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目黒にライブを見にいって、サイパンの海辺を思い出していた

目黒駅で降りるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。見慣れぬガラス張りのビルが立ち並び、すっかり知らない街になっている。

八月も半ばを過ぎたのに曇天が続き、さして暑くもない湿った空気の中を、行人坂の急な坂をくだって、のんびりと歩いた。

会場は素敵なライブハウスといった感じで、その空間の中でお客さんたちが歓談している様子を見ていると、ふらふらとインドをうろついているいつもの格好のままで、こんなにも東京な場所にいるのは、いかにも場違いな気がしたが、アルコールの助けを借りて、その雰囲気を味わわせてもらうことにした。

キーボード、ベース、ドラムスのスリーピース・バンドが心地良いジャズロックを奏でて、舞台は始まった。

そしてステージ中央に、真っ赤なドレスを着て立った Ms. MA3 が、旦那のがんちゃんと歌う「銀座の恋の物語」。これもビートの効いたロックアレンジで実におもしろい。

そうやって生バンドの演奏を聴いているうちに、昔、母と一緒に行ったサイパンの夜を思い出していた。

海辺のレストランで、生バンドの演奏があった。アメリカのポップスが中心のレパートリーの中、カーペンターズの「イエスタデー・ワンス・モア」が流れてくると、なぜか涙が溢れた。

「母なるもの」の欠乏から、ぼくの人生は低空飛行を強いられることになっていたのだと、今はそのように考えられるようになったし、また、その低空飛行を楽しみつつ、低空から脱して、高く舞い上がるすべも少しは覚えた。

そうなるためには、失われてしまった「何か」、足りなかった「何か」を思い出す必要があったし、サイパンの夜の「イエスタデー・ワンス・モア」がその一つのきっかけになってくれたのだ。

そんなようなわけで、昨日ぼくは、世田谷の実家から目黒まで、ほんの小さな旅をしたにすぎないのだけれども、Ms. MA3 が時空の扉を開いてくれたおかげで、二十年も昔の、遠いサイパンの夜の海辺まで旅することになったのだった。

Ms. MA3 をはじめ、素晴らしい旅の場を演出してくれた note.mu のみなさん、どうもありがとうございました。

[やや長い追伸]
会場で玉兎さんに声をかけてもらったのだけれど、酔っ払ったぼくの頭は、「タマウサギ」という名前が誰のことなのか、焦点を結んでくれなかった。昔の名前の「スーパーく○もち」さんのほうが記憶に残ってるようなありさまでして。というわけで、せっかく声をかけてもらったのに、えーと、この方はどちらの方だったろうか、とぼんやり考えているうちに、接点を失ってしまい、要領を得ない返事以外話すこともできなかったこと、残念に思っております。
また、ほかのみなさんともあまり話ができませんでしたが、どちらかといえば、人見知りをするタイプで、そつのない会話などとは無縁の人間なもので、ご容赦ください。
いつになるかは分かりませんが、どこかで再びみなさんとお会いできる日を楽しみにしております。
てなことで、またーーっ。

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