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[全文無料エッセイ]非在の湖(うみ)ロプノール、あるいは寄せては返す歌また歌

☆Nodさん、
【第百三十八首】
雪解けの水もぬるみし山春にわれさまよえるロプノルの湖(うみ)
-氷湖、砂漠‐
https://note.mu/westsideofnod/n/nf623309e5df1

★としべえ、
ヒマラヤの彼方さまよえロプノールわが魂と遠くつながり

☆Nodさん、
ヒマラヤの雪解け水を抱きやり遠くしづもれ魂の海

※Nodさんとこういうやり取りをして、悟りって「さまよえる湖」だなと思った。ここにあったはずと思って行ってみると、そこにはもうない。
そこにはもうなくても、やっぱりどこかにはある。
あると信じて追いかけなければ、そこに行きつくことはできない。
信じても行きつくことはできないかもしれないけれど、それはそれでいい。
求める心と心が、かすかにでも響き合うなら、それが確かに生きた証しとなるから。

☆Nodさん、
【第百九十一首】
われを知る何も存在しない夜 死んでいるのとどう違うのか
‐存在論Ⅲ‐
https://note.mu/westsideofnod/n/nf88f3b98a492

★としべえ、
今はまだ存在もせぬきみにこそ届く不思議を伝えたくてね
(存在論 iv)

☆Nodさん、
「われおもうゆえにわれあり」なりたたずばかたわれのわれわれわれはだれ

※さまよえる湖と同じく、ぼくたちの存在もあやふやで、けれどもそれはゼロではない。
対生成で真空から現れる電子と陽電子のように、ゼロから生まれてゼロに還るつかの間の実存が、問いかけを通して、呼びかけを通して、自己を確認し、他者の存在を証しする。
ゼロとイチの間で無限を生み出しながら。

※※「今はまだ存在もせぬきみにこそ届く不思議を伝えたくてね」という歌の「きみ」は一義的にはNodさんへの呼びかけです。
その意味ではNodさんの【自分がいないのじゃないかと疑っているあなた、そんなあなたにこんな疑問の歌を伝え送る僕の存在だって不思議になるんじゃない、それを伝えたくってね】という解釈は大正解です。
同時にこの「きみ」はまだこの世に生まれていない誰かへの呼びかけでもあります。
これはベンガルの詩人ラビンドラナート・タゴールが、百年後の読者に呼びかけた詩へのオマージュなのですが、タゴールの詩が実際に百年の歳月を経てなお生き生きと輝くのに対し、ぼくの歌は一瞬で忘れ去られていくという点で、その対比の滑稽味の中に「非在性の発露」を味わっていただけたら恐悦至極なのであります、笑。

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