全国大会参加記(平成24年)その1

 昨年は諸般の事情から出席できなかったが、今年は2年ぶりに長野での全国大会に参加してきた。その心地良い興奮が冷めないうちに、この3日間の出来事を思いつく限り書き綴ってみたいと思う。

 14日の8時15分に七戸十和田駅を出発。本当はもう少し遅い便でゆっくり行く予定だったのだが、切符を取るのを怠けていたら希望の時間帯はもう満席になってしまっていたのだ。新幹線の車内ではいつも通りプルーフゲームの解図に取り組む。実はDonati marathonがもう最終盤を迎えていて、この時点で残りは7題。巧く行けば帰りまでには終わるのではと思っていたが、松本に着くまでに解けたのは3題のみ。まあ、寝ぼけ頭で解いているにしては上出来だ。大宮で乗り換え、長野から松本へ。予定通り2時前に到着した。
 ホテルもすぐに見付かり、チェックイン。今日の予定は「この詰」スタッフの打ち上げに参加することだけだから、それまで寝てようかとも思ったのだが、ふと前日に「詰アルプス」なる会合があることを思い出した。行けば赤羽さんに会えるかもと思い(まあ、だまっていても明日会えるのだが)、会場の下見を兼ねてMウイングに行ってみることにした。
 何とか辿り着くと、角さん、嘉則さんや、今回の全国大会のスタッフの方々がいらっしゃった。嘉則さんとはチェスプロブレムの世界大会の話などを教えて頂き、角さんからは赤羽さんの作品集「信濃路」を購入した。もっとも、こちらは直接赤羽さんが目の前でサインを入れてくれるのを想像していたので、もう少し早く来ればそうだったと聞いて一寸がっかり。その後は、みんなであれこれ相談しながらFLの上田さんの二玉詰の攻略を試みるが、手がかりすら分からず。
 5時頃から(5時半だったか?)全詰連の幹事会が始まる。「この詰」の打ち上げは7時からということなので、山田、太田、三角、それに私の4人は6時過ぎに会場を後にして、若島さんのいるエースインのフロントに移動する。しかし誰もいない。仕方がないので駅のスターバックスで時間を潰すことにして、7時前にもう一度エースインに行く。7時過ぎに若島先生登場。ここで「この詰2012」の実物を渡されたが、この本の分厚さといったら、もう笑うしかない。殆ど辞書並みである。果たしてこの本を隅から隅まで読む人がいるのだろうか?
 7時20分頃から、若島さんを先頭に打ち上げの場を求めて夜の松本を彷徨う。この面子のマニア濃度の高さを察知されたのか2軒断られたが、3軒目(魚民だったか)で漸く場所の確保に成功する。参加者は若島、小林、角、井上、三角、山田、太田、私の8名。幹事会のメンバーも同じ場所で飲んでいたらしく、途中から真島君も加わってくれた。席は自然と若手組と長老組(笑)に分かれたのだが、私は当然のように若手組に加わり、今回初対面の井上さんらと詰将棋談義を楽しんだ。そうしているうちに長老組から「高坂君、上田さんの弟子になりなさい」という声が掛かる。意味が良く分からないが光栄なことだと思っていたら、どうも話が違う。弟子入りするには「結婚」などという世俗的な考えは捨てなければならないとか、いつも同じ服を着なければならないとか色々と戒律があって、そこにいたメンバーの中でそういう条件に一番近いのが私だったということらしい。でも、その戒律を守って30年後にウエダになれるのならそれもいいと本気で思ってしまう私は、やはり少しヘンなのだろうか?
 その後更に2軒ハシゴして、最後まで残ったのは若島、小林、太田、私の4名。(もっとも、太田君は最後ただの置物になっていたが)会話の内容はとても活字にできない超deepな話題の連続。久々に若島ワールドを堪能させてもらい、1時半頃解散。こうして私の全国大会第一夜は更けていったのであった。


(1)井上君と三角さん

スナップ写真(平成24年)1

どちらも、いかにも賢そうな顔をしてますね

(2)小林さんと角さん

スナップ写真(平成24年)2

角さん、既に出来上がっています

(3)山田さん、太田君とラスボス若島さん

スナップ写真(平成24年)3

若島さんの背中から殺気を感じるのは私だけ?

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