久しぶりにコンクールを聴いてみて思ったこと。

今日は、生徒さんが出るのもあり、久しぶりにコンクールを聴きに行った。

コロナ禍で開催してもらえる貴重なコンクール。
ピアノも一人ずつ鍵盤と椅子を拭いて対応していただいており、観る側からしても安心だった。

生徒さんは自分自身としっかり戦っており、久しぶりの本番の緊張感や恐怖を感じながらも攻めの演奏をしていて、私はとても嬉しかった。

何より、内容が充実した演奏とポテンシャルの高さを感じる演奏だったので結果がどうあれ、生徒さん自身の中から何かを感じる事ができるもので本当に頑張っていたなと思う。

コンクールには結果がつきものだけど、審査員からの講評や、点数、順位を伴う結果が全てではないのを理解した上で出ることが大事だと思う。

もちろん出るからには勝ちたいけど。
希望的には芸術に順位はつけられない。あらゆる芸術はその人の主観でしか判断されないため、基準などは殆どないと言える。
あえて基準というなら、基礎と置き換えられくらいだと思う。
基礎がしっかりしている事は大事だけど、それ+αっていうのは主観や好みでしかない。

当然、緊張も伴うため自分のベストが出せる人出せない人、その日に調子にもよる。
準備不足や、自分に対しての言い訳するのはダメだけど、結果や講評をうけてから、その結果が自分への評価の全てだと思ってはいけない。

見る人が見れば変わる。見方を変えれば変わるし、場所や環境を変えても変わるのだ。
だから、ある場所では高評価、違う場所では低評価なんてことはあり、人間の判断力は絶対ってことはないので、そんな事で決して自信を無くしたりしないように、本質を見抜いて自分の技術や進むべきスタイルを貫く人が自分を確立出来るんだと思う。


コンクール受けする演奏はある程度必要だけど、それに必死になりすぎるのは味気ないし、芸術の本質とはかけ離れているし、穏やかじゃない。
皆、それぞれの事情の中で懸命に準備してきているのだから讃え合いながら演奏を聞くのがベストだと思う。あまりにも勝ち負けにこだわりすぎる賞レースになってしまって、悲しい。


良い結果が伴えば、素直に喜べばいいと思う。

どれだけ結果が良くても、自分への課題は一生ついてくるものなので、終わりなんてないのも事実。

それが続けられない人が辞めるだけの話だから、諦めなければ必ず道は拓けると思う。

唯一、私が続けられてるピアノだが、本当に色々な事があり、幾度となく気持ちの落差を経験して、見たくないものを見た上で自分が貫く道を選んで今ここに辿り着いている。
そしてまだ続く予定。

カッコ悪い生き方をする自分は嫌いだし、ピアノ以外は何も出来ないし、浅い知識しかないから勉強をする。
ただそれだけです。
評価なんか気にしてたら何もできない。足りないところは勉強や努力をして埋めていけばいい。
自分が自分に厳しければ、自分を律する事はできるので、皆もっと人と比べないで、自分の事に集中して邁進し、やりたい事をしっかりやる事が大事だと思います。
中々簡単にはいかないけども。
悩む暇があったら、指を動かして練習したほうが上手くなるし、コンクールや試験も人生の通過点として、常に前を向いて歩んでいけたらと思う。



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