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【壺売り文一】 統失2級男が書いた超ショート小説

朝家文一はとある夏の夜、養豚場を取材したテレビ番組を見ていて、ふと思った。(この豚たちは自分を世話している人間たちに将来食われるとは思っていない。家畜を食う人間、それはつまり人間の家畜に対する裏切りだ。そう考えると今は幸せに暮らしている人間たちも死後の世界で神に裏切られ、永遠の地獄を体験する事になっても不思議じゃない)その晩の文一は死後の世界への不安を抱えながらベッドに入ったものだから、常用している睡眠導入剤を飲んでも寝付きは悪かった。そして翌日になると、文一は午前の勤務中にヴィーガンとして生きて行く決心を固めるのだった。(ヴィーガンになったからと言って死後の天国が約束される訳では無いが、神様も動物愛護に目覚めた僕には温情を見せてくれるかも知れない)文一はシュレッダー機で書類を裁断しながら、そんな事を考えていた。その為、この日の昼食はコンビニのバナナ2本で我慢する事となった。仕事帰りにはスーパーに立ち寄り、野菜類と納豆と豆腐と椎茸を買い込み、帰宅後は台所中にあった動物性の食品を全て廃棄した。ピーマンと豆腐と椎茸で簡単な夕食を作り食していると、文一は新たな問題に直面した。(僕は統合失調症だ、一時期は症状も酷く日常生活も満足に送れない程だった。しかし、今は精神薬のお陰で、ある程度まで回復し障害者枠ではあるが、一応はフルタイムの仕事にも就いている。この生活は精神薬抜きでは成立しない。だが精神薬という物は実験動物を拷問し壮絶なストレス下に置き精神病を発症させ、その上で彼等に開発中の薬を投与して成分の微調整と効果の確認を繰り返しながら開発された物だ。動物愛護に目覚めた僕が、そんな忌まわしい精神薬を服用していても良いものだろうか)文一は三日三晩思い悩み、ついに精神薬も完全に断つ決心をする。断薬を始めて3週間後には集団ストーカーの存在を感じる様になり外出もままならなくなった為、仕事は辞めてしまった。それから2ヶ月後には幻聴まで聞こえ始め、文一は朝から晩まで幻聴と頭の中で、会話を続ける様になっていた。そんなとある日曜日、文一は複数ある幻聴の声の1つにこう言われた。「お前が仕事を辞めてもう3か月だろ、貯金が底を突く前に新しい仕事を始めろ」「仕事と言っても精神薬をやめてから、頭が余り働かなくなったんだ、今の僕に出来る仕事なんてないよ」文一は弱々しく答える。「心配するな、お前でも出来る仕事がある。と言うよりお前が自分の手で仕事を作るんだ、ネット通販で小型の千円程度の壺を買って、それを悪霊を封じ込める壺として、3万円で売り歩け」「何だよ、僕に詐欺師になれと言うのか」「詐欺じゃない、お前には霊能力がある。現に精霊である私の声が聞こえているじゃないか。何の変哲もない千円の壺でも、お前が1時間も霊力を注入すれば、嘘偽りない悪霊を封じ込める壺になる」

文一は大手通販サイトで980円の壺を10個購入し、1つ1つに1時間ずつ丁寧に祈りを捧げた。そしてそれ等を翌日から近所の路上に並べ、精霊の指示通りに悪霊を封じ込める壺として、1個3万円で売り始めた。だが現実は厳しいもので、壺は1個も売れる事がなく、退屈で長い4日間が無情に過ぎて行った。気力が途切れそうになりながらも、精霊に励まされ何とか5日目も路上販売を続けていると、壺の横に置いてあるスケッチブックのセールス文章を読んだ1人の中年男が話掛けて来た。「これは、本当に悪霊を封じ込める壺なのか?」「はいそうです、ここにある全ての壺には、霊能力者である僕の霊力が注入されています。悪霊を封じ込める効果は壺が割れ破片になっても、永遠に続きます」文一は澱みなく答える。中年男は笑顔を浮かべ文一の目を凝視しながらこう言う「俺の妻はイカサマ占い師に夫婦で貯めた4千万円を貢ぎ上げて失踪した。だから俺は占い師や霊能力者といった奴らが、反吐が出るほど嫌いなんだ、こんな俺の前でもあんたは自分の事を本物の霊能力者だと言うのか?」文一は自分の霊能力を完全に信じる様になっていたので、怯む事なく「僕の霊能力は本物です」と返した。文一のその言葉を聞き終わるや否や、中年男は路上に並べてあった壺を手に取ると、小型の椅子に腰掛ける文一の頭目掛けて、全力で振り下ろした。4度、5度と殴り付け壺が割れたら、新しい壺を手に取りまた殴り付ける、文一が倒れて動かなくなっても、中年男は10個の壺が割れるまで、文一の頭を殴り続けた。周りには通行人も複数人居たが、中年男を恐れ止めに入る者は1人も居なかった。しかし警察と救急車を呼んでくれる通行人は居た。十数分後に駆け付けた救急車によって総合病院に運び込まれた文一に、命の反応はなく程なくして死亡宣告がなされた。

死後の文一は本人が心配していた様な地獄に落ちる事はなかったが、天国に招かれる事もなかった。死後の文一は幽霊となり、自らが霊力を注入した、あの壺の破片に封じ込められていた。壺の破片は暫くの間、警察署の証拠品室に保管されていたが、その後、埋め立て地に埋められる事となった。文一の霊が壺の破片から解放される事は永遠になかったが、話し相手となる精霊が666柱も居たので、地中という暗闇にあっても、文一はそれほど不幸ではありませんでした。

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