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【通信講座】 小説「宇宙旅行(仮) 」 講評

『【通信講座】 小説「生まれつき機嫌が悪い」 講評』で


日本近現代文学における、モデル作者、モデル読者が
どのように想定されているか、とてもよく分かる。
ブルジョワが書き、ブルジョワが読む(ブルジョワ=中産階級/俗物、いずれの意味でもかまわない)。
ある意味で興味深いが、あたらしいものは表現されていない。
「クラシック音楽バー」、「セックス」、安価な苦悩とメロドラマ、
村上春樹、山田詠美、金原ひとみ、その他の亜流作家が通過し、踏みにじってきたぬかるみを(足跡は残せまい)
あえてまた行こうというのは
作者の積極的な創造力の発露、必然的な選択の所産ではなく
日本語で小説を書くなら、このような素材を布置すればいい
という先入観があるとしか思えない。
見通しはいいので確実にゴールにはたどり着けるだろうが、本当にこの道を行くのか。
走りなさい。拍手でむかえられるにちがいない。
(マラソンで最下位の走者は、あたたかく祝福されながらテープを切る)


と書いた。


村上春樹風の寓話を書こうとして
村上春樹風の寓話が書けた
としか思わなかった。

コエーリョ『アルケミスト』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のようでもある。
名文を書いてやろうという作者の虚栄心が露骨すぎて
読書のよろこびを感じられない。
さほどたいしたことも言っていない。

「失くしものは、忘れた頃に見つかるものです。そうお気になさらず。何事も、広い視野で見なくちゃなりません」

「生きている限り生命は必ず他者を傷つけている。他の命を奪って食べているし、競い合ったり尊厳のために他人を蹴落とすこともある。なにも傷つけずに生きられるのは、ボクたちぬいぐるみのような無生物だけだ」

「でも離れて見たらやっぱり月は綺麗だろう? それでいいじゃないか。物事はおしなべて二面性があるものだ。絶望することはない。キミは美しくもあるし醜くもある。唯一絶対なのは、ボクはキミの親友だということだよ」

「キミが覚えている限り、ボクはずっとキミの中にいるよ。世界中の誰がキミを悪く言っても、ボクはキミの味方なんだ。これからもずっとずっとキミのことが大好きだよ」




そこでは数えきれない小さな星屑がこれでもかと言わんばかりにぶちまけられていて
カラスは恭しく光る翼を広げながら頭を下げて挨拶した。

(「恭しく」は「光る」ではなく「広げながら」、あるいは「頭を下げて」、「挨拶した」にかかる。)

お世辞にも食欲が湧く食べ物とは言えないだろう。僕は窓の外にいる宇宙クラゲに向かって肩をすくめてみせたが、クラゲはゆったりと気ままに飛んでいるだけであった。
空腹とやけっぱちの感情が腹のなかでタンゴを踊って、僕は青の誘惑に抗いきれなくなった。
そのまま舌に雪が染み込んで白くなってしまいやしないかと思うほどだった。
それは透き通るような輝く天の川であった。ドクドクと脈打つ血管のように、何本もの細い川が別れ合流し、また細かく別れているのだ。生命力に溢れた、神秘の光景だった。

比喩はきわめて類型的で
古く、つまらない。描写にリアリティーもなく、不正確。



語り手に一貫した内面がない。
「アラカンドラ」とのやりとりにおける語り手の感情は
幼児のように不安定で不可解。

 ふとバサバサと音がして背後の棚の上に目をやると、そこにはいつの間にか黄金色の一羽のカラスが留まっていた。一体どこから紛れ込んでしまったのだろう。どうしようかと僕が困っていると、カラスは机に飛び移り甲高い声でこちらへ話しかけてきた。
「ごきげんよう、星の旅人さん。お名前はなんていうの?」
「きみ、しゃべれるんだね。名前は?」
 僕が名前を聞くと、カラスは恭しく光る翼を広げながら頭を下げて挨拶した。
「私の名前はアラカンドラ。時を駆ける鳥」
「時を駆けるってどういうことだい?」
 僕が首を傾げると、黄金のカラスは胸を張って答えた。
「私は神様の使いなの。ご用命ならどこへだって飛んでいくのよ。過去や未来、それに宇宙のてっぺんや世界の最果てにだって行けるの」
 僕は僕自身が置かれた状況がイヤだった。島流しみたいに一人ぽっちで宇宙を放り出されたばかりだというのに、アラカンドラはどこへだって自由に行けるという。黄金色の威風堂々とした態度も傷心の僕には鼻についた。
 不機嫌だった僕はなんの根拠もないのに、この鳥はウソをついているに違いないと決めつけた。確かに彼女ーー声は女性に似ていたーーは美しい声と翼を持っている。だが、所詮はカラスじゃないか。僕の知っているカラスは真っ黒で、声もガァガァと汚かった。
 鳥より立派な人間様がロケットという乗り物に乗らないと宇宙に行けないのに、カラス風情がどこにでも行けるわけがない。僕はじゃっかん意地の悪い調子でカラスに聞いた。

ダンテ『神曲』のベアトリーチェ、ゲーテ『ファウスト』のグレートヘンにしたかったのだろうが、無理がある。


 僕はさようならを告げた。その瞬間、背後から鳥の羽ばたく音がして振り返った。光の中に黄金のカラスが翼を広げて浮かんでいる。穏やかな眼差しをたたえた神秘の鳥の名は、アラカンドラ。神の使いであり、僕の良心だ。
「帰ってきてくれたんだね、アラカンドラ!」
「私はずっとあなたの側にいたのよ」
「そうだ。そうだったね。アラカンドラ。冷たくしてすまなかったよ。君はとても綺麗だ。もっと早く言えば良かった」


「僕の良心」の象徴だとは
語り手以外、誰も思わなかっただろう。






(作者より)
夢、還るがテーマのファンタジー作品です。
主人公は誰でもないし誰でもこの物語の主人公になりえる、という設定で書いています。
なので当初は主人公の説明は一切なしで物語を進めていたのですが、さすがに入りこみづらかったと思い冒頭の五行ほか、夢であることをわかりやすくしてみました。
質問は、
・最後まで読めるでしょうか?
・理解できる話になっているでしょうか?
・純文学系の公募に出しているのですが、カテゴリーエラーではないでしょうか?
ここが良くない、ここを直したらもっと良くなるという意見がございましたら忌憚なくご指摘いただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

「夢、還る」はテーマではない。
漠然としすぎている。古今東西、あらゆるフィクションにあてはまる。
「夢であることをわかりやすく」することが
なぜ、読者に対して親切なのか分からない。
古くさい文体と、不正確な描写を改善したほうが
よほど「入りこみ」やすくなる。


・最後まで読めるでしょうか?

読めない。
退屈きわまりない。



・理解できる話になっているでしょうか?


「理解」の意味によるが
作者の想像力、意図、着想、読書経験はほとんど予想がつく。
このような文章が限界であろうと思う。
読みながらなんの疑問も持てないという意味では
完全に「理解できる」。



・純文学系の公募に出しているのですが、カテゴリーエラーではないでしょうか?


文学界、文藝、新潮、すばる、群像のどれかで賞をとれば
純文学だと思う。
現在、これ以外の、また、以上の判定方法はなく
作者が純文学だと言い張ればそうなるのではないだろうか
としか言えない。
ミステリー、時代小説、恋愛小説、ジュブナイル、ファンタジー、ビルドゥングスロマンのどれでもない
という意味で
直木賞的でないことはたしか。



「良くない」ところがあるというより
無個性で、評価すべき点を見いだせない。
まずは自分だけのことばで書いてみてはどうか。

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