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夏休みの前の日に (1)

 ふっー。
 僕はやっとマンションの前に着いた。
 強烈な夏の日差しの中を歩いてきたので汗だくだった。
 玄関わきにある大きな楡の木からはけたたましいセミの声が聞こえる。青い空に入道雲、まるで夏の見本のような日だ。
 気分が珍しくウキウキしている。
 明日から夏休み。
 こんな日に気分が上がらない小学生なんて絶対にいないと思う。
 急いで自分の家の部屋番号を押し、自動で空いた扉から玄関ホールに飛び込む。薄暗く感じるホールを駆け抜けエレベーターのボタンを押す。軽く足踏みをしたままだ。エレベーターが上から下へ降りてくる↓ボタンが点滅した。
 誰も乗っていなければいいなぁ
 いつもマンションのエレベーターに乗るとき思う。ドアが開いて人に会ったら挨拶すればいいだけなんだけど、それがとても面倒なんだ。まして誰かと一緒に乗り合わせようものなら気まづくてしょうがない。
 もう五年生なんだから、本当は「何階ですか」って聞いてボタンを押すべきなんだろうけど恥ずかしくてできない。
 「誰も乗ってませんように」という僕の願いむなしく、開いたエレベーターの中には人がいた。僕と同じぐらいの男の子だった。
 マンションの住人の子なら知っているはずなのに知らない子だった。僕と目が合うと、その子はかすかに首をさげ挨拶をしてくれたっぽかった。
というのも僕は反射的に顔をそむけてしまったからだ。べつにいじわるをしようと思ったわけでなく自然にそうなってしまった。またやってしまった、、、自分が悪いのに気分が萎える。
 それから僕はおそるおそるその子の背中を見送った。我ながら情けない。
僕はとっさの気の利いた行動がダメなんだ。ここぞというとき、なぜかいつも顔をそむけてしまう。
 でも、これは言い訳になるけど、その子の雰囲気は物凄く怖かったんだ。目つきが鋭くて駅前でたまに見かける高校生のヤンキーの顔だ。
 服装だってすごい。赤のTシャツにアニメ柄いっぱいのスエット、髪は前髪が長くて後ろは刈り上げという具合。ちょっとすれ違っただけだけど強烈に覚えている。
 まちがいなく僕が友達になりたくないタイプだった。
 だからエレベーターに乗りこんで扉が閉まるとホッとした。エレベーターは冷房がよく効いていて快適だった。
 もうさっきの男の子のことなんて頭になかった。なんてたってこれから楽しい時間が待っている。
母さんは夕方まで帰って来ないはずだし、まずは冷たいものを飲んで、お昼を食べて、ゲームをするんだ。今日から学校は午前中だけだったから時間はたっぷりある。
 僕は誰にも気を使わずにひとりでいることが好きだ。
何人かの友達と遊ぶのも嫌いではないけど、7対3ぐらいの割合で一人が好き。誰からも何も言われずに時間を自分だけのものにできるなんて最高だ。
もちろん、ちょっと寂しいと思うときもあるけど、そんな気分は一瞬だ。
 部屋に入ると、熱気がこもっていて、僕はすぐに冷房を「パワフル」でかけた。
リビングで汗のかいた服はもちろん、パンツまで脱いだ。こんなこともひとりきりのときにしかできない。
ウォーターサーバーでコップ一杯の水を飲んでから、シャワーを浴びた。
さっきまでのべとべとして肌に粘りつくような汗はみるみる流されていく。数分シャワーを浴び終えると気持ちまでよみがえった気がした。
 タオルで髪を拭きながらリビングに戻ったそのときだった。
ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。
なんだよ、まったく、これからパラダイス!ってときに。
僕はむかついて一瞬居留守を使おうかと思ったほどだ。
でもなぁ、宅急便のお兄さんだったら申し訳ないし。
 僕はしぶしぶ出ることを決め、インターフォンのボタンを押した。
 次の瞬間、画面に映っている顔を見て僕は頭が真っ白になった。
 さっきのヤンキー少年じゃないか!
いや、ヤンキーって決まったわけじゃないけど、、、あの雰囲気はいいやつであるはずがない。
 かつあげでもされるんだろうか?でもチャイムを押してカツアゲするやつなんているかな?
 まわらない頭で僕は必死に考え、そして思いついた。
そうだ、熱中症になったことにしよう。
 僕はできるだけ気分が悪そうにインターフォンに出ることにした。
「誰ですか? 熱中症になったみたいですごく気分が悪くて、ドアを開けれなくてごめんなさい」
弱々しく僕は言った。
「げっ、まじ?救急車でも呼ぶ?」
 慌てた顔でその子は言った。
「いや、冷やして寝てたらぜんぜん大丈夫だと思う」
「ほんとか。具合の悪いときに来てごめん。お大事に。またな」
「すみません」
 一段と小さな声で僕は言った。
 男の子はすぐ画面から消えた。すんなり帰ってくれたようで僕はホッとした。
 でも、、、まてよ、「またな」って言ってたな。
ほっとしたのもつかの間で、男の子の「またな」っていう言葉が気になりだした。
 なんで知らない男の子が僕に「またな」なんて言うんだ?どこかで会ったんだろうか?もしくはこれが目をつけられたっていうやつ?子分になれとでも言ってくるんだろうか?それにしてもなんで部屋番号を知ってるんだ?
 僕はちょっと怖くなった。
 ちぇ、せっかくのハイな気分が台無しだ。
 とにかく、服を着て、アイスを食べて落ち着こう。
 僕はぶかぶかのTシャツに短パンをはき、冷蔵庫に向かった。
 台所のテーブルに座り、アイスと母さんが昼食に用意してくれた冷やし中華を交互に食べながらもう一度男の子のことを考えた。
 もう1回整理してみよう。
 問題は僕の知らない男の子が部屋番号を知っていて、「またな」って言ったことだ。
 とりあえず、「またな」っていうのは、同じマンションだからまた会うかもな、って意味にもとてる。これだな、きっと。
 そうすれば問題ない。
 あとはは部屋番号だ。
 管理人さんは、さっき見当たらなかったし、、、いても聞かれてすぐに教えないだろうし、こちらはいくら考えてもわからなかった。
 でも相手は子供だ。それにすんなり帰ってくれたところをみるとしつこいヤツではなさそうだ。
 そんなに怖がらなくてもいいはず。
 そう思うと心が落ち着いた。
 なんだか眠くなってきたな。
 暑い中をあるいて、思いがけないことでパニックになって、シャワーを浴びて落ち着いて、お腹がいっぱいになったら当然かも。 一眠りしてからゲームするかな。
 僕はそう思うと、クッションを枕にしてソファーの上で横になった。
 窓の外の夏の日差しはまだ強く、でも部屋の中はクーラーが効いて快適だった。
 これだよな、やっぱり。
 また幸せな気分がふつふつと甦ってきたかと思う間もなく僕は眠りについた。

 台所の方からの物音で目を覚ますと窓の外はもう夕暮れだった。夕日を映して茜色をした雲が暑かった一日を物語っているようだった。
「起きたのー」
台所から母さんの声がした。
                             つづく
 
 
 

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