帝国主義における批判的人種理論
Dark Vanishings (パトリック・ブラントリンガーによる本)が、西洋史の水曜日の授業用の課題として出たので、メモと情報の整理代わりにNoteを書く。
『批判的人種理論』は、1800年代から、1930年にかけて、イギリスのエリート達によって信じられていた理論で、帝国主義の正当化に使われていた。
正当化と言うと、無理やり理由づけしたという印象を受ける。しかし、当時のイギリスの歴史家、外交官の言動を聞いていると、彼らは心の底から『植民地化は社会のために不可欠』であると信じていたように受け取れる。
以下は、サー・チャールズ・ディルク : 第2代准男爵 (1843-1911) の、植民地化における先住民の虐殺に関する記述である。
“Genoicide is just one of the many chores that people who treat society as a garden need to undertake. If garden design defines its weeds, there are weeds wherever there is a garden. And weeds are to be exterminated.”
『雑草駆除は、社会を庭と見なす人々がやらなければならない多くの仕事のひとつに過ぎない。庭のデザインによって雑草が定義されるのであれば、庭があればどこにでも雑草はある。そして雑草は駆除しなければならない。』(DeepLにおける翻訳)
人を雑草に例えて、良い庭を作るためには、駆除しなければいけないという例えを心の底から思って使っていたのかと正直信じられなかった。
しかし、似たような記述が他にもある。
“Genocide with purpose. Getting rid of the adversary is not an end in itself. It is a means to an end : an excessive that stems from the ultimate objective : The end itself is a grand vision of a better and radically different society.”
『目的を持った大量虐殺。敵対者を排除すること自体が目的なのではない。究極の目的に由来する過剰なものであり、目的そのものは、より良い、根本的に異なる社会という壮大なビジョンである。』(DeepLによる翻訳)
このような信念の元に、多くの先住民 (オーストラリやニュージランド)が虐殺をされた。僕が読んだ本では、マオリ民族の人口は、1840年当時、20万人だったが、30年後2万人になっていたそうだ。
このような信念に駆られれば、人は平気で他の人間を殺すこともできるのだ。と『信念』が持つ力に恐怖を覚えた。
11/5 - 21:21