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大事にするのは「結果」なのか「子供」なのか。【子供にやらせたことと、伝えたこと】

45歳からの「これでいいのかな?」が「これが面白い!」に自然と整うお手伝い、スキップコーチのみさです。

数年前、子供が小学高学年の時、低学年のクラスに行って読み聞かせをするとの情報を得ました。

「情報を得た」なんて変な書き方をしましたが、だって本人から聞いたんじゃなかったんです。ママ友情報でした。

「絵本を読み聞かせですって?」

私は絵本大好きで、子供にたくさん読みましたし、こだわりと言うか、スキだからこその想いがたーーーっくさんありました。

「練習するわよ!やっぱり伝わる読み方しなくっちゃ!」

子供に練習させて、「ここはもっとこう!」「そこはこんな感じで!」と指導しました。

もうとにかく低学年の子に楽しんでほしくて。せっかくの機会なんだから。

おかげさまで、学校の先生からも「大いに盛り上がりました。大笑いしてましたよ。」と褒められて、本当にうれしかったです。「お子さんともう一人で読み聞かせたのですが、とっても良かったですよ~」と言ってもらって内心「分かりますよ~、うちで練習しましたから、思い浮かびます」と思いました。

本当に良かった!嬉しかった!子供にも「良かったね!!」と心から言いました。

・・・・というのが数年前の私の話です。

私は、その時のことをよく覚えてるんですけど、ああ、せっかくの楽しい読み聞かせなんだから、もっと違う言い方できなかったかなあ、とちょっと苦い気持ちでいます。

絵本は子供が選んだもので、うちでも何度も読んだ本でした。笑える内容だからこそ、つっかえちゃいけない、テンポよくスラスラ読まないと!って思いましたっけ。だから、スムーズに読むように、強弱と楽しさが伝わるように、って読み方をアドバイスしました。

求められてもいなかったのにアドバイスしてました。熱が入ってました。子供本人をおいてけぼりにしました。子供はどう思ってたんだろう?

時は流れ、私がアドラー心理学を学んだ後に、同じような場面がありました。子供が家で授業の発表の練習をしてたんです。子供も大きくなってもう小学生ではありませんでした。

その練習を聴きながら、思ったんです。

「ここで指摘するのは悪いところじゃなくて、良いところだな」って。

だから
「どこが悪かったか」ではなく「どこが良かったか」という目線で発表の練習を聴きました。

そして、

「声のトーンが聞きやすくて良かったよ。声の大きさもスピードもハッキリと話してたところがとても分かりやすくて良かったよ。」

と良いところを見つけて感想を言いました。

発表の出来栄えがどうだったかは分かりませんが(特に何も言わないので)、どんな発表をしたいか、どこをどう良くしたかったのか、特に何を伝えたかったのか、それは本人が考えることだから、こちらは一歩引くことにしました。あくまでサポートスタンスでいました。

私がそうしたかったから、なのですが、これで良かったんだろうな、とその時の子供の雰囲気からそう思いました。

ビシビシ指導した読み聞かせと、サポートスタンスでいたクラスの発表。


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「相手の良いところを見る」

このことはアドラー心理学に限らず、いろんなところで言われてます。でも、私はなかなかできなかったです。ついつい「悪かったところ」に目が行って、「ここをこう直せばいいんじゃない?」「あ、ここ違う。」ばかりを見てました。もちろん、それが必要な場面もあるので、それが悪いとは思いませんが、

良いところ:ほぼ0%
悪いところ:99%

みたいな目線で子供のことを見てました。(よく考えたらひどいよね。)

アラ探しみたいなことをしてました。褒めて天狗になっちゃいけないとも思ってました。

だからこそ、「どこが良かったか」をとっさに見ようとした自分にちょっと嬉しかったです。

実は講座でも「なるほど!」と知ったことを「できること」にするのは、とってもハードルが高いんです。
「知ったこと」「分かってること」「できること」は別のモノでそれぞれやってみるとなかなかできないもんです。

どうやったら、できるようになるか?

トライあるのみ。やってみるしかないんですよね。めげずに、忘れず、あきらめず。

「おけいこ」

です。

だから、すぐできなくても、忘れちゃっても、大丈夫。一緒に細く長くお稽古しましょ。


もし参考になったら、会話をしながらその人の「良いところを1つ」探してみてくださいね。

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2023年2月にアドラー心理学の「ELM(エルム)講座」を開講します。
どうぞお楽しみに。(現在勉強中)
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お読みいただきありがとうございます。





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