『魔法使いハウルと火の悪魔』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/徳間書店

この間誕生日でいろいろな人にお祝いをしていただいたのだけれど、私自身も私自身を祝おうと思って、ハウルの動く城シリーズとはてしない物語をブックオフオンラインでぽちった。

それでもって早速ハウルの1巻を読んだんだけど、なんていうか、「あっわたしこれ夢小説でよんだことある」って思った。

映画と原作の比較という観点で述べていくと、ソフィーは原作のほうがひねくれてつんつんしているし、ハウルはいびきうるさくてかまちょで浮気性だし、なんか2人の痴話げんかを見てたらいつの間にか火の悪魔倒されてた。すらーっと読んでいって、なんかわかんねぇけど2人が幸せならいいのかぁと思った。

アニメのカルシファーとマイケルもいいけど、個人的には原作の2人のほうがすき。カルシファーは絵で例えるとFFのパッケージを担当している天野さんぽい印象だし、マイケルもマイケルの人生がしっかりと書かれていて思い入れが強くなる。おそらく映画でマイケルが少年に変更されていたのは作品の口当たりをよくするためと、「ハウルとソフィーが恋愛するんですよ」って分かりやすくするためだったのかな。映画のことはよくわからないけど、たとえば登場人物が居た場合、はっきりとああこの2人が結ばれるんだなって分かるように印象付けるきらいがある気がする。カルシファーも火の悪魔っていう位置づけよりは「映画のマスコットキャラだよ」っていう親しみを重視しての結果なのかな。

だから映画→原作としてみると、マイケルはよりお弟子さんらしかったし、カルシファーも悪魔らしかったりで、それぞれの役職に対して忠実であったのがなんだかとてもかわいらしいなぁと思った。そりゃ原作だから当たり前なんだろうけど。

個人的にはお引越しのシーンがすごくすき。はじめは無理やり転がり込んできたソフィーに対してうんともすんとも言わなかったのに、いつの間にかお城の皆が「これどうしたらいい!?」ってソフィーに聞いてくるようになるところとか、いろいろみんなとソフィーの関係が変わってきたんだなっていうのが分かってすごく平和な気持ちになりながら読んでた。

それと悪魔についてなんだけど、親しみやすい悪魔っていうの? 西洋はそんなに悪魔が怖いものって認識でもないのかな。大学でファウストを勉強したときも、冒頭で神様とメフィストフェレスが普通に会話しててびっくりした。多分日本なら安倍晴明と怨霊が気軽に話したりしない。「塩撒け塩!」ってなる気がする。

どちらかというと日本の子鬼みたいに「ちょっといじわるをする生き物」的な認識があるのかもしれない。


おしまい。



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