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Michel Caillaud, The chameleon composer(1)

訳者による前書き

 これは、StrateGems 82(04/2018)に載ったMichel Caillaudの自伝的なエッセイを翻訳したものだ。冒頭のeditorによる紹介文と、明らかに個人情報と思われる部分は私の判断により削ったが、読む上で特に支障はないと思う。それから、私はプロの翻訳家ではないので「訳が稚拙だ」という指摘はご勘弁願いたい(実際、自分でも下手だとは思うが)。ただ、プロブレムの内容については大きな誤訳はない筈である。

 彼の仕事は多岐に渡り、フェアリールールのものも多い。だが、折角プロブレム界の巨匠の作品がたくさん載っているのに、「フェアリーだから」という理由で敬遠するのは余りにも勿体ない。そこで、原文にはないのだが、適宜フェアリールールについては定義等の補足を入れることにした。また、文中で言及されている他の作家の作品についても、図面が分かるものについては探して載せておいた。できれば単に流し読みするのではなく、盤に駒を並べ、じっくりと手の意味を確認しながら読んで貰いたい。それだけの価値ある作品群である。

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 私はフランスのLongueという小さな町で生まれ、そこで少年時代を過ごした。父は時計を製作する店を持ち、母は店や家で彼を手伝っていた。
 チェスについて知ったのは15歳である。それはフィッシャーとスパスキーの世紀の対決が行われた時期であり、その頃から私は余り目立たない指し手としてチェスクラブに入り浸るようになった(レーティングは1800~1900)。
 Europe-Echecsの記事の中にチェスプロブレムを発見したのも、その頃だ。Jean Oudotが編集し、レトロ解析についてのコラムはAndre Hazebrouckによって書かれていた。私は特に、レトロ解析に夢中になった。私にとって、最初の強烈な経験は解図だった。数日間眠れない夜を過ごした後、Hazebrouckがそのコラムで再出題していたKarl Fabelの有名なプルーフゲーム(41.5手、Am Rande des Schachbretts 1947)が解けたのだ!それは素晴らしい体験だった。そのとき私は「プロブレムの世界というのは賞賛すべきものだが、私の出る幕はなさそうだ」と思っていた。

 事態が変わったのは、私がエンジニアリングの勉強のためにパリに行った時だ。そこで私は、かつて毎週土曜日にCaissa Clubで集まっていたプロブレミストたち(Jean Bertin, Jean Morice, Pierre Drumare...)と出会い、彼等は私にプロブレムを創作してみろとそそのかしたのだ。作ったプロブレムは主に普通のヘルプメイトで、彼等はそれに余詰を見つけては楽しんでいた(その頃はまだ、コンピュータチェックなどない)。そこは創作上のテクニックを学ぶ良い機会であった。間もなく私は、同年代のプロブレミストたち(Jean-Marc Loustau, Jacques Rotenberg, Denis Blondel...)とも出会った。私たちは何度も「理論に関する議論」を行った。その結果として、Jean-MarcやJacquesと合作が非常に多く生まれ(インターネットが出現する前は、何度も電話をかけたものだ。No.2, No.3, No.6などを参照のこと)、又Denis(彼は2012年に悲劇的な死を遂げた)の下、Rex Multiplex(後にPhenixに吸収された)という新しいフェアリーチェスの雑誌作りに加わるという冒険もした。
 私の創作初期に強い影響を与えた年上の作家として、Jean BertinとJean Zellerがいる。Jean Bertin(1901-1988)は、Pierre DrumareとともにアップルのコンピュータとAlybadixのプログラム(注 チェスプロブレムの解図ソフト)に金をつぎ込んでいた。そのコンピュータは彼の家にあり、彼はそのコンピュータを動かす基本的な言語を学んでいたのだ!彼は又、何百冊ものチェスプロブレムの本や雑誌を持っていた。私は彼の家で、作品にコンピュータチェックをかけたり、チェスプロブレムの本を読んで学んだりして何時間も過ごしたものだった。そうした時期も過ぎ去ってしまった。今や私の主な作業道具は、Christian Poissonによって開発された、解図もできデータベースにもなる素晴らしいWinChloeだ。
 Jean Zeller(1909-2002)は、AFCE(Association of French Composers)の設立者であり、国際大会に出席するよう私に勧めてくれた。彼自身、1980年にフランスの年次総会を開催したが、それは最初彼の故郷であるMulhouseで行われた。しばらくの間はMessignyで、そして現在はSaint-Germain-au-Mont-d'Orで開催されている。

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