ACTの思い出

 昔々、まだ詰将棋を解くソフトなどこの世に存在せず、ACTが活発に活動していた頃の話だ。二次会の喫茶店にて、関半治氏が若島さんの例の1手詰を出題したことがあった(勿論「華麗な詰将棋」が出版される前のことだ)。みんなでその図面を眺めていたら、ものの30秒もしない間に菊田さんが「あっ、後手番か」と気付いたのだった。彼はこの頃既に、チェスプロブレムに関する知識があったのかもしれない。秀才の集まりだったACTにおいても、彼の頭の回転の速さは群を抜いていたように記憶している。
 私はと言えば説明を聞いてもちんぷんかんぷんだったが、その頃の私はフェアリーの世界も全く知らず詰将棋オンリーだったのだから、それも仕方あるまい。自分の住んでいる世界とは全く次元の違うところで創作したりそれを解図したりする人々を目の当たりにして、正直自信を失いかけたりしたことも一度や二度ではない。それでも、ああいった強烈な刺激があったからこそ今の自分があるというのは、疑いようもない事実である。

 その頃のACTの主要メンバーは若島さん、上田さんに加え、山田嘉則、山田康平、菊田裕司、山下雅博、太田慎一、穂上武史など(敬称略)。行っていた頃はそんなに意識することも無かったが、今考えると凄いメンバーだ。互いの作品について忌憚の無い意見を交わし、二次会では「オオタヤ」という喫茶店のカウンターを占領してコーヒー1杯で何時間も詰将棋やフェアリーについて熱く語り、そして運がよければ上田さんや若島さんから作品についてのアドバイスを頂ける。若手のACTメンバーにとって、この会合が最高の修練の場であったことは言うまでも無いだろう。

 今でも思い出すのは、京都タワーの地下食堂で上田さんからプロパラ購読を勧められたことだ。「今度若島さんがこういうのだすんやけどな、高坂君、君はこれ読んでおいた方がええんとちゃうかな」と言われて創刊号を見せられ、駒の動きやルールを質問しながら食事をしたのだが、今思えば何と贅沢な時間を過ごしていたのだろう!
 チェスの駒の動きすら知らない超初心者が、この数年後にはプロパラのヘルプ担当になってしまうのだから分からないものだ。人生なんて、ほんの少しのきっかけで変わってしまうものなんだなあ。 

(平成19年06月27日記)

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