事の方は「誰も悪くない」と言ってくださった。その言い回しで、やっと気づくことができた。

いつぶりだろう。心がとても軽く、晴れやかになった。

✳︎

そうすると、途端に書きたいことややりたいことが浮かんできた。

無くなったと思っていたものは無くなったのではなく、私の心の中に埋もれていただけだった。

本心に蓋をしていたことで、自分の中の心の声を聞くことができなくなってしまっていた。
何層にも重なった蓋を剥がしていくことで、ようやく自分の本心に出会えたし、人事の方の声も響いたのだと思う。

また私の毎日は、楽しく満ち溢れたものになった。全然理想には程遠くて、もがいてる途中なのだけど、それすらも愛おしいと思えるような。そういう心持ちに今はなることができている。

人は忘れる生き物だから、こうして書き留めておかないとまた忘れてしまいそうだから。復帰第一号としてこのnoteを綴っている。

そして人事の方の言葉が私に刺さったように、このnoteも誰かに刺さればいいななんて、密かに企んでいる。

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