[フィクショナル・エッセイ] 「おばあちゃん、ありがとう」とぼくは異国の言葉でで叫んだ
[およそ2,100文字、400字詰め5枚ほど]
「おまえのしようとしとることはちょっとやそっとのことじゃできん。何十年もかかるもんだで。五十や六十になってようやっと結果の出ることだ。一生懸命やらにゃいかん」
-- K「最後の説教」より
自分の言葉が見つからないので、借り物の言葉で書く。
借り物の言葉でも誰かに届いて、そうしてその人の心に何かが響くなら、それはそれでいいと思って。
借り物の言葉を書きなぐっただけのものに、いつも丁寧に書いている人から滅多にもらえない「スキ」の印をもらって、そのなぐり書きを読み返してみたら、「てにをは」のおかしいところと、ちょっと書き足りないところが一つずつ見つかったのでこっそりと直した。
そのうちもう一度読み直すと、また書き直したいところが出てくるはずだ。
完璧な文章なんてないってことは分かっているけれど、きちんと研ぎ澄まされた文章というのはやっぱりあるのだし、とはいえ、どの部分を研ぐ必要があると思うかは人それぞれだから、書き手の研ぎ方を面白がってくれる読み手がいるかどうか、結局はそこが問題だ。
ぼくの文章ごときでも、おかしな細部がおかしな塩梅に研がれていて、奇妙な切れ味があるから面白いじゃないかと、思ってくれる人はどこかにいるはで、そういう人に向かって書けばいいんだな、ということがようやく腑に落ちてきたものだから、こうして淡々と文を書くことにした。
十分研ぎ澄まされた文章を書くあなたに向かって、妙なところに小さな棘がある景色が好きなあなたに向かって、ぼくは文章を書くことにします。
淡々と、思いついたままに、気分が乗ったときに限って、ぐつぐつと煮立っている頭の大鍋で、うまい具合に火の通った言葉から順番に、すくっては並べ、すくっては並べと、おいしい文章の綴れ織りを作っていくことにしたいというものじゃないですか。
で、そのむかし東京でオリンピックがあったころに、世田谷という「田舎」の住宅街で生まれたぼくには、自分の言葉がなくってね。
東京の「山の手」の漂白された標準語もどきが、確かに自分の言葉のはずなのに、そのもどき言語と来た日には、ぼくの気持ちなんかちっとも表してくれやしないのだから、自分の言葉がないどころか、そもそもぼくは言葉というものを知らないのではないかと思ってしまうほどで。
「おまえの顔を見るたびにわしゃあ涙が出てくるわい。わしのしとね方が悪かったかやあ。悔んでも悔やみきれん」
会ったこともないけれど、どこか親近感を覚えるネット上の文筆家の人が、祖母からかけられる乱暴だけれども愛情あふれる土の香りのする言葉をしるしているのを目にしたとき、自分が祖母から言葉としてはかけられなかったのだけれども、沈黙の眼差しを通して受け取っていた優しさを体の芯が揺さぶられる程に感じることになって、ああ、文章を書き続けてきてよかったなと、生まれて初めて思った。
世田谷の同じ一つの家で暮らしていたのに、祖母とも祖父ともほとんど言葉を交わした覚えがない。
祖母も祖父もぼくがまだ小学生のうちに亡くなってしまったけれど、それにしても言葉を交わした記憶すらないというのも極端な話だ。
言葉は交わしたことがないけれど、祖母がぼくら三人兄弟の孫たちをしっかり見守ってくれていたことは、今は分かっている。
少しばかり変わった育ちのうちの母が、文京区の下町の商店街から世田谷のど田舎にやってきて、慣れない他人のうちに入って、どうにかこうにか子育てをし、家計を切り盛りしているのを、賢い祖母は静かにはらはらと見守っていたのだろう。
そんな祖母に言葉では到底表現できない感謝の気持を今のぼくは持っている。
常夏の国タイの、そろそろ涼しくなり始めたとはいえ、まだまだ蒸し暑い安宿のベランダで、冷や汗を書きながらぼくはこれを書いているんだ。
母とのつながりというものが、どうにも気持ちのもつれたところにしか存在せず、その結ぼれに結ぼれが重なった時空の迷宮に迷子になってしまったまま半世紀を生きてしまった。
祖母になら雁字搦めの結び目をいとも簡単に断ち切ることもできただろうに、能力があることとそれを実行するかどうかは残念ながら別の話で、ぼくが生きてきた時間線では、それは望んでも叶わぬことだった。
というわけでぼくは今、この文章を紡ぎ出しているまさにこの今、ゆっくりと三回深呼吸をして、体の中いっぱいに充満した肉体にこびりつく情動の蜘蛛の巣の重なりあって押し潰されて、圧縮されてかちかちに固まって、地獄の業火に焼かれ、絶対零度の真空で凍結されてしまった、そのブラックホールの塊を、ほーっと吐き出して、背中から肩にかけてのこわばりを、じっとりと絡みつくトタン屋根からの放射熱の中、両手の十本の指を開き、腕も脚もだらんとぶら下げて、呆けたように大口をあけて、タイの犬猫も驚くほどに力の抜けた姿勢で、昼下がりの少しかすんだ空の青さと照らされる草木の緑の眩しさに目を細めて、永遠の夏を味わいながら熱帯の鳥の不思議なさえずりに耳をすませながら小さくつぶやく。
「おばあちゃん、ありがとう」
自分の言葉には思えない、生まれ育った国なのに、どこか異国にしか思えないその国の言葉で、そうつぶやくことが、どうもしっくりしないので、今度はタイ語ではっきりと言ってみる。
「ヤーイ、コップン・カップ」
もういちど、大きな声で。
「ヤーイ、コップン・カーップ!」
もういちど、もっと大きな声で。
「ヤーイ、コーップーン・マーク・ナ・カーーーップ!!!」
ぼくの頭の中で自分の声が響き渡り、その音の残響に包まれて、祖母が静かに笑っていた。
[2018.10.07 タイ、ノンカイにて]
※この掌編は、
Kさんの「最後の説教」
https://kutsuna.org/?p=241
に想をいただいて書いたものです。
すてきなヒントをくださったKさんに感謝いたします。
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